第33話 彼女が聖女である理由

 外装展示の中に設置されたライトによって切り絵、題字、幾何学模様が幻想的に照らされている。


 最終下校時間が迫っていて他のクラスの生徒の姿もすでにない。


「よかった。間に合って」


 完成してから慌ただしく片付けと掃除をしてたからその実感がなかった。


 みんなが帰った後で、改めてその出来を見たくてこうやってひとり残っている。


 姉さんとマスターの差し入れのおかげで、その後の追い込みは神懸っていた。


 各々が何をするべきが、どこを手伝えばいいのかが自然とわかっているようで、俺がほとんど指示をしなくてもクラス全体が一つになって動いていた。


 そうだ、今のうちに資料用の写真撮っとこ。

 来年の幹事の人に向けた資料用に寄りの写真、引きの写真、角度を変えた写真等を撮っていく。


「いい作品ができたね」

「うおっ!?」


 夜の学校で急に声を掛けられることほどホラーなものはない。


 反射的に振り向くと今日は品のいい紺のスーツを着た理事長先生が立っていた。


「すまないね。驚かせてしまって」

「いえ、大丈夫です」


 できれば今度からは足音を消して近づかないでください。


「過去の先輩達の作品を研究してそれをさらに発展させていく。まさに温故知新――今年のテーマどおりの作品になっているね」

「ありがとうございます。と言っても俺のやったことなんて大したことはなくて、みんなが上手くやってくれただけです」

「それでいいんだよ」

「そういうものですか」

「前にも言ったように、大変な時は友達やクラスメイトを頼ればいい」


 そういえば、そんなことを言ってたな。でも、今回は頼るというよりも周りが気を遣ってくれて助けてくれたって感じだけど。


 理事長先生はさらに続ける。


「幹事が一人で何でもやろうとしても、できることは限られる。クラスのみんなを目的のために上手く動けるようにお膳立てをしてあげることが幹事にとって大切なことの一つだよ」

「それなら幹事としてちょっとはうまく振舞えたのかもしれません。俺はクラスでも目立たなくて、発言力もないので裏方の裏方みたいなことをしていましたから。俺にできないことを綿矢さん――雫さんが上手く補ってくれて助かりました」


 いつも飄々としてる理事長先生の眉がぴくっと動いた。


 前回、木枠を組んでいる時に理事長先生が俺の名前を知っていたのが気になって調べてみると理由はすぐにわかった。


 理事長先生の名前は三枚堂虎丸。


 三枚堂なんて珍しい苗字だから、きっと担任の三枚堂先生のお父さんであり、綿矢さんのお父さんでもあるはず。


 そう考えると、見え方が変わってくることがある。


 初めて理事長先生と会った水飲み場で、綿矢さんが動揺していたのは服が濡れていたからじゃなくで、聖女様モードでない場面で父親に会ってしまったから。


 三枚堂先生が幹事を俺に頼んだ時に話してた先生が担任であることの意味は、綿矢さんに変な虫が付かないかという過保護的対応。


 俺の名前を知っていたのは、三枚堂先生が知ったのと同じで雨の日に姉さんが綿矢さんを家まで送ったことで俺の情報が家の人から三枚堂先生だけじゃなく、当然、理事長先生の方にも伝えられたから。


「……雫は、丹下君が気付いていることは知っているのかな」


 理事長先生はさっきと調子を変えることなく穏やかなままだ。


「知らないと思います。理事長先生のことを二人で話したことはありませんので」

「そうか……、丹下君なら言わなくてもわかると思うけど、このことは雫のためにも他言しないように頼むよ。あの子もそう願って――」

「丹下君っ」


 廊下に響く声に反応して振り向くと、息を弾ませた綿矢さんが立っていた。


 ●【雫視点】


 夜の昇降口は蛍光灯の白が際立ち、いつもならそれだけで寂しさを漂わせる。


 しかし、今日は最終下校時間が迫っても、ぎりぎりまで明日の準備をしていた生徒で賑わっていて寂しさがどこかへ行ってしまっているよう。


「遅いな。丹下君……」


 準備が終わって解散になった後、一緒に帰ろうと思って待っているのに一向にやってこない。


 丹下君の外履きはまだ靴入れに残っているから先に帰ったということはないはず。


 最近はお互いに準備に向けて忙しかったり、疲れ切っていたりしてゲームを一緒にすることができていない。


 そうなると、私がアイリスでいられる時間がなくなるわけで、それが私にとってはちょっと辛い。


 学校にいる時の自分が負担というわけではない。聖女様といわれるように振舞うことが、もう自然なものだし、無意識のうちにこの仮面を被って生活してる。


 でも、アイリスでいる間は、身に纏っている仮面や鎧を脱いで素の自分としていられるから何とも心地いい。


 もしかして、まだ何か明日の準備をしてるのかな。まったく、そういう抜け駆けはしなくていいのに。


 身体を預けていた壁から背中を離すと、さっきまで作業をしていた教室へ怒られない程度の速さで廊下を駆ける。


 誰もいない廊下を進み角を曲がって、外装展示のある廊下に入るとそこには丹下君とお父さんが……。


「丹下君っ」


 どうして、お父さんと丹下君が一緒にいるの、何をしているのという疑問が浮かぶのと同時に彼の名を呼んだ。


 私の呼びかけで振り向いた丹下君は何ともばつの悪そうな顔をしている。


「綿矢さん、どうしたの? まだ帰ってなかったんだ」

「一緒に帰ろうと思ったのですが、なかなか来ないので」


 気まずい空気が支配するなか、互いに取り繕ったような会話をする。


 お父さんがわざとらしく腕時計を確認すると、

「ああ、もう最終下校時間を過ぎちゃってるね。二人とも早く帰りなさい」


 お父さんの一言で場の空気が少し緩んだ。

 丹下君が鞄を背負って二人でお父さんに挨拶をして昇降口に向かう。


 さっき、二人は何を話していたんだろう。


「……さっき、一緒にいたのって」

「うん……、理事長先生」

「そ、そうでしたか。前に会ったときは用務員さんかと……」

「俺もこないだまでそう思ってた……」


 隣を歩く丹下君の横顔は特に怒っている様子はない。


 でも、さっきの表情や今のぎこちない話し方からしてきっと、丹下君は理事長先生がお父さんだってことを知ってる。


「……お父さんのこと隠してたの怒ってますか?」

「ううん、全然。むしろ、俺の方がすまないと思ってる」


 一度足を止めた丹下君は私の方を向いて深く頭を下げた。


「どうして、そんな」

「仮に理事長先生が綿矢さんのお父さんだとわかったとしても、綿矢さんの方から話さないなら黙っておいて、気付いてない振りをすべきだったなって反省してる」

「私の方こそ、兄さんとの関係を話したときに一緒に話すべきでした。きっと、そのうちばれることなのに」


 あの時、丹下君にお父さんのことまで言わなかったのは、私が理事長の娘ってことを知って変な壁ができるんじゃないかって恐れたから。ただでさえ、担任の先生が兄なのにさらに父が理事長となれば、普通は身構えてしまう。


 そうさせないために情報の量を調整するという打算を働かせた。

 時々自分のこういうところが嫌になる。


「それは綿矢さんの家の事情もあるだろうから」


 丹下君は俯いたまま言葉を零すように話す。


「父とは仲が悪いわけではありません。むしろ、あの家の者でない私によくしてくれています」


 きっと、私のことを話すなら今。

 この機会を逃すとすっきりしない感じのままでいないといけない。


 私と丹下君を除いて誰もいない昇降口で、今まで誰にも話したことのない話を始めた。


「私は三枚堂の家に来る前の思い出がほとんどありません。残っているのは〝痛い〟〝怖い〟〝やめて〟というような感情ばかりです」


「それって……、虐待されてたってこと?」


「当時はわかりせんでしたが、きっとそうなのだと思います。そして、ある日、お父さんが迎えに来てくれました。お父さんも奥さんも兄さんも私に優しくしてくれましたが、親戚の人はそうではありませんでした。生まれるべきではなかった子をお父さんが拾ってきたというところでしょうか。さらに、奥さんが亡くなった時も私があの家にいることで心労が溜まり病気になって死んだ。この疫病神と口を揃えて言われました」


「ひどい……」


 ひどい話のように聞こえるけど、所詮、妾の子である私はあの人たちからすればただの疫病神なだけ。


 救いだったのはお父さんも兄さんもそんなことを言われる私を庇い、その人たちを諫めていたこと。


「私はあの人たちにこれ以上文句を言わせたくないんです。そうしないと、これだけよくしてもらっているお父さんや兄さんに申し訳が立たないんです。だから、私はちゃんとしないといけないんです。勉強もできて、友達もいて、先生の言うことをきいて、みんなが嫌がるようなことだって率先してやる。そうやって後ろ指を刺されないような子でないといけないんです」


 悲しくもない、悔しくもないのに頬を涙が伝っていく。


 自分の中で堰き止められていたものが言葉になって溢れ出し、それと一緒に涙も溢れ出している。


 止まらない涙を丹下君がそっとハンカチで拭いてくれた。


「綿矢さんが学校できちっとしてるのはそういうことだったんだ」

「はい。でも、兄さんはそこまでやる私を心配して、ゲームの中にいる時ぐらいはいい子でなくていいからってオンラインゲームを勧めてくれたんです」


 ゲームの世界にいる時は必要以上に気を遣わないし、丁寧でいることもない。言いたいことを言って、学校ではしない馬鹿な話で盛り上がれる。


「そして、そこで俺を見つけてくれたってわけだ」

「初めて会った頃のタツはなんだか昔の自分に似ている気がしたんです。それでほっとけなくて」


 何万人といるプレーヤーの中でたまたま声を掛けた人が、今、こうして私の目の前にいる。これは単なる偶然なのかそれともなにか特別な縁なのか。


「俺を見つけてくれてありがとう」


 丹下君はもう一度私の涙を拭いて、ハンカチをポケットにしまうと、そっと私の手を握った。


「さっ、早くしないと昇降口閉められるから帰ろう」

「あっ、えっ」

「ん? どうした」

「……手」

「…………」


 丹下君が私の手を握ったのは無意識だったようで、それに気づくと硬直したまま耳が紅くなっていった。


「ご、ごめん」


 離そうとする手を私は逆にぎゅっと握り返して逃がさない。


「友達なんだから手くらい繋いだっていいじゃないですか」

「そういうのは、小学生までで、高校生にもなってそんなことは……」

「そんなことは何です?」

「わ、わかった。繋いだままでいいから早く靴を履き替えよう」


 靴箱までの短い距離だけど、丹下君は手を繋いだまま私を連れてくれた。


 ― ― ― ― ―

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 今年も皆様に楽しいをたくさん届けられるように頑張っていきます。

 皆様からコメントレビューもお待ちしています。

 ★★★評価、ブックマーク、応援、コメントよろしくお願いします。

 皆様の応援が何よりの活力でございます。

 次回更新予定は1月2日AM6:00頃です。

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