第22話 雨、縮まる距離⑤雫視点/龍之介視点
室内からの反応なし。
寝ているのか。それとも本当に呼吸の確認が必要な状態か……。
当然、寝ているはずだから、起こさないようにそっと扉を開けて入る。
なんだか寝ている人の部屋にそっと入るのってすごく悪いことをしている気がする。
お父さん、兄さん、私悪い子になったようです。
部屋に入ると丹下君が今日はずっとこの部屋で休んでいたからか、部屋に満ちる彼の匂いでトントンと心臓の鼓動が早くなる。
しかし、それは緊張とかではなくて、どこか心地よさを感じるものだった。
丹下君の部屋は私が思っていたよりもさっぱりとしていた。
片付いた机にはモニターとPC、胸高の本棚とベッド。これが八畳くらいの部屋にあるから余白が多い。
床にお見舞いの品を置いて、ベッドに横になっている丹下君の様子を確認する。
これはあくまで七海さんに頼まれたことだから。
見下ろすように上から様子を確認するけど特に苦しそうな様子はない。
「ごめんね。私のせいで風邪ひかせちゃって」
無意識に言葉が零れてしまった。
すると、私の言葉に反応したのか丹下君の眉間にしわが寄る。
「……しず……」
「へっ!?」
思わす声が漏れてしまい、急いで口を手で覆った。
まずい。これ以上騒いでは丹下君を起こしちゃう。
だって、今の〝しず〟というのは、丹下君が私のことを名前で呼んでいるのかと思ってしまったから。
人は弱ると本音が出るという。
だとしたら、普段は綿矢さんと呼んでくれているけれど、本当は雫と名前で呼びたいということかな。
友達同士なのだから名前で呼んでもいいかなと思うときがある。
ゲームの中では名前というかHNで呼んでいるし。
「姉さん、今いいところだから、静かにして……」
続いて発せられた寝言を聞いて、さっきまで頭に血が集まって熱いと思っていたのにすーっと冷めていくのがわかった。
〝しず〟って〝静〟のことだったのね。
こんな早とちりするなんて恥ずかしすぎる。
深呼吸二回で気持ちを一度落ち着かせる。
そうだ、朝のLINEのメッセージでは熱があるということだったけど、そっちはどうだろう。
体温計がないかとベッドの周りを見渡すが、それらしきものはない。
でも、体温計だと計測が終わった時の音で起きちゃうかもしれない。となれば、熱があるかを確認する方法はアナログというか感覚で測るしかない。
ベッドに腰掛け、片手をベッドについて、反対の手で前髪を上げておでこに手を置いた。
すごく熱いという感じはしないけど、普段からこうして誰かの熱を測っているわけではないから、いまいちよくわからない。
他に熱を測る方法で私が知っているものと言えば、おでこ同士をくっつけて自分と比べて相手が高いか低いかを確認する方法。
いやいや、さすがにそれはダメでしょ。おでことおでこは近すぎるよ……。
ベッドに腰掛けたまま丹下君の顔を見ることしばし。
よし、やろう。
七海さんから留守中の丹下君の様子を見てと頼まれているのだから、おでこが軽く触れるくらいのことは必要なこと。決してやましい事でもなんでもない。
急いで近づいては勢い余ってごつんとなってしまうからゆっくりと近づく。
徐々に大きなる彼の寝息。
飛行機が滑走路に着陸するように侵入方向と角度を確認して……。
うん、熱くない。むしろ、私とほぼ同じじゃないか――。
――えっ!?
一瞬何が起きたかわからなかった。丹下君とおでこを合わせていたはずなのに次の瞬間には私の身体は腰掛けていた態勢からベッドに横たえられて、彼の腕に抱き寄せられている。
つまり、丹下君が寝返りを打った拍子に私は抱き枕のように抱かれているという態勢になってしまった。
えっ、ちょっ、ちょっと、さすがにこれは。
寝ているだけの相手なのだからこちらがその気になってこの状況から脱出しようと思えばできるはず。しかし、制御できない心臓の鼓動と胸をきゅっと締め付ける何かが金縛りのように身体の自由を奪う。
丹下君はお気に入りのぬいぐるみと寝ている子供のように私を抱きしめ、ぬいぐるみ愛でるように私も愛で始めた。
丹下君、本当に寝てるよね?
● 龍之介視点
昨夜からの発熱は昼を過ぎた頃からよくなってきた。発熱以外の目立った症状はないから最近の疲れと雨に濡れたことが原因だろう。
綿矢さんと友達になる前は学校に行って一日一言も話さないという日があっても珍しくはなかった。家族との会話を除けば、ゲームをしながらのアイリスとの会話が一日の大部分を占めていたと言ってもいい。
そんな生活をしていたのに、あの日、綿矢さんと友達になってから生活が一変した。天下太平の世だったのに綿矢さんという黒船の襲来で開国。そして、文明開化といったところか。
あまりの変化の速さにきっと俺の身体と心が追い付いていないのだろう。
大学での講義が午前中までだった姉さんがバイト前に生存確認ということで一度家に戻って来てくれた。
体調悪いときはうどんがいいよねなんて言って、作ってくれたうどんは優しい出汁の味が身体に染みるものだった。あんないい加減な性格なのに意外と料理は上手い。
少し遅めの昼ご飯を食べたら再びベッドで横になる。
この調子で熱が下がれば今日中には平熱まで下がりそうだ。
姉さんの優しい味のうどんのおかげだろうか、眠りに落ちた俺はいつにも増して多幸感に満ちた夢を見ていた。
今までペットを飼ったことなんてないのに、なぜか我が家に大型犬がいる。
リビングのソファーに座りながらよしよしと首の下を撫でると、大型犬はもっと撫でてくれと俺を押し倒してきた。シャンプーしたばかりだろうか、いい香りを纏ったそいつをソファーで横になりながら、わしゃわしゃと撫で回す。
うわぁ、めっちゃ可愛い。ずっとこうして撫でていたい。
でも、幸せな時間は突然終わってしまった。
撫でている途中で急に機嫌が悪くなったのか犬が俺の手をがぶっと噛んだ。
びっくりしたのと痛っと思った瞬間、ソファーも犬も消えて、いつもの俺の部屋に戻って来た。
ただ、いつもと違う点が一つ。
息をハァハァと切らした綿矢さんが俺のベッドに腰掛けている。
「綿矢……さん?」
潤んだ瞳に下がり気味の眉。いつもより頬が朱い気がする。
「…………」
手を口元に当てて、こっちに視線を合わせない。
どうして綿矢さんが俺の部屋に?
これは夢の続きだろうか。
時々、眠りが浅いと夢とも現実ともつかないような夢を見ることがある。
さっきだって、我が家にいないはずの犬がいたのだから、我が家にいないはずの綿矢さんがここにいるというのもまた夢なのかもしれない。
「さっきのは……、さっきのは寝ぼけてた?」
「さっきのって何のこと」
「覚えてない?」
「覚えてるも何も、寝てたから何のことかさっぱりわからないんだけど」
この世界が夢なのか現実なのはまだ区別がつかない。俺の部屋に綿矢さんがいるってところからすると七割くらい夢な気がする。
「お、覚えてないなら忘れて、忘却の彼方まで記憶を飛ばして」
覚えてないのに忘れろなんて理不尽極まりない要求に応えることできない。俺が店員だったらカスハラで訴えるところだ。
「ちょっと待って、これって現実? それとも夢?」
「まだ、寝ぼけてるなら目を冷まさせようか」
綿矢さんが手を大きく振りかぶった。あれが頬に炸裂したら首が三六〇度は回りそう。
「現実だな」
「そう、現実……、リアルなの」
「えっと、俺、寝てる時に何か言ってた?」
寝言で何か失礼なことを言っていたかもしれない。
「ううん、寝言は……、ただ、私、もう……」
「えっ、えっ、寝てる時に何があったの」
「だめ……、秘密」
再び、手を口元に当て視線をそらす綿矢さん。
ねえ、そのリアクションって、いったい何があったの?
それって逮捕事案じゃないよね。寝てたからセーフだよね。
それから、どうして、綿矢さんは俺の部屋にいるのぉぉぉ。
― ― ― ― ―
今日も読んでいただきありがとうございます。
次回から、文化祭編に突入です。
皆様からコメントレビューもお待ちしています。
皆様の応援が何よりの活力でございます。
次回更新予定は12月22日AM6:00です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます