第23話 兄と妹

 午後のホームルームの時間は、三枚堂先生が昼休憩に言っていた通りうちの高校の文化祭である智慶祭に向けての内容だった。


 智慶祭では一年生の各クラスは例年、展示作品での参加となっていて、模擬店や演劇といったい文化祭の花形となるようなものは二年生以上が担うということらしい。


 となれば、当然ながらクラスメイトのテンションは上がらない。

 そりゃ、クラスの中心になるような陽キャたちは上級生がやるような出し物をやりたい連中ばかりだ。


「それじゃあ、クラス展示の幹事を決めるぞ」


 先生のこの発言の時点でこの役を率先してやりたいという空気が微塵を感じられない。

 これは貧乏くじの押し付け合いになりそうだ。


「――幹事やってくれる人はいるか」

「……はい」


 二呼吸おいて、誰も手を挙げないのを確認してから俺はそっと手を挙げた。


 背景専門の名もなきモブでありたい俺はこんなところで幹事に立候補なんてする柄じゃない。それにもかかわらず、こうやってスポットライトの当たる表舞台に出てきたのにはそれなりの理由というか事情がある。


 ――事の始まりは、昨日の日曜日にまで遡らないといけない。


 ●


 日曜日の昼下がり、俺は綿矢さんが持って来てくれた課題プリントを片付けるべく、勉強道具を鞄に詰めて自転車で近所の図書館に向かった。家で勉強してもいいが、たまにはちょっと気分を変えようという気になったからだ。


 しかし、図書館の自習スペースは満席で入館からわずか数分で出てきた。最近はパソコンを持ち込んで勉強したり、仕事をしたりする人が増えて混雑しているらしい。


 一度、外で勉強しようという気分になってしまっているので、今さら家に帰ってやるという気にはなれない。


 さて、どうしたものか……。


 図書館を出て駐輪場まで歩きながらこの辺りのそれなりに落ち着いていそうな場所を脳内で検索する。


 そういえば、あそこ……、今日は姉さんもバイトが休みだからいないはず。


 俺は再び自転車に乗ると我がギルドのマスターのお店、カフェ・ヒラソルへと向かった。


 可愛らしいドアベルを鳴らしながら店内に入ると、カウンターには今日も強面なマスターが立っていて、ランチタイムを過ぎた店内は空いているテーブルもいくつかある。


「こんにちは、マスター」

「いらっしゃい。今日は雫ちゃんは一緒じゃないのか」

「そんな、いつも一緒ってわけじゃないですよ」


 勉強しやすいように二人掛けの席に座ったからか勘違いしたのかもしれない。


 運ばれてきたブレンドを一口飲んで、綿矢さんのノートのコピーを確認する。


 板書を書き写すだけでなく先生の話したこともメモを取ってわかりやすく書かれたノート。


 あの日、綿矢さんには、学校を休むこととノートを後日見せて欲しいとメッセージを送って、伊緒には休むことについてだけメッセージを送った。


 伊緒にノートを頼まなかったのは、あいつの字が達筆すぎてコピーをもらっても解読が大変だから。達筆というのは皮肉でもなんでもなく本当のことで、あいつはシャーペンじゃなくて、筆でノートを取っているんじゃないかって思うほどだ。


 しかし、伊緒は珍しく学校を休んだ俺を心配してくれたのか、その日のノートをスマホのカメラで撮ってLINEしてくれた。


 お礼のメッセージを送るとすぐに『お礼はイヨシコーラで頼む』と返事が来た。


 イヨシコーラというのは我が街で売られている一〇〇年以上前から伝わるレシピで作られたちょっと高級なコーラだ。


 あいつ、俺よりずっと小遣いもらってるくせに。


 ノートの内容や教科書を確認しながら課題を進めているとしばらくして入口のカウベルが鳴り俺は反射的に顔を上げた。


「おっ、丹下、もう体調はいいのか」


 学校で毎日聞いている声をまさか休みの日にも聞くなんて。


 顔を上げると担任の三枚堂先生が立っている。


 ここは日曜日だけど学校モードでの対応がベター。


「はい、熱は金曜日には下がったので、今日はここで課題を片付けようと」

「ここは学校じゃないからそんなかしこまるな。それに今日は俺だって休みだ」


 爽やかな笑顔を振りまきながら話す三枚堂先生。


 まったくイケメンというのは顔だけじゃなくてセリフも爽やかだな。


「それにしても、すぐに治ってなにより。やっぱり、木曜日の雨に濡れたからか?」

「先生、どうして濡れたって知ってるんですか」

「そ、それはだな。あのタイミングで風邪を引いたからそうじゃないかって思ったんだ」


 たしかにあの日の雨は激しかったけど、綿矢さんと一緒じゃなかったら風邪をひくほど濡れることはなかったんじゃないかな。


「じゃ、じゃあ、俺はあっちでゆっくりしているから。丹下も頑張りすぎて、また熱が上がらないようにな」


 三枚堂先生はそう言うと、カウンター席の端に座って注文を告げ、マスターと親し気に話し始めた。


 マスター、三枚堂先生とも知り合いなんだ。世間は狭いな。


 休みの日でお互いにプライベートな時間なので、俺はそれ以上三枚堂先生に興味を持つことなく再び課題に取り組む。


 課題に集中していくと隣のテーブルの会話も気にならなくなってきた。


 カランカラン


 入口のカウベルが鳴っても、特に気に留めないでいると、

「ちょっと、兄さん、丹下君といるってどういうことですか」


 隣で話している人の声は耳に入ってこないのに俺の耳は自然とその声を捉える。


「ん? おっと、〝と〟と〝が〟を打ち間違えたな」


 顔を上げると、先生に詰め寄った綿矢さんがはっとした表情でこちらを見ている。


 今、三枚堂先生のことを兄さんって呼んでなかったか?


 綿矢さんは学校で振り撒いている聖女様モードの笑顔の三割増くらいのにこやかな顔のままこちらに向かって来て、俺が使っていない向かいの椅子に座った。


 笑顔なのに何だかぞくっとしたものを感じるのは俺だけか。


「あら、丹下君、休みの日にこんなところで逢うなんて奇遇ですね」

「そ、そうだね」

「「…………」」


 学校じゃないのに聖女様モードの綿矢さん。


それにさっきの先生との会話、いつもより盛った笑顔……。これってさっきのあれに触れるなってことでいいんだよな。


 こういう時って次の会話をどんな風に切り出せばいい? 

とりあえず、天気の話でもしておけばいいのか。


 なかなか秋らしい気候にならないね。そんなことを言おうかと考えていると、

「やっぱり、ずっと隠すってわけには――」


 頭を抱えながら呟いた綿矢さんは気持ちを決めたように手を膝の上に置いて、俯かせていた顔を上げた。


「丹下君、さっきのことだけど」

「は、はい」

「聞いちゃったよね」

「まあ、その……、はい」


 さすがにここで、すっとぼけるのは無理がある。


「だよねー。さっきの……、三枚堂先生のことを兄さんって呼んだのは、そのままというか、本当のこと」

「う、うん」


 いつもならマジかよって言ってしまうところだけど、ぐっとその言葉を飲み込む。


 俺だって小学生じゃないから先生と綿矢さんの苗字が違うってことは、何かしらの事情があるのだろうと察しは付く。それがわかっていて、いつものノリでリアクションはできない。


「でも、兄妹って言っても血は半分しか繋がってないの。兄さんと違って私は妾の子。今は三枚堂家に置いてもらっているけどね」


 こんな時、なんて言っていいかわからない。そうなんだって言うのが限界だ。


「あっ、この話、超超トップシークレットだからね。学校でも誰も知らないし。まあ、知られていたら宗昭むねあき兄さんがうちのクラスの担任にはならないだろうし」

「……よかったのか。俺なんかに話して」

「そうだね。丹下君が友達じゃなかったら夜の闇に紛れて口を塞ぐとか電気ショックで数日分くらい記憶を吹っ飛ばすとかしたかもしれないね」

「友達でよかったー」

「それに丹下君にはいつまでもこのこと隠せないだろうし、嘘をつくのも嫌だから」


 綿矢さんが沈黙を以て、このことに触れて欲しくないと言えば、俺は適当に天気の話でもしてただろう。だけど、きっと喉に小骨が刺さったような感覚が残ったに違いない。


 そう、自分の恋人が街で知らない男と一緒にいるのを一瞬見てしまったようなそんな感じ。


「話してくれて、ありがとう。誰にも言ったりしないからそこは安心して」

「うん、こっちこそありがとう」


 ニっと笑った綿矢さんの笑顔はさっきの聖女様モードの時なんかよりもずっと可愛らしくて思わずドキリとしてしまった。


「はい、雫ちゃんどうぞ」


 顔を上げるとマスターが綿矢さんにカフェオレを運んできた。


「すいません。マスター、私まだ注文してなかったと思うんですが」

「これは三枚堂から。注文してお代だけ払ったら帰っちまったけどな」


 身体をちょっと横に倒してマスターで隠れてしまったカウンター席の方を見ると確かにさっきまで三枚堂先生が座っていた席は空になっている。


「しまった。逃げられた」

「逃げられた?」

「うん、兄さんは絶対にわざと私に間違ったLINEを送ってきたはずだから締めようと思ってたのに」


 眉を吊り上げてギリッと歯を食いしばる綿矢さん。


 妹を怒らせて、カフェオレで買収しようなんて、教師としてどうかと思う。本当に大丈夫か三枚堂先生。


「まあまあ、あいつも悪気があってやったってわけじゃないと思うから」


 そう言うと、マスターはいつもの定位置であるカウンターの方へと戻って行った。


 綿矢さんは運ばれてきたカフェオレにせっかくだからといって口を付け、一つため息をつく。すると、ため息と一緒に怒った気持ちも吐き出されたのか、さっきよりも柔和な表情になった。


「ねえ、綿矢さんはどうして先生と俺が一緒にいるってLINEでそんなに焦ってここまで来たの」

「そ、それは、兄さんが何か変なことを丹下君に吹き込まないかって心配になって……」

「さすがにそれは心配し過ぎじゃ」

「だって、兄さんもゲームで同じギルドにいるから」


 マジか!? 

 マスターと先生は親しそうに話していたのもそういうわけか。

 世間の狭さをますます感じる。


「そういうことか」

「そういうこと。丹下君は課題をするためにここに?」

「うん。……そうだ、ねえ、ここのところちょっとわからないんだけど教えてくれない?」


 俺は課題のなかでいくつかわからないところがあったからそれを綿矢さんに聞くことにした。


「しょうがない。特別に教えてさしあげよう」


 綿矢さんはメガネクイッのジェスチャーをするとノートのコピーを使いながら特別講義を始めてくれた。


― ― ― ― ―

 今日も読んでいただきありがとうございます。

 実は学園ラブコメで文化祭のような大きなイベント書くの初めてです。

 皆様からコメントレビューもお待ちしています。

 ★★★評価、ブックマーク、応援、コメントよろしくお願いします。

 皆様の応援が何よりの活力でございます。

 次回更新予定は12月23日AM6:00です。

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