第38話 叱られて事が収まるのは義務教育まで
綿矢さんが言った通り俺と綿矢さんの関係は友達になる前に戻った。
日課になっていた朝の挨拶も〝おはよう〟から〝おはようございます〟になって、ほとんど目も合わさない。
智慶祭の準備があったから一日に喋る量が多かったが、それが終わればもともとボッチの俺が誰かと話すことなんてない。
以前なら一日一言も喋らない日があってもおかしくなかったのに、なんだか調子が狂う。
スマホを確認しても新着メッセージはなし。
朝、送った挨拶的なメッセージに既読はついているが返事はない。
この状況で連続してメッセージを送るほど俺の神経は太くない。
これ以上、既読スルーされたら自分の存在を否定されているような気持になりそうだ。
授業中は意味もなく時計を何度も見てしまう。
平等なはずの時間の流れは妙に長く、時計の針はちっとも進んでくれない。
時計を見る時にその視界の隅に入る綿矢さんの背中はいつもと何も変わらないように見える。
長く感じた授業が終わって放課後になると、図書室で借りてた本の返却期限が今日だったこと思い出して、その用事だけを済ませ、昇降口に向かう。
部活に向かう生徒と帰宅部の生徒の下校タイミングと重なったようで、混雑気味の昇降口。
多くの生徒が行きかっているその中にスポットライトの光の筋がすっと差し込み、壁に身体を預けて立っている一人の女子生徒を照らした。
「綿矢さん」
綿矢さんは手に持っていたスマホをポケットに入れ、顔を上げると、いつもみんなに振りまくのと同じ笑顔を俺にもする。
「どうかしましたか」
「え、えっと、誰かを待ってるのかなって」
いきなり踏み込み過ぎだろ。こういう時はもっと当たり障りのない会話から入った方がいいはずなのに。
「はい、友達を。もうすぐ来ると思います」
「そうなんだ……。あ、あの」
昨日まで普通に話していたのにまるで初対面になったかのように何を言っていいかわからない。
でも、ここで何か言わないと、俺と綿矢さんの繋ぐ細い縁までが切れてしまう気がしてならなかった。
「智慶祭の幹事、俺一人じゃ絶対に無理だった。綿矢さんが助けてくれたから上手くいったと思う。だから、その……、ありがとう」
「こちらこそ、丹下君が全体の調整をして指揮を執ってくれたから上手くいったと思います」
綿矢さんの鉄壁の聖女様というような隙のない返事にお互いの距離を感じる。
「あっ、友達が来たから行きますね。それでは丹下君、さようなら」
綿矢さんは遅れてやって来たクラスの女子生徒たち一緒に校舎から出て行った。
これが自分が一番いいと思っていたことで、それに伴う多少の痛みは仕方がないと考えていた。
それなのに現実は思っていたものとは全然違っていた。
●
今更、昨日ことはなかったことにしてなんて言えないとわかっているけど、この現状をどうすればいいかわからない。
歩きながら考えれば、ちょっとはいい考えが浮かぶかもと思って遠回りをして帰ったが、そのくらいのことでどうにもならない。
無言で玄関ドアを開け、靴を脱いでいると玄関の隅に小さめのローファーが綺麗に置かれていた。
伊緒の奴こんな時に……。
「来るなら事前に知らせてくれ」
リビングのドアを開けながら言うと、伊緒はソファーに座って串に刺さった団子を頬張っていた。
そして、俺が帰ってきたことに動じることもなく食べ終わった串を皿に乗せて、お茶をすすってから口を開く。
「今日はどうした?」
「それ、こっちのセリフだから。ここ俺ん家だし」
「とりあえず、お茶でも入れるから座って待っててくれ。龍君の団子もあるから食べてもいいぞ」
「だから、ここ俺ん家だって」
俺の言うことに耳を貸さない伊緒はキッチンに入ると手際よくケトルでお湯を沸かしてお茶を淹れる。
どうして、うちのキッチンでそんなに自然な動きができるんだ。
「ほい、粗茶ですが」
「俺、ここの住人なん――」
「まあ、ちょっと、一息入れよう。今の龍君、顔が険し過ぎ」
お茶をテーブルに置いた伊緒は俺の眉間に人差し指を当てるとむにゅむにゅとほぐし始めた。
「そ、そんなことしなくても大丈夫だって」
「本当? 今日の龍君、朝から顔が険しいし、ずっと、雫を目で追ってた」
そんなことはない。今日は昨日のことがあったからいつもより多少は綿矢さんのことを目で追っていたけど、前日比二〇%増しくらいなはずだ。
「それに雫もなんかちょっといつもと違う感じがした。……まさか、文化祭マジックにかかって雫に告白して振られたか」
ちゃんと告白をして、関係や気持ちにきちんと区切りを付けられる方がよっぽどいい。
つーか、告白だけじゃなくて、振られたまでがセットかよ。
「告白もしてないし、振られてもない。ただ、俺が一方的に綿矢さんを傷つけて、距離置いたってところ」
「ふーん、そっか」
伊緒は再びお茶を飲むと今度はみたらし団子に手を伸ばす。
「なんだ、気にしてた割には反応が薄いな」
「だって、龍君がそういうふうに言うってことは、もう、自分で間違ったことをしたってわかってんだろ」
「まあ、そうだけど」
みたらし団子の餡を口に付けた伊緒がさらに続ける。
「わかっていて、ボクに話したってことは、龍君はボクに叱って欲しいってことか? 何やってんだとか早く仲直りしろとかって」
伊緒に言われて初めてそうなんだと気付いた。
俺が綿矢さんに話したことを正しいと思っていたらこんなふうに伊緒に話すなんてことはしない。
「……そうかもな」
「それは甘いというか虫がいいんじゃないか? 叱られて事が収まるのは義務教育までだぞ」
俺は伊緒の淹れてくれたお茶を一口飲む。お嬢様育ちの伊緒の淹れたお茶だから少し心配したが、俺なんかより美味しく淹れている。
「どうせ龍君のことだから自分の頭の中だけで考えて、一番いいと思う方法を取ったんだと思うけど、雫とちゃんと話してないだろ」
あまりの図星になんと返事をしていいかわからない。
「そうやって、自分の考えだけで突き進むと、雫がボクの二の舞になって、ずっと疎遠になるぞ」
俺は綿矢さんとどれだけ話ができていただろうか、綿矢さんが望む形をちゃんと聞けていたか……。
「俺、どうしたらいい? 今は綿矢さんに話し掛けても前みたいに話せないし、LINEは既読スルーだし」
「一人でできないならどうする?」
今度失敗したら本当に綿矢さんとはもう友達に戻れないかもしれない。
でも、何もやらないままでは今の状況を打破できない。
「伊緒、力を貸して、助けて。俺一人じゃ、上手くできない」
俺の頼み聞くと伊緒はお茶を飲んで一息置いてから、芝居掛かった口調で話す。
「龍君からのヘルプとなれば手を貸さないわけにはいかないからな」
「ありがとう」
「ダメだった時は悲しんでる龍君をボクがたっぷり甘やかしてダメ人間にしてあげるから安心しろ」
優しいように聞こえるけど、ダメ人間になるくらい甘やかすってちょっと怖い。
何かが解決したわけじゃない。ただ、一緒に戦ってくれる人がいると思えるだけで肩が軽くなった。
テーブルに置かれた俺の分の栗あんのお団子を頬張る。
「やっぱ、美味いな」
「龍君、栗あん好きだもんな」
「俺が栗あん好きだってよく覚えてたな」
「付き合いが長いっていうのもあるが、ボクは許嫁だからな。何があってもボクは龍君を助けるから」
そう言うと、伊緒は本日三本目の抹茶あんに手を伸ばした。
こいつ何本食べる気だ。
― ― ― ― ―
今日も読んでいただきありがとうございます。
いよいよあと2話。伊緒はどんなアシストをする?
皆様の応援が何よりの活力でございます。
次回更新予定は1月7日AM6:00頃です。
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