第2話 仕事簡単にして闇深し
「それやります。よろしくお願いいたします」
小さく震える指でそう入力して送ると、スマホを握る手がじっとり汗ばんだ。
とうとう闇バイトに申し込んでしまった。自分の方からやるとお願いしてしまった。ほんの興味本位半分で、ただ話を聞くだけのつもりだったのに、北別府の話術の巧みさか、あるいは「送迎するだけで20万」という楽そうで儲かりそうな話に俺が転んでしまったのか――兎にも角も自分から「やらせてください」とお願いしてしまった。
つい昨日まで「闇バイトなんかに手を出す奴はアホだ」なんて偉そうに思っていた俺が、いつの間にやらそのアホに成り下がってしまっている。人間、貧しちゃうと、こうも簡単に鈍するものなんだな、と改めて感じ入った。
それより何より、次はいよいよ闇バイトの元締めと直接話すことになるのだ。今までニュースの中でしか見たことなかった奴らと、とうとう直接の関係が出来ちゃうのか。そんなんで大丈夫か俺?カラカラに渇いた喉を鳴らし、唾を飲み込む。すると俺の後悔を防ぐように北別府が俺の退路を断つ一手を打ってきた。
「かしこまりました(^^)。ご決断ありがとうございます(^^)。では土御門様が今お使いになってる携帯の番号をお教えください(^^)」
え? 携帯の番号?メッセージアプリでやり取りするわけじゃないのか。スマホの番号に連絡してくるってこと?何の意味があるんだ?携帯番号なんかを犯罪者軍団に教えるのは嫌だが、自分から仕事をお願いした手前ここは送るしかない。
080で始まる俺の携帯番号を送ると、すぐに北別府から返事が届いた。
「ありがとうございました(^^)。募集主の方へ連絡致しました(^^)。10分ほどで連絡が来ると思います。待つ間に免許証かマイナンバーカード、パスポートなど、写真付き身分証明書を一つご準備ください(^^)」
「分かりました……」
……え? マジかよ免許証の控えも握られちゃうのか。なんだかどんどん悪い方向へ進んでるな。慌てて財布を取り出して手元に置く。
「それでは本日はありがとうございました(^^)!リクルーターの北別府でした(^^)!土御門様の今後のご活躍をお祈り申し上げます(^^)。」
何だよ「ご活躍」って。
活躍なんか祈んじゃねーよ! 闇バイトで活躍なんかしたら、それこそやべーだろ!毒づきながらメッセージアプリを閉じる。次の瞬間どっと疲れが押し寄せた。
はぁー、しんどいわ。体を大の字に投げ出し、煤けた天井を見上げながら今日の予定を考える。とりあえず、今のうちに会社に「今日は休む」と連絡しておかないとヤバいだろう。ぼちぼち営業が動き出す時間だ。変に騒がれる前に連絡を済ませておかねばならない。
時計を見ると、9時まであと10分ちょっと。窓の外ではすでに日常の午前中が動き出している。そろそろ課長が「おい、津田はまだ来てないの?今日休みか?」などと言い出している頃だ。
深く長いため息をつき、スマホを手に取り事務所の番号をタップする。
呼び出し音が鳴る間もなく電話が繋がり、営業事務のお局、井上さんの声が聞こえた。
「京精巧メカニクスでーす」
「井上さん、お疲れ様です。津田です……。実は急に高熱が出ちゃいまして……はい、インフルかコロナか分かんないですけど、今日はお休みさせてください。ええ、課長にお伝えいただければ……。申し訳ありません……ありがとうございます」
適当に並べた言い訳を話している最中、耳元でショートメッセージの着信音が鳴った。
「展開はえーだろ。10分どころか2分ちょいじゃねーか。もうちょっとゆっくりやろうぜ……」
電話を切ってスマホの画面を見ると、発信者番号が非通知のショートメッセージが届いていた。それをタップしてメッセージを確認すると、ぞんざいに書き散らされた内容が目に飛び込んでくる。
「このアプリ入れてアカウント作ったら、ID『LUPIN5525』をフレンド登録して。終わったら出来ましたってメッセージおくれ」
リンク付きのメッセージには、見知らぬアプリの名前と、仕事の募集主のものらしき連絡先IDが記載されている。テレクサー? 聞いたこともないアプリだ。これがテレビとかでよく言ってる、「秘匿性が高い通信アプリ」とかいうやつか?
――つか、いきなり命令口調かよ。何が『送れ』だ? まだ金も貰ってねえのに、何様のつもりだっつんだ。
ブツブツと不満を言いつつも、指は言われた通りに動いてしまう。言われた通りやらなければ金は手に入らないのだ。
メッセージのリンクからアプリをダウンロードし、スマホにインストールする。「開く」をタップして起動すると、それはメッセージと通話のボタンしかない驚くほどシンプルな造りだった。
適当な名前でアカウントを作成し、送られてきたID『LUPIN5525』をフレンド登録した。そしてメッセージ作成画面で「出来ました」と打ち込む。
送信ボタンを押そうとして一瞬だけ指が止まる。これ送っちゃったらいよいよだぞ、前頭葉がそう語りかけてくる、が、しかし思考を遮断して送信ボタンを押した。その瞬間、胸の奥がじわりと重たくなる。今まで一切かかわりのなかった裏社会の人間と、直接やり取りする新しい人生の1ページが始まってしまったのだ。例えようのない、何だかどす黒い不安が俺を包み込む。これからの俺の生活大丈夫なのかな?そんな心配が交錯する中、またスマホが振動した。
届いたメッセージを開くと――
「先ず最初に自撮り写真送って下さい」
画面を見つめたまま硬直する。
いきなり自撮りかよ?……マジか。顔バレちゃうじゃん。大丈夫かよ?相手は闇バイトを仕切ってるような反社だぞ。
スマホを持つ手にまた汗が滲む。とはいえ、ここまで来たらもう引き返せないのだ。来月までに最低でも100万は稼がなければ、俺は確実に自己破産だ。そうなったら貯金もない、住む場所もない、食い物もない……そんなホームレス生活が始まってしまう。だからそうならないためにも、今は闇バイトとは言え借金を返せる方法を頑張るしかないのだ。勿論、違法な仕事は避ける前提だが。違法でないのなら何だってやっていくしかない。
そう自分に言い聞かせ、スマホを構えてパシャリ。さっき顔を洗っておいてよかったな。
すると待っていたかのようにすぐに次のメッセージが届く。
すると待っていたかのように次のメッセージが届いた。
「マイナンバーカードか免許証を写メして送ってください。裏表両面」
うわ、キツい。さすがに一瞬ためらう。だが、免許証くらいならどっかに落としてしまったと考えたらいいか。と、自分を無理やり納得させ、財布から免許証を取り出した。
机の上に置いた免許証を前に、少しだけ躊躇した。でも、さっき自撮り写真も送ったし、今さらだよな――。そう思い直し、スマホのカメラで裏表を撮影して送信した。
最初の自撮り写真に続いて、免許証の写真を送って気が付いた。なるほど、こうやって本人確認してるのか。自撮り写真と写真付き身分証の顔が一致しなければ撥ねる仕組みってわけだな。
免許証の両面写真を送信するとまたピロリンと着信音がなって次のメッセージが届く。
「電気、水道、携帯代など、住所が書いてある請求書を送ってください。今送られた写真付き身分証と同じ名前が記載されているもの限定です」
身分証と同じ名前の請求書?今度はこうやって現住所を確認する気か。じわじわと個人情報を握って、応募者をがんじがらめにするつもりだな。仕組みがよく出来てやがる。その知恵を犯罪じゃなく、真っ当な商売に注げば普通に稼げるんじゃねえのか?
ブツブツ文句を言いながらも、冷蔵庫に貼ってあった先月の電気代の請求書を引っ張り出し、スマホで撮影して送信した。
「次にご実家のご連絡先ください」
矢継ぎ早の返信。向こうは毎日こんなやり取りをこなしてるんだろうな。
実家か……大学2年のときに親父が死んで、もうそんなもん存在しない。どうすんだこれ?
「親、死んでて実家無いです」
素直に画面にそう打ち込み、送信する。すると、またすぐに返信が来た。
「母親の方は?両方とも死んだ?」
おい、聞き方ァッ!あまりのフランクさに思わず突っ込みたくなる。
「親父は大学2年のときに死んで、母親は俺が6歳のときに親が離婚してそれっきりです」
送信ボタンを押した瞬間、ふと嫌な予感が頭をよぎった。
やばい、このやり取り……俺、もしかして落とされるんじゃないか?
個人情報だけ取られて終わりとか?闇バイトはやりたかないけど、落ちるのはもっと困るんだよ……。
次のメッセージがなかなか来ないので恐れていると、少し間があってスマホが振動してメッセージの着信を知らせる。
「今、通話できる?」
数秒の間を置きながらも、指は無意識に動いていた。
「はい、大丈夫です」
送信ボタンを押した瞬間、メッセンジャーアプリの音声通話アイコンが点滅し始める。慌ててタップしてスマホに出ると軽いノリの声が耳に飛び込んできた。
「うっす。俺、ルパンね」
いきなりのとんでも自己紹介に、思わず口元が引きつる。
「じゃあ僕は銭形で」そう言いかけた言葉を、ぎりぎりで飲み込んだ。そんな冗談が通じる相手じゃないだろう。それよりも耳に飛び込んで来た声は、不自然なギザギザ感があった。ボイスチェンジャーか?相手も簡単にこちらへ正体を晒すような真似はしないのだろう。相手の警戒ぶりにこちらの緊張度も高まる。
声のトーンや話し方からすると、30代、せいぜい40手前といったところか。音声には時折、甲高いノイズが混じる。鼻をすする音だろうか?微妙に耳障りだ。それにしても、ボイスチェンジャーを通して話しかけてくるってことは、やはり普通の手合いでじゃないんだろな――そう、改めて実感する。しかしここのところは取り合えず話を合わさねば、だ。
「あ、こんにちは。宜しくお願いします。」
それだけを、何とか口にした。
自分の声が少し緊張していることに気付いて、相手にビビってる感を見透かされたんじゃないかと少し気になったが、ルパンと名乗るその男は、そんな俺の様子をまるで気にも留めないように、淡々と話を続ける。
「保証人になれるような人いないの?」
「今んとこは天涯孤独ですね。だから借金頼る人もいなくて……誰か出来たら紹介しますんで」
最後に適当に付け足したが、もちろんそんなことをする気は毛頭ない。紹介なんかする訳ねーだろ、闇バイト仕切ってるお前なんかに。
「君、なんかスポーツとかやってた?格闘技とか」
突然の毛色の違う質問に、少し考える。どう答えるべきなんだろう……?だが質問から時間がたつのを恐れて慌てて口を開いた。反応の悪い鈍い奴と思われるのはいいことじゃないだろう。
「あ、中高6年間、野球やってました。足は速い方だと思います。」
自分から進んで即答しながら、言い終わってしまったと思った。
なんだか、わざわざ「使いやすい材料」を差し出してしまった気がする。
「運転はできるんだよな?仕事は今何やってんの?」
またしても警戒心をくすぐる質問だ。サラリーマン仕事のことは今は隠しておくべきだろう。
「働いてた工場が潰れて、今は無職です。運転は好きです。」
適当にかました後に、最後の一言を付け加えた自分に少し驚いた。いや、運転が好きってのは事実ではあるけれど、なんだか採用されたい一心で媚びているような気がしてならない。この場の空気に合わせてしまうのは、昔からの悪い癖だ。
「大体わかったわ。ちょっと待ってて。今会議するから。」
会議?この状況で?誰と何の会議をするんだよ。天涯孤独の破産間近な奴を雇うかどうか、ホワイトボードに議題でも書くのか?
余計なことが頭をぐるぐると回る中、ただ時間だけが過ぎていく。
何が起きるのか全く見えないまま――。
胸がざわつく。
いっそ落とされてしまえという期待、この状況から抜けられるかもしれないという安堵と、もう既に危険区域に足を踏み入れているのだという恐怖。様々な思いが頭の中を駆け巡る。
「津田君」
突然名前を呼ばれ、思わず背筋が伸びる。名前を知られたくもない奴に君付けで呼ばれる非日常な出来事に、自分からやっていることとは言えドキリとした。
「はい」
「君、採用ね」
……え?マジか!?
「あざっす!」
口では礼を言ったものの、内心はやや複雑だ。これ、ありがたいのか?犯罪者がお前を一味に加えてやるぞ言ってるだけだぜ?俺。お礼を言った後に軽く顔をしかめた。
「君さ、苗字全然『土御門』じゃないじゃん。」
ルパンに突然、俺自身すら忘れてた話を振られて内心焦る。あの北別府に適当に吹かした話が伝わってるのか。
「あ、それ母方の実家の名前らしくて……僕、一度も帰ったことないんですけど」
すかさず出まかせが火を噴いた。今日は調子が良いな、俺。もし今日営業出でいたら仕事の一つや二つ、取れてたかもしれない。
「借金あんだって?」
「はい、FXでトチって200万円ほど。それ返せないと自己破産になるんで何とかしなきゃってことで」
「たった200万でかよ。しょーもな、人生終わってんな」
ルパンが鼻をすすりながら、呆れたように吐き捨てる。ボイスチェンジャーで加工された声が電話のスピーカーから不快な低音になって響く。余計なお世話だ、半グレ野郎。内心イラッとしたが、なんとか飲み込む。にしても、ウザ絡み好きなオッサンだ、面倒臭え……と思いつつも、自分の人生が本当に終わってるかどうか考えると否定しきれないのが悲しいところだ。
「そうなんですよ。本当に今月の家賃もなくて、来月にはアパートも追い出されそうで。借金返済と引っ越し代、その他全部合わせたら200万くらい必要になっちゃって……なのでお願いします、ルパンさん」
取り合えずこの手の、自分が優位な位置からマウント取ってくるアホは持ち上げとくのが一番だ。と言ってもマウント取られまくりでイラつくのでサクッと話を変えよう。
「あの、送迎の仕事って聞いたんですけど」
「ああ、そう。だから免許持ってるやつ探してたんだよ。運転してるよな?ペーパードライバーじゃなくて」
「はい、大丈夫です」
「送迎の仕事さ、今日行けるか?夕方に1件あるんだけど」
急な話に思わずドキリとする。しかし、ここで断ったら今までの苦労が全部無駄になる。
「今日ですか?行けます。何時にどこですか?」
当然ここは即答だろう。
「あーなあ、えーと、ちょっと確認するけど、多分19時に西麻布ピックアップとかだな」
「分かりました。お願いします!」
「分かった。じゃあ集合場所とか詳細、あとで送るから。コワーカー2人と18時にそこで打ち合わせな」
「了解です!」
コワーカー、つまり同僚か。何人かのチームで働くのかな?まあこれで取り合えず自己破産回避へ一歩前進だ、と胸を張りかけた瞬間、予想外の指示が飛んできた。
「それとさ、コワーカー同志はニックネームで呼び合うんだよ。何か考えとけ。好きな色でもスポーツ選手でもいいからさ。」
……ニックネーム?そんな軽いノリなのかよ。
「じゃあ、ベンジョンソンで。」
「誰だっけ、それ?まあいいや。それで行こう。ベンな。」
ベンジョンソンをファーストネームだけで呼ぶのも意味わからんだろ。何だよベンって!と思いながらも、「分かりました」と答える。
「じゃ、後で集合場所と時間を送るから。」それだけ言うと、通話がぶつりと切れた。
さよならも言わせないつもりか?ルパン。まあいい、どうせ反社半グレの類だ。長く話をしても俺の特にゃならない。それよりも、楽で安全そうな仕事を選んで、速攻で100万稼いだらトンズラするしかねえ。
――そう、まだこの時点では気楽に考えていたのだった……。
「あー、疲れた……」
大きく息を吐く。北別府にルパン、生まれて初めて接する闇社会の人間たちと長時間やり取りをした緊張感で、精神的にすっかり消耗していた。時計を見ると、もう昼も近い。二時間もあんな連中の相手をしていたのか、と我ながら呆れるやら情けないやら。
今日は仕事も休みにしたし、夕方まっでは暇そうだし、少し昼寝でもするか――そう思いながら、体を大の字に投げ出した。
数分後、うとうとしていたところに、スマホの通知音が鳴る。画面を見るとルパンからのメッセージだった。
「乃木坂に看板の出てないパーキングビルがあるから、そこの3階で車両をピックアップ。住所はこれ。車両の周辺に仕事の内容知ってるコワーカーがいるからそいつに詳細を聞け」
指示に苦笑が漏れる。
……何だよこれ。まるでTVゲームのRPGだな。「あそこへ行け」「誰々と話せ」「何々を手に入れろ」ってか。どうでもいいが、さっさとそのイベントをこなして、200万、できればもっと稼がせてくれ。そんでサクッと借金倒して、この世界から抜け出してやるわ。そう自分に言い聞かせながら俺はまた目を閉じた。
そんなわけで、乃木坂にあるという看板の出てないパーキングビルとやらにやってきたのだ。
メッセージで送られてきたマップの座標を頼りに、古びたビルの前に立つ。時計を見ると17:45。集合時間の18時にはまだ15分ある。11月頭とはいえ、陽が落ちると一気に冷え込んできた。眼前にそびえ立つパーキングビルを見上げながら、俺はダウンジャケットのボタンを上まできっちり留めた。吐く息が白くなるのを見つめると、小さく身震いがしてくる。
この身震いは寒さだけが理由じゃないのかもしれない。これから起こることへの恐れか緊張か?或いは、武者震いか?自分でも判断がつかないまま、ビルの内部へ入るべく足を進める。
歩行者通用口と書かれた入口からビルへ入り込むと、年季の入ったエレベーターで3階へ向かった。俺が今日運転するという送迎車両が準備されているのがその階らしい。エレベーターの扉が開いた瞬間、油と埃が混ざったような独特の匂いが鼻を突く。
フロアに広がるのは、予想以上の薄暗さだ。頼りないLEDの明かりがぽつりぽつりと設置されているが、その光はむしろ影の大きさを濃く際立たせている。しかし何よりも異質なのは停められている車たちだった。この場所には不似合いなほど、ピカピカの高級車や外車ばかりがずらりと並んでいる。
……何なんだ、このビル。盗難車や犯罪車両の隠し倉庫か?
看板もなく、薄汚れた外観とは裏腹に、目を奪われるような高級車の群れ。
ぼんやりとした照明を反射して艶やかな光沢を放つボディは、雑多な空間にあってどこか不気味なほどなまめかしく見える。1台辺りざっと見積もっても数百万は下らない。このフロア全体だけでも車両価格を合わせれば、軽く数千万、いや億は超えるだろう。
周囲を見渡しながら、この場の異様さに思わず息を飲んだ。と、同時に頭をよぎるのは、さすが売れっ子の嬢ともなると、こんなイカす外車で送り迎えされるものなんだな、という妙な納得感だ。いや、それが当たってるのかどうかは置いといて。
それにしても俺の知らない世界なんつーもんが世の中にはあるもんだなあとただ腕を組んで納得してしまったのだった。
いやいや、今はそんなことよりも、今日の仕事を無事を果たすことに集中するしかない。
手がかりは、テレクサーで受け取ったナンバープレートの写真。それを頼りに車を見つけ、コワーカー2名と合流するのが先だ。
送迎車を探して3階のフロアを彷徨ううちに、薄暗さに目が慣れてきた。車と車の隙間に、ちらほらと人影が佇んでいるのが分かる。
最初に目についたのはスキンヘッドの男だった。
黒塗りのワゴン車の前で地べたにしゃがみ込み、両腕を前に投げ出している。フードを中途半端にかぶって隠した顔の右半分にはファイヤーパターンのタトゥーが掘られている。そして、うんこ座りの姿勢のまま、地面に唾を吐いていた。
今時うんこ座りで地面に唾吐いてんじゃねーよ。令和だぜ令和?道端に唾吐く人類がまだいるなんて信じられねーな、と目を合わさないようにして足早に通り過ぎる。
その先ではアブドラ・ザ・ブッチャーに酷似した巨漢の男性がずっと電話をかけていた。聞き耳を立てるとラーメンスープの調合がどうという話をしているようだ。こんなところでする話か?と思いながらそいつの横も通り過ぎる。すると明らかにコミュニケーション面で問題を持ってそうな銀縁メガネのひょろっとした男が、一番奥の壁際に隠れるようにして立っていた。何かのまじないか絶えずブツブツ呟いている。
それとある高級SUVの前で背の低い謎の4人組――異国の言葉でひそひそと話している。スマホを交互に見せ合ってるので恐らく値段交渉でもしているのだろう。
みんな見事にそれぞれのやり方で場を不穏に染めてやがる。
ルパンが言ってた「コワーカーが2人いる」ってのは、一体どいつだ?どいつを見ても全員が犯罪組織の一員にしか見えない。……いや、むしろそれで合ってるのか?心の中でツッコミを入れながらも、段々と不安な気持ちになってきた。
やっぱ闇バイトなんかに応募したのは失敗だったかな――そう思えば思うほど、気分が暗くなる。
顔面入れ墨男やブッチャーなんかと仕事仲間になって、いや~今日も働いたな~稼いだな~っていう明るい未来が想像つかない。とはいえ、もう足を踏み入れてしまったのだ。取り合えずは100万、出来れば完済の200万稼ぐまでは雑念をシャットダウンして、この現実感のない現実を受け入れるしかないのだ。
車を探して3階をぐるぐる回ったが、送られてきたナンバープレートの車両は見当たらない。
もう一回最初から探すか……。スマホに保存されたナンバーは、「千葉402 ろの5XXX」。これを頼りに駐車された車を順番に見ていく。そして、ようやくそれらしい車の前にたどり着いた。
なんだよ、さっきの黒塗りのワゴン車か。顔面入れ墨男と目を合わさないように足早に通り過ぎたので見落としていたみたいだ。これ送迎用って言われれば確かにそれっぽいけど、どっちかと言えば行きたくないお友達を強制的に連れてっちゃう系の車だよな。やだなあ、こんなの運転してるところを会社の人にでも見られたら言い訳面倒臭そうだなあ。
スマホの写真と目の前の黒ワゴンのナンバーを見比べながら、そんなことを考えていた時だった。
「よう、お前がベンか?」
背後から、不意に声が飛んできた。
驚いて振り向くと、さっき地べたに唾を吐いていたスキンヘッドの顔面入れ墨が立っている。
「俺、ミスターホワイト。よろしくな」
軽い調子でそう言うと、細い目をさらに細めてニヤニヤと笑う。
ベン……?ってなんだっけ?入れ墨男が言ってる意味が一瞬分からず考える。そうか、俺、適当に「ベンジョンソン」ってニックネーム決めたんだっけ。
それはそれとして、うーん……先ずはハズレ引いたか。もっと頼りになりそうな奴が良かったけどさっき見た限りじゃどいつも似たようなもんか。
「……ああ、よろしくな」
つっけんどんに返事をすると、俺達のやり取りを見ていたらしい銀縁メガネの男が小走りで近づいてきた。
「こんちわ、ルパンさんのチームですよね? 僕、サンバイザーユミです。よろしくお願いいたします」
長えーな、サンバイザーユミ。何だよユミって女の名前か?何の暗号だよ、それ。
「あ、よろしく」とだけ答えると、サンバイザーはぺこりと頭を下げた。
「ほんじゃ、とりあえずみんな車乗って。ピックアップ場所行こうや」
ホワイトがそう言って鍵を俺に渡してくる。それを受け取り、俺は運転席へ、他の二人は後部座席に乗り込んだ。
「場所教えて。どこ行きゃいいの?」俺が聞くと
「座標送るわ」とホワイトがスマホを取り出す。
俺のスマホの着信音が鳴り、ホワイトから送られてきた地点を確認する。
「中坂の方ね」行き先は西麻布、高級マンションが立ち並ぶエリアだ。
「あの辺、道狭いから怖いなあ。ぶつけないようにしなきゃ」誰とはなしにそう呟くと、座席とミラーを調整すると俺はゆっくりと車をスタートさせた。
車は混み合う大通りへと出た。車列はところどころ引っかかりながらも順調に流れている。ここから目的地までは10分ほどの距離だ。ピックアップ時間は19時くらいという話だったので今からだと大分時間を持て余すことになるだろう。
何だよ。楽勝だな闇バイト。これで女の子1人送って20万ゲットか!?これなら毎日でもやりたいぜ。むしろこれを正職にしたいわ。そんな感じで俺はご機嫌になって車内を見渡す。後部座席では2人が手持ち沙汰に携帯を眺めている。
「ねえ、サンバイザーユミ。サンバイザーって名前、長くて言いにくいからさ、呼びやすくしない? 名前なんて言うの? 俺、津田ね」
ミラー越しに銀縁メガネに話を振ると、少し戸惑った様子で返事を返す。
「えっと、僕、菅野です。よろしくお願いします」
銀縁メガネの男――菅野が控えめにそう名乗ると、俺は軽く頷いた。
「菅野ね、OK。んで、ハゲ……じゃなくて、ホワイト、お前は? ホワイトってのもダセーからやめようぜ」
ホワイトを名乗るスキンヘッドへ目線をやって聞いた。
「ハゲじゃねーよ! 剃ってんだよ、これは!」
ホワイトが後部座席から声を張り上げると同時に、運転席の背もたれを蹴ってきた。
「何すんだ、てめえ! 何がホワイトだ。お前どうせ白田とかだろ?」
俺が強めの口調で突っ込むと、ホワイトは一瞬しどろもどろになった。
「うぐっ……あ、ああ……」
その様子を見て俺強権発動。
「よし、お前、白田な」
「いや、だから本名っぽいのやめろって。俺、パクられたときにゲロらない自信ねえからよ……」
白田が不貞腐れたようにぼやく。その一言に引っかかりを覚えた俺は、その疑問をそのまま口にした。
「パクられる? って何だ? キャバ嬢を送迎するだけだろ? 俺、送迎のドライバー探してるって聞いて来たんだけど」
そう問いかけると、銀縁メガネ――菅野が急に下を向いて黙り込んだ。車内に訪れた沈黙が妙に重い。
代わりに白田が、面倒くさそうに応える。
「あ、ああ……。送迎は送迎なんだけどさ、その前に、送迎する人を先ず拉致んないとだろ……」
拉致?ってつまりキャバ嬢を拉致してどっかに連れていくってこと……を言ってんのか?こいつは、ハンドルを切りながら白田の言葉を反芻する。って……
「拉致!?………… ちょっ、待てこらッ!!」
俺は思わず叫ぶと、夕方の混み合う大通りの真ん中で急ブレーキを踏み込んだ。
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