第3話

終わりはいつも突然やってくる。


僕は知っていた。以前の生活も、同じように突然終わりを迎えたから。


寒い寒い冬だった。


村に広がった病気は、おじいさんとおばあさんにも襲い掛かった。


もちろん僕にも。


ただ、僕は重症化することなく、比較的軽度な症状で一週間もしないうちに完治した。


けれど、高齢の二人は見る間に悪化していった。


心の中で葛藤が鬩ぎ合った。なんとかしたいという気持ちと、母が繰り返し交わした約束と。僕にはどちらを取るべきか決められなかった。


その優柔不断が事態を取り返しのつかないものにしてしまった。


二人の病状は、僕がただ無為に手をこまねいている間に、決定的なものとなってしまった。


僕の後悔はどんな谷底よりも深かった。


助けなければという思いと、それは駄目だという思いとがないまぜになって、どうにかしようと思った頃には、彼らは酷く衰弱してしまっていて、どうにもならないまま二人は息を引き取ってしまったという事実が、僕を激しく打ち倒した。


なのに、彼らは、役立たずの僕が必死に二人を看病する様子を、申し訳ないやら悲しいやらという表情で見つめていた。僕の内心を知りようもない彼らは、僕の献身的な看病にいたく感謝してみせるのだ。彼らのそんな心からの好感に、逆に僕の心は強く強く痛んだ。


僕にはただ罪悪感しかなかったのに。


そして、二人はそんな僕にあまつさえ、秘密の財産を、二人が長年コツコツ溜めて来た旅行のためのお金がある場所を教えてくれ、それをもって街へ行くようにと指示した。


受け取ることなどできないと何度固辞しても、無駄になるだけだからと僕に託すのだった。


最後に、一緒に暮らした時間がどれほど素晴らしいものであったかを、僕が養生に専念するよう懇願するのも聞かず、訥々と話して、そして死んでしまった。


できることがあったのに、やらなかった僕の罪だった。


冷たくなっていく彼らを前に、目覚めてから二度目の涙を流した。


静かな冬の夜のことだった。


翌日も丸一日悲しみに暮れて、何もできないまま時が過ぎ去り、そうして更に次の日、空腹感から粗末な食事を食べる自分に、その身勝手さと人の死を悼むこの気持ちが空腹という動物的欲求に勝てない自分の卑しさに、僕はますます自分に嫌気が差すのだった。


それから村にある小さな教会へ行くと二人の弔いを頼んだ。年老いた神官様は僕にお悔やみを述べると、わざわざ村外れまで出向いてくれて、簡単な葬儀をあげてくれた。


僕はかじかむ手で事前に掘った穴に二人の遺体を仲良く並べて、その上に土を被せた。


これからどうするのかと問われて、僕は生前二人に言われていた通り街へ行くつもりだと言った。


神官様は僕の道行に幸いあれと祝福してくれた。


壊れそうな粗末な家の脇に仲良く二つ並んだ墓標にさよならの挨拶を捧げ、僕は街を目指して歩き出した。


その足取りは後悔と悲しみとでひどく重かった。





何日も掛かって、やっとの思いで僕は目的の街に着いた。


この地方では一二を争う大きな街ということらしく、大きな街道に沿って進むだけでよかったのは幸いではあったが、木枯らしの身を切るような冷たさと空腹とでなんども死の恐怖と戦わなければならなかった。


やはり村とは比べるまでもないほど街は大きく道はしっかりと整備されて、その街並みも立派だった。僕はこれ程の街を見たことが無かったので、本当にこれがただの街なのかとにわかには信じ難かった。


二階建て三階建ての建物がひしめいて、街行く人の着ているものは色とりどりで、誰も彼もお金持ちのように見えた。


けれどやはり全部が全部そうではなく、一つ路地に入ると薄汚れゴミが散乱し、ボロを纏った人たちが小さな火を囲んで身を寄せ合っていた。


その目は油断なくギラついていたり無感動にぼんやりと動くものを追っているだけだったりとさまざまであった。すぐに僕は大通り以外は危険だと理解して引き返した。


困ったらとりあえず教会にいってみると良いと教えてくれた神官様の助言に従い、僕は街の教会を目指した。大きな尖塔と鐘塔とが目印だった。街のどこからでも見つけられるそれは、僕の人生で最も背の高い建築物だった。


二人を見殺しにしてしまった罪深い僕が教会を頼ることに躊躇いがあり、足取りは重かったけれど他に術はなかった。


人いきれ、雑踏、呼び込みの声全てが非現実的で、慣れない人の多さに僕は次第に正常な思考を失って、ただ自分の足を前に前に動かすだけの存在に成り果てていた。


そんな時。


「神よ……」


その声は不思議とはっきり僕の耳に届いた。


呼ばれたような気がして顔を上げると、雑踏の中大勢が避けるようにして歩く先に一人の男が地に臥しているのが見えた。


死んでいるように思った。


そして、さぞ石畳の道は冷たいだろうと思った。


ただ光を失った空虚な黒い瞳が、虚空を見つめるように見開かれ、けれどその目には何も映してはおらず、ただ小さな空洞のように泥に汚れ傷ついた顔に張り付いていた。


始めはどういう状況なのか理解できなかった。


力なく倒れている男は襤褸をまとい、痩せ細っていて肩や肘や腰に浮かび上がるその骨の形から僕は目が離せなくなった。


鼓動が知らず早鐘を打つ。


恐ろしいと思った。


「おら!起きろ愚図!こんなところでぐずぐずしてられねぇんだよ!」


突然耳に罵声が飛び込んでくる。


気付いていなかったが、今にも死んでしまいそうな男を幾人かの男たちが取り囲んでいた。彼らは執拗に暴言を浴びせかけ、足で小突くにあきたらず軽く蹴りつけ、髪の毛を乱暴につかんで無理やり立たせようとしていた。


誰もかれもが眉をひそめながら、遠巻きに眺め通りすぎていく。


男たちは自分たちの暴挙に全く反応を示さない相手に下卑た笑いを浮かべ、ますます増長していくのが分かった。もはや人間を相手にしているという意識がないのだろう。ガラクタを片付ける前にばらばらにして処分をしやすくするかのように、めったやたらに蹴り上げ頭を地面に打ち付け、唾を吐き掛けるばかりだった。


僕はそれを見て、かっと頭に血が上るのがわかった。


眠っていた記憶が呼び起こされ、言い知れない怒りが全身に広がって、僕は考え無しにつかつかと靴音も高く男たちに近づいていった。


「どうしてそんな乱暴狼藉を働くのですか!彼も人間ですよ!もっと丁重に扱って然るべきでしょう!しかも、みれば彼は体調が悪そうなうえにケガもしています!やめてください!」


男たちが突然の闖入者である僕を見て驚いた顔をすると、怒りに顔をゆがませて怒鳴り散らした。


「てめぇに何の関係があるっていうんだよ!こいつは奴隷だ!しかも体も動かなければ頭も働かねえ、とんだ愚図野郎だ!そんなヤツにお仕置きをして何が悪い?これは俺らの所有物なんだから、持ち主が道具に何をしたって、どう扱ったってお前には一切関係がないんだよ!ひっこんでろ、餓鬼が!」


そう言って再度、地面に横たわる男を蹴り上げる。


襤褸をまとった男はうぅと声を上げるが、それだけだった。痛みに顔を歪めている。


「奴隷だって?!」


頭が真っ白になる。走馬灯のように記憶が頭の中をものすごい速さで餉餉巡り、その目まぐるしさに僕は眩暈がするのを感じた。


「そうだよ」


男のうちの一人が、にやにや笑いながら言う。僕は吐き気がこみ上げてくるのをぐっとこらえた。それによって、逆に冷静になることができた。


「この国では奴隷が未だに許されているのですか?」

「はぁ?奴隷なんてどこにでもいるわ。おめえ馬鹿なのか?外国から来たのか?この国について全く知らないクソ餓鬼の癖に俺らに難癖つけてんじゃねーぞ!」

「奴隷でも生きています……」


僕の声はしりすぼみに小さくなっていった。全身の体温が一気に下がったような気さえする。


「こいつはよぉ、商品にもなんねぇ奴隷なんだよ!飯を食ってぐーすか眠ってクソをひりだすだけの役立たずなんだよ!今日だってこいつだけが売れ残ってよぉ。わざわざ遠くから運んできたってのによぉ。仕方ねぇからここで処分して行こうってわけだよ。生きる意味なんてねぇからなぁ!」


男たちがゲラゲラと下卑た笑い声をあげる。


「たとえ、たとえそうだとしても、何もこんな暴力を働く必要などないのでは……」

声が震える。

「その辺に捨て置いてもいいし、教会へ預けたりなんかもできるでしょう……」

「は!ほんとに何にもしらねぇんだな。奴隷は契約魔術のせいで捨てられねぇんだよ!死んだらその届け出をして処分の手数料も納めなきゃいけねぇ。死にぞこないのくせに何をするにも金がかかるんだわ。同じ金がかかるんならよぉ、俺らの苛立ちのはけ口になるっていう最後の仕事をしてもらわないと割りに合わねぇんだよなぁ」

「そ、そんな……」

「あーお優しいお兄さんは、この何の価値もない奴隷が可愛そうだから暴力はやめろと仰る!なんてすばらしい。高潔な精神をお持ちで!いやーそんなに弱者救済を謳うのでしたら、どうぞこの哀れなゴミを貴方様が買われては?」

「え?」


良いことを思いついたというように目の前の男が笑う。


「安っぽい正義を振りかざして、こうしてわざわざ我々の間に割って入ったのですから。きっとあなたが彼を購入し救いだしてくれるのでしょうねぇ!」

「おお、なんとお優しい!」

「まさか、助けろとご高説を講じておきながら、いざその場面になると何もなさらない、なんてことはございませんでしょう?」


男たちが口々に言う。そして、取りまとめ役らしき男が近づいてくる。


「おら、お優しい救世主様がお前を救ってくださるそうだぞ!喜べ!」

「そうだそうだ!感謝と恭順を態度で示して、慈悲を請え!」


残りの男たちがぴくりともしない男を足先でつつき廻して言う。


「ぼ、僕にはお金が……」

「おや~お金の心配をなさる!人の命が掛かっているのに?なんて安っぽい正義感でしょう」

きつい目で睨まれた。

「助ける覚悟もねぇのによぉ!今すぐここから失せろやクソ餓鬼がよぉ!」


はっとした。


助ける覚悟……。


それは真理だった。


「い、いくらですか……」


再度男がにやりと笑う。


「金貨一枚!」

「き、金貨……」

「……と言いたいところですが、我々も鬼悪魔の類ではない。あなた様の優しい心に私感服いたしました!今ならお値引きいたしますよ!」

「値引き……?」


話が思っても見ない方向へ進んでいく。頭が追い付かない。


「さぁお兄さん!大特価で奴隷を一人手に入れられるなんて、こんなチャンス、みすみす逃す手はありませんよ」

「いや~安い!」

「兄貴はほんとうに太っ腹だぜ」


仲間の男たちが囃し立てる。


「ちなみにいくらお持ちですか?」


ずいと無遠慮にリーダー格の男が顔を近づけてきた。口臭が鼻について僕は思わず顔をそむけた。思いがけず体ごとねじってしまったせいで、首からぶら下げた財布の紐が男の目にとまったらしい。


目の前の男は、無遠慮に紐を引きちぎるように奪うと中身を確認してにんまり笑い、これでいいですよと言った。


僕の所持金全てだった。


「お買い上げ誠にありがとうございまーす!」


そう言って、僕が何か言おうとするのを遮る。男たちが汚い笑い声をあげながら僕を路上に置かれた机の側へと誘導する。僕が逃げられないよう、肩をがっしりと後ろから掴み無理やり歩かせた。


「奴隷契約の手数料は今回は無料とさせていただきます。どうぞこちらへ!」

「奴隷契約……?」

「契約魔術の一種です。なぁにすぐに終わりますよ。この取引は、魔術でもって所有権の移動と、雇用者・被雇用者間の主従契約を結ぶことで完了します。国の法律にも決まっている大事な儀式です。省略することはできません」

「な、なにを……」

「いやいや!簡単なものですよ。書類にサインを書いて血判を押すだけですからね。名前は書けますか?」

「書けます……」

「よろしい。事前にもう彼には名前を書類に書かせているので、あそこでおねんねしていますが契約は問題なくできますよ。血判も、本人のものが必要なのですが、そこは無理やりやらせますのでご安心を」


そういうと力づくで僕を椅子に座らせ、両側からがっちりと固定してきた。逃げられない。


ニタニタと笑う男の顔を見ながら僕は、おじいさんたちに教えてもらった自分の名前をサインし、親指にナイフでもって小さな傷をつけられた。


じわりと滲んだ血で、サインの横に判を押す。契約書の内容はよくわからなかったけれど、僕が購入することになった男の名前が見えた。長い名前だった。

どんな名前かよく見ようとしたけれど、契約を補助する男は僕が見ようとするのを遮るように、描き終わるとすぐに立ち上がった。


そして、無理やり椅子に座らされたあの男の側に行き、僕と同じようにナイフで親指に小さく傷を作って無理やり血判を押させるのが見えた。


次の瞬間、書類は青白い炎でもって燃えて、虚空に灰となって消え去った。


「これにて契約は完了です。ご購入ありがとうございました」


そういうと男たちはあっという間に後片付けを済ませ、僕ら二人を残して、馬車で走り去ってしまったのだった。

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