禁断の美酒

@wlm6223

禁断の美酒

 新宿のうらぶれた飲み屋街の地下にそのバーはあった。狭く暗い入口の扉が開き、一人の客が入ってきた。その表情は緊張と期待に満ちていた。客の鼻から顎までは少し突き出ている。パルシア人だ。

 客はゆっくりとカウンター席に着き一呼吸して店内を見回した。他に客はいなかった。

 バーテンは一目見て客がパルシア人だと見て取った。それでもお構いなしにいつもの口調で客に言った。

「……いらっしゃいませ。ご注文は?」

 客は興奮を抑えながら翻訳機に小声で何か言った。客は翻訳機をバーテンに向けて今の言葉をバーテンに伝えた。

「ビールをワンショット。チェイサーも」

 翻訳機からの抑揚のない音声で注文を受けた。

「……かしこまりました」

 バーテンは少々のためらいがあった。パルシア人に酒を提供するのはご法度だ。だが、どこから聞きつけてきたのか、パルシア人客が度々来店するようになってからだいぶ経つ。バーテンのためらいは法を犯すことよりも、この客がビールを飲んだ後の後始末の心配からであった。

 バーテンは安っぽいウイスキーグラスを客の前に出し、ビールを注いだ。ビールの泡でウイスキーグラスはあっという間に満たされた。次いで大き目のチェイサーグラスを出し、たっぷりとミネラルウォーターを注いだ。それが終わるとバーテンはミックスナッツを客に出した。

 客はゆっくりとグラスを持ち、暫くの間その金色に染まったグラスを眺めた。そして一口だけビールを飲んだ。はあ、と一息吐くとまた翻訳機に向かって一言いった。翻訳機はこう言った。

「うまい」


    ×


 私が故郷パルシア星を離れ地球へ赴任してから今年でちょうど二十年になる。地球との国交が結ばれて初の大使に任命されたのが私だった。

 私は幼い時から遠い外国への憧憬を持っていた。見知らぬ土地、自分とは違う人種、聞いたことのない言葉、自分たちとは異なる文化。そのどれもが魅力的だった。

 私は学生のころから外務省勤務を希望していた。大学を優秀な成績で卒業し、念願かなって外務省勤務となり、海外を飛び回る生活をしていた。多忙ではあるが充実した日々だった。

 そんなある日、上長から呼び出しを受けた。

「地球へ行ってみないか」

 私は喜びいさんで快諾した。ついにパルシアから飛び立ち外宇宙への進出だ。私の世界はついにパルシアの外にまで広がるのだった。

 私が最初にしたことは地球の歴史の勉強だった。地球は地域ごとに国単位で統治され、人種も多様。それぞれに独自の文化を持ち、ときには協調し、ときには大きな戦争もあった。宗教もまちまちである。そこまではパルシアとだいたい同じだった。

 が、決定的に違っていたのは人類の祖先だった。

 パルシアの祖先は犬であるが、地球の祖先は猿だ。だが遠く離れた星に生まれ、独自に進化を遂げているにも関わらず、パルシアの人類と地球の人類の外見は非常によく似ていた。おそらく各々の星の環境が奇跡的に殆ど同じだったのが原因であろう。外見の違いですぐ分かるのは、地球人の顔は概ね平坦だが、パルシア人の顔は鼻から下が少々突き出ている。あとはパルシア人には尻尾の痕跡がある。その程度だった。

 最初に地球へ派遣された大使は二十人いた。大使は地球の先進国にそれぞれ一人ずつ配属され、私は日本へ派遣された。私の外見が地球のモンゴロイドに近かったためだろう。

 日本という国は地球の中でも歴史が古く、観光地として人気が高かった。当初の私は、ご多分に漏れず日本の各地を視察がてら観光して回った。公務は大使館の職員たちに任せっきりだった。その点は申し訳ないことをしたと今でも後悔している。

 地球に来て驚いたのは、地球にも犬がおり、主に人類の愛玩動物として飼育されていることだった。当初私の目にはその犬たちを見て憐憫と怒りが込み上げたが、われわれが猿をペットとして飼っていることを考えれば致し方ないことだと自分を説得した。

 地球の自転周期が二十四時間なのは私にとって好都合だった。パルシアの一日は二十七時間だ。いつもより三時間ほど早く仕事を切り上げることが出来る。そのため仕事をこなすのにパルシア以上の集中力と効率化が求められたが、これはパルシアよりも生活を充実させるのに有効だった。

 だが地球に来て何もかもが好都合だった訳ではない。

 まず困ったのが食事だ。パルシアでの食生活の殆どが肉食なのだが、地球では魚も野菜も食べる。そんな物を食べては腹を壊してしまう。パーティーや会合の席でそのことを地球人に納得させるのに苦労した。料亭へ連れられた時には殆どの食事が口にできず、先方の気遣いにすまぬ思いをさせてしまったことがある。

次いでアルコール飲料だ。犬を祖先とするわれわれには酒は死に至る毒でしかないのだが、地球人は好んでこれを飲む。いや、パルシアでも飲酒の文化はかつてあったが、それは数万年前の未開時代での宗教行事だけのことであり、現在は医療用消毒液でしか用いられない。酒を飲んだ地球人はいやに饒舌になり、顔を赤らめ(おそらく急激に血流が増したのだろう)親愛の情を示すときがある。明らかに尋常ではないその姿態を見るにつけ、私はパルシア人で良かったと思うのである。

私は地球の各国にいるパルシア大使たちとオンラインで会合する機会がしばしばあり、そのたびに飲酒の害毒を皆が口にするので、これは日本に限った話ではなく、地球全般に言えることなのだと判断した。


どうして外惑星にまで達する文明を持ちながら飲酒の悪習を根絶できなかったのか、私には不思議でならない。


パルシアと地球の国交が樹立してから、地球へもパルシアからの観光客が少数ではあるが来るようになった。当初の十年は富裕層とジャーナリストばかりであったが、近年では一般人も観光目的でやって来るようになった。

観光客の多くは地球の二十の先進国へと旅立った。中には(特にジャーナリストは)発展途上国へと出向き、散々な目にあってパルシアへ帰郷する羽目になった者もいる。そのため「地球など行くもんじゃない」と吹聴する者もいるようだが、観光とは得てしてそういうものである。ちゃんと下調べをして、行くべきところへ行けば安全で快適なのだ。


ここ数年で地球観光は人気が上り始めたようで、われわれ大使館の仕事も増え始めていた。

最も多いのはパスポートの紛失と盗難の被害に遭っての救護だった。

そういった雑事は専門のスタッフに任せてあるのだが、彼らの報告書の中に、ちらほらと飲酒が原因の救急搬送の件が増えてきていた。

酒など毒でしかない。これがパルシアの常識だ。確かにパルシアでもアルコールは精製されている。アルコールの取り扱いは主に医療目的に使用され、医師免許が必要であり、必需品となっている。だがなぜ地球人は酒など飲むのか。地球人がガソリンを摂取しないのと同様、パルシア人はアルコールを摂取しない。私はこの事故の原因の追究を私は公使に命じた。


公使からの報告は一週間と待たずに上がってきた。

パルシア人が地球でなぜ飲酒するのか。それは非公式の旅行ガイドに「禁断の美酒」としてビールが挙げられているからだった。私はそれを見て頭を抱えてしまった。


それは数年前、私はビールを飲んだことがあるからだった。

その日、私は非公式の首相官邸でのパーティーに招かれていた。列席者は日本の中枢を担う人物ばかりで、私はここぞとパルシア観光と交易増進のために方々に顔を売っていた。当時はまだパルシア人への理解も浅く、われわれがアルコールを受けつけないこともあまり知られていなかった。

「さあ大使、一杯いかがですか」

 と、ある高官から(彼の名誉のために「ある高官」とだけしておく)赤ら顔でグラスを渡されて、私はまたか、と思った。彼が酒に酔っていることは一目瞭然だった。

「差しつ差されつというじゃないですか。さあ」

 その「差しつ差されつ」という言葉の意味は、当時の私は知らなかった。躊躇する私にかまわず、その高官は私のグラスに冷えたビールを一杯注いだ。アルコールの匂いがつんときて不快だった。

「せっかくですがわれわれパルシア人にアルコールは……」

「ははは! 堅いこと言わないで! こういう場なんですから、一杯ぐらい!」

 その一杯がパルシア人の致死量を超えているかもしれないことを、彼は知らなかったのだ。こういった場はそれまでに数回経験していたので、私はグラスに口を当てるだけで一口飲んだふりをした。私がグラスから口を離すと、彼は大笑いして言った。

「なんだ、いけるじゃないか! さあ、飲んで!」

 彼はビール瓶を私に向け、グラスのビールを飲み干せという仕草をした。私は彼の役職とパルシアの発展を天秤にかけた。いや、自分の生命を天秤にかけた。

 やむなし。私はビールを一口飲んだ。

 その直後、口腔内に苦みが満たされビールの炭酸が喉を刺激した。急に体温が上がるのを感じた。全身が総毛立ち、頭が痺れた。いや、頭だけでなく全身が痺れた。視界がぼんやりとし、喉が渇いた。

 いわゆる酩酊とはこのことかと思った。

 白状すると、一瞬だけ心地よさを感じた。だが本当に心地よかったのは一瞬だけで、その後の頭痛、全身の弛緩、思考停止、とにかく自分が自分を操れない状況に陥ってしまった。

 それからのことは断片的な記憶しかなく、後で聞いた話では私はその場に昏倒してしまい、救急車で病院に搬送されたそうである。

搬送先の病院でもパルシア人の治療はどう行えばよいか分かっておらず、ブドウ糖だの生理食塩水だの、差し障りのない点滴を打ったそうだ。医者の診断によれば、生死の境をさまよっていたらしいが、当の私はなんの記憶もない。苦痛ですらなかった。

本当の苦痛が私に襲い掛かってきたのは、昏睡から目覚めた後からだった。気が付くと、例の高官と私の妻、看護師、医師がベッドの上の私を心配そうに見詰めていた。私はベッドの上で激しい吐き気と闘いながら、なんとか一命をとりとめたのだ。

記憶がはっきりしないが、その時私は「禁断の美酒だ」と言ったらしい。

しかし私はその言葉を覚えていない。そのかわりに激しい頭痛と吐き気だけはしっかりと覚えている。

その「禁断の美酒」という言葉だけが、どういう訳か外部に漏れ、独り歩きし、故郷パルシアまで届いたようだ。おそらく、病室の外で張り込んでいたマスコミが盗み聞きでもしていたのだろう。なんせ非公式とはいえ、首相官邸のパーティーで他の惑星の大使が病院へ担ぎ込まれたのである。万一のことがあれば外交問題にも発展しかねない。私の無事を一番喜んだのは、件のある高官かもしれない。逆に、首相官邸から病院まで張り込んでいたマスコミの取材班は残念に思っただろう。私の飲酒は権力闘争の恰好の餌食になるところだったのだ。


この一件で「パルシア人には酒を飲ませるな」ということが地球に知れ渡った。パルシアへのアルコール飲料の持ち込みも法律で禁止されることになった。つまり、私は身を挺してパルシア人の規範を示したことになる。このことは大使として誇りに思う。

私が飲酒で昏倒してから三ヶ月後、日本では「外惑星人飲酒禁止法」という法律が発布された。日本においてこのスピードでの立法は異例だ。罰則は罰金一千万円以下、もしくは拘禁二年。この例外的な発布の早さは、もちろん在日本パルシア大使館の要請や、他国のパルシア大使の働きかけもあった上でのことだった。他の国でも同様な法律が準備されたが、立法までは遅々として進まない状況が続いた。特にアメリカでは「新たな禁酒法だ」「自己責任だ」との声が上がり、そもそもの反対意見が噴出した。結局、「パルシア人にとって飲酒はドラッグより危険」との見解で意見が一致し、地球でのパルシア人の飲酒は全面的に禁止になった。私の昏倒から半年後のことである。


 公使の報告書によれば、初のパルシア人飲酒事件が起きたのは私の昏倒から九ヶ月後のことだった。

 その事件の舞台はよりによって日本の首都・東京だった。

 地球へ国費留学していたパルシア人大学生が、卒業祝いの席でビールを飲んでしまったのだ。彼は倒れる寸前に「これうめえ」とだけ言ったそうである。彼は私が搬送されたのと同じ病院へ担ぎ込まれ、翌朝には回復したという。彼は何とか一命をとりとめたが、学位剥奪、パルシアへの強制送還、外惑星への渡航禁止の制約を課されることになった。


 これほどの重罰を課しているにも関わらず、パルシア人の飲酒事件は続いた。


 ドイツには毎年オクトーバーフェストという催し物があり、約六百万人の老若男女が集い食事とビールを楽しむ。そこにこともあろうか在ドイツパルシア大使館の職員が参加してしまったのだ。参加した職員は命に別状はなかったものの、パルシア人の規範を示すために懲戒免職に処された。どうして飲酒が発覚したかというと、彼の口臭からアルコールの匂いがしたからである。彼の言い分としては「当初は文化調査のために参加したが、その場の雰囲気に飲まれ、ついビールに手を出してしまった」とのことである。その会場にはパルシアからの観光客も若干参加していたようだが、その行方は分かっていない。

 その職員がオクトーバーフェストに参加した理由は彼が言っていた通り、飲酒自体が目的ではなく、その祭りに参加する地球人のおおらかさに惹かれてのことであったらしい。その点は情状酌量の余地はある。私も経験があるのだが、飲酒した地球人は陽気になり、他者へ寛容になり、コミュニケーションツールとして酒を用いているようだった。パーティーや会合の席で酒を振舞うのはそのためであるらしい。つまり、平時の地球人は職業上の体面を重んじ、言いたいことも言えないのである。そのため飲酒のリラックス効果を用いて本音を吐露し、ストレスを発散しているのだ。なぜ本音を隠すのかというと、その本音には個人的感慨が多く含まれており、それを優先すると反社会的な言動に走りがちになるからである。私はこの点に地球人の社会帰属意識の低さを見出す。要するに、成人し職業を持った立派な大人であっても、まだ未成熟な面を多分に持ち合わせており、それを隠し通してストレスが溜まり、飲酒によってほんの一時、その蟠りを解放するのである。われわれパルシア人からすればそれは教育の未熟さと地球人の社会生活の不寛容の現れにしか見えないのだが、当の地球人にはその社会的欠陥がまだ見出されていないようである。この点は地球社会の発展のために忠告すべきであると私は思う。


 地球から帰ってきたパルシア人の観光客の中に、ビールを持ち込む例が増えている、と公使の報告書にあった。彼らの言い分としは「観光の記念として」「地球の医療薬だ」等々、ただの言い訳に過ぎない。即刻没収すればよいのだが、残念ながらわがパルシア星の宇宙空港検疫は非常に緩い。観光客たちは賄賂として検疫官にビール一缶でパスしてしまうのだ。

 われわれ在地球大使館からパルシア政府に向けアルコール飲料の禁輸を強化するよう求めているが、現場にまでその要請が浸透するにはまだ時間がかかりそうだった。なぜ禁輸強化を求めているかと言えば、私個人が経験した飲酒の害毒からであった。私を死の淵まで追いやったビールを、パルシアにまで広げたくなかったのだ。


 公使の報告書にはパルシアで流布されている飲酒についての地下文書のコピーがあった。以下はその抜粋である。


 ・初心者はまずバドワイザーを五倍に薄めて三十cc飲め。一杯の基本は三十ccだ。

 ・慣れてきたら他の銘柄のビールを試せ。キリン、エルディンガー、ハイネケンがお勧め。

 ・酒による陶酔感は二時間から五時間続く。その間に奇妙な言動、幻視がみられる場合がある。

 ・飲酒後の匂いに気をつけろ。呼気にアルコールが混ざり飲酒がすぐバレる。飲酒後二十時間は誰とも会うな。

 ・飲酒の陶酔が過ぎたら速やかに室内の換気をせよ。酒の匂いが室内に充満している筈だ。

 ・飲み終わった瓶や缶から飲酒が発覚することがある。廃棄には要注意。

 ・最初は嘔吐・頭痛がするがそれは飲酒の量が多いだけ。それを乗り越えれば桃源郷がやって来る。自分の適量を見付けよ。

 ・チェイサー(水)を用意せよ。胃が荒れるのを防いでくれる。

 ・最初の一杯の後、二杯目までは三十分を空けよ。

・飲酒直後は血流が増加し体温が上がる。そのため寒気を感じる。それ以外の何らかの変化があれば二杯目までの時間を三十分より長く空けろ。急性アルコール中毒を防ぐためだ。

 ・ビールは肉料理にも使える。肉をビールに漬けよ。ビールの酵母が肉を柔らかくしてくれる。ワインは料理の下味つけにも使える。火にかけるとアルコール成分が揮発してしまうため、酒を忌避する人にもお勧め。

 ・アルコール度数はビール四パーセント、ワイン十一パーセント、ウイスキー四十パーセント。アルコール度数に応じて何倍に薄めるか選べ。

 ・アルコール度数だけで酒を選ぶな。ビール・ワイン・ウイスキーそれぞれ独特の風味がある。

 ・炭酸を好まないならビールよりワイン・ウイスキーが勧め。ただし前述のアルコール度数に注意。

 ・飲酒後、全身が動かなくなる時がある。数時間で回復するので安全な場所で飲酒せよ。

 ・初心者はできるだけ上級者と一緒に飲め。何かあれば適切な処置をしてくれる。

 ・飲酒時の環境に気を配れ。リラックスできる快適な環境で飲酒せよ。その方が陶酔感が増す。

 ・ビールで満足出来なくなったらワインを飲め。ワインには白と赤がある。それぞれ

違った風味がある。ワインにも飽きたらウイスキーへ進め。ここまできたら上級者だ。さらにアブサン(アルコール度数六十パーセント以上)へ進む手もある。アブサンは地球では「緑の妖精」の別名がある。アブサンは砂糖を加えて水で割れ。白濁したら飲み頃だ。

 ・在地球大使も密に飲酒している。


 私はこの文書を在アメリカパルシア大使に見せたところ「これは地球人のドラッグ対するものと同じだ」と言った。私は合点がいった。そうか、パルシア人にとっての酒は、地球人にとってのドラッグと同じだったのだ。ならば一層、パルシア星への禁輸を強化すべきと判断した。

 私はパルシア外務省へ在地球大使全員の連名でアルコール飲料の密輸摘発強化を求める嘆願書を送った。パルシア外務省はこれを喫緊の事態と受け止め、規制強化へ乗り出すことを約束した。

 パルシア外務省からの返答では、パルシアでもアルコール中毒による事故が時折起きているとのことだった。これらは地球との国交が樹立して以後のことであり、原因は地球が齎した禁忌のアルコール飲料によるものと断定した。これでパルシア政府も本腰を入れてくれるだろう。


 この規制強化によりパルシアでの飲酒は減る筈だった。が、実際は逆だった。

 パルシアでの密造酒の製造が盛んになり、粗悪なアルコール飲料が市中に出回り始めたのだ。パルシア外務省の報告によると、密造酒は「二級品」と呼ばれ、地球からの密輸品は「一級品」とされている、とのことだった。

 アルコール飲料の製造は比較的簡単だった。そのためパルシア各地で様々な密造酒が製造された。アルコール飲料の製造は簡単とはいえ、ノウハウは必要だった。そこで密造酒製造団は技能実習生の名目のもと地球へ人材を派遣し、アルコール飲料の製造方法を学び、その技術をパルシアへ持ち込んだ。彼らはパルシアの発展途上国の片田舎に「医療用アルコールプラント」の名目で工場を建て、密造酒を作り、闇ルートでパルシア各地へ販売した。そのネットワークの壊滅に向けてパルシア各国が規制に乗り出してはいるものの、イタチごっことなり、事実上、パルシアの繁華街へ行けば誰でも容易にアルコール飲料が入手できるようになってしまった。特に人気の銘柄は「大使の美酒」と呼ばれるものだった。私はまた頭を抱えてしまった。


 パルシアから地球への観光客が増えた要因の一つは、酒の味を覚えたパルシア人が「本場の酒」を求めて地球へ訪問するからだった。

 特にここ日本では飲酒に寛容で、自動販売機やコンビニエンスストアでアルコール飲料が買えてしまう。そのことにパルシア人は驚くのだが、飲酒目的のパルシア人にとっては天国だった。

 酒飲みのパルシア人を見付けるのは簡単だった。彼らはだいたいビールと一緒に水を購入する。そして公園のベンチで酒と水を交互に飲むのである。

 私たちは警察にこの事態を報告し、取り締まり強化を要請した。効果は覿面であったが、抜け道はいくらでもあった。

 日本の都市部の繁華街、東京では新宿・渋谷・池袋でパルシア人への酒の提供が暗黙裡に公認されていたのだ。店側は「パルシア人とは気付かなかった」と言い張れば警察の手を免れることが出来た。「外惑星人飲酒禁止法」はザル法だったのだ。客の顔を見れば地球人かパルシア人かの判別は容易なのだが、なぜかこの言い訳は通用した。捕まったパルシア人は大使館に引き渡され、パスポートを没収された上で強制送還となった。パルシアへ戻れば拘禁五年の刑が待っている。


 そこまでして酒を飲みたいか? これが私の率直な疑問だ。


 逮捕されたパルシア人の取り調べはパルシア大使職員が行う事になっている。

 捕まったものは一様に酒の効能を口にした。その話の出所はある本にあった。

 その供述の出所は「飲酒大全」「アルコールの嗜好的活用」、この二冊の本にほぼ集約された。これらの著者はいわゆる自称ジャーナリストだった。外務省に記録を精査させたところ、著者は地球への渡航歴があり、計三年以上の滞在記録があった。その間に酒の魅力に憑りつかれてしまったのだろう。

 この二冊は既に発禁処分となっているが、地下ルートで配本が続けられていることが分かった。出版社・印刷所を見付けては逮捕し、見付けては逮捕しの、またもイタチごっこだったが、ついに書籍としての配本は途絶えることになった。だが、出版が途絶えてもう数年経つというのにネットを通じて密に配本されていることをパルシア当局は確認した。

 ことネットのことになると、当局もなかなか手が出せないというのが実情だった。というのも、配信元を突き止めていざ逮捕に向かうと、もぬけの殻になっているからだ。犯人たちは何重もの偽装工作を行い、身元の隠蔽を図っていた。それも同一犯の長年の仕業ではなく、ネットに登場するたびに犯人が異なっているようだった。

 地球で逮捕されたパルシア人の殆どが前科のない好事家だった。いわゆる悪に手を染めなければ生活が成り立たないような犯罪者予備軍ではなく、ごく一般的な、善良なパルシア市民だった。なぜ酒に手を出したかと問うと「興味があって」「つい出来心で」など、犯罪の動機としは非常に軽いものだった。


 公使の調査報告書を見ずとも、軽い出来事では済まない有名な事件もあった。地球のドイツからの大量ビール密輸事件である。

 事の発端は地球からの貨物船がパルシアの宇宙空港へ緊急遭難信号を出してきたことに始まる。

 その貨物船はエンジンと操舵翼のトラブルにより宇宙空港への寄港ができないと言ってきた。やむを得ず空港から離れた草原地帯への着陸許可を求めてきた。宇宙空港側ではこれを遭難船と認定し、緊急に着陸許可を出した。船籍も正規のもので、積み荷は珪砂。パルシアでは採掘できない貴重なガラス原料だ。

ただちに救助隊の準備が整えられた。貨物船が目視できるところまで来ると、その機体が右へ傾いていたのが確認できた。明らかに機体の不備が認められる飛行だった。

 貨物船が胴体着陸に成功すると、救助隊が船内に乗り込み怪我人の救助にあたった。消防隊が準備されていたが失火はなかった。検疫官たちは外来種が船に付着していることを恐れ、貨物船を消毒液塗れにした。

 貨物船の無事が確認されると、事故の検証のため貨物船は宇宙空港側に引き渡された。

 検証の結果、右翼フラップ制御系の破損、六基あるエンジンのうち、二基の整備不良が確認された。

 一通りの事故検証が済むと積み荷の荷下ろしが始まった。六十タンクの荷下ろしは順調に進んだ。

 が、検疫官は見逃さなかった。

 タンクの重量がものによって異なるのである。同じ珪砂を積んであるなら重量はどれも同じになる筈である。ところが六十のタンクは概ね二種類の重量に分類できた。

中に珪砂以外のものが入っているタンクがあるのでは? 検疫官はそう疑ったのだ。

 不審に思った検疫官は全タンクの内容物検査をしたところ、二十四タンクは申請通り珪砂で、残りの三十六タンクはなんとビールだったのだ。

 こうして遭難船を装って検疫を免れようとした目論見は打ち砕かれたのだ。

 輸出元のホーゼンバウム社と輸入元のスペトファウラ社とが起訴され、両社は互いに非を認めず、二年間もの間、法廷闘争が繰り広げられた。結果、両社に過大な罰金刑が処せられる始末となった。

 これだけ大量のビールを手配できたということは、地球のビール製造メーカーも一口噛んでいる可能性が高かった。法廷はビールの成分分析からエルディンガー社のビールであることを突き止めた。エルディンガー社は「正規代理店にしか卸していない」と主張したが、その卸先管理の記録は頑として法廷に提示しなかった。エルディンガー社は地球の企業ということもあり、パルシアの法が行き届かない。ドイツ政府は出来るだけの協力はすると約束したが、エルディンガー社はのらりくらりと追及をかわしていった。結局、エルディンガー社は推定無罪となった。

 この事件はパルシア―地球間の貿易に暗い影を落とすことになった。


 だからどうしてそこまでして酒を飲みたいんだ? 私には不思議でならなかった。


 私の公務室には五十年物のマッカランが置いてある。地球在任当初、地球人から貰ったものだ。もちろん私のために置いてあるのではく、地球人の来客用だ。開栓してあるし、量も減っている。これを見た地球人は「パルシア人も酒を飲むのか?」と訊いてくるのが常だ。それを機会に「一杯いかがですか? 貴重な五十年物のウイスキーですよ」と答えることにしている。大抵の客は喜んで一杯飲む。が、私は飲まない。こうして客を酔わせて判断力を鈍らし本音を引き出すのが私のやり方だ。

 だが、「外惑星人飲酒禁止法」がある手前、大使の公務室にウイスキーを置いてあるのは不適当だ。

 私は残りのウイスキーを処分しようと思った。誰かにあげてしまうか、それとも単に廃棄してしまうか。

 いっそ自分で飲んでしまおうか。

 その考えがふと頭をよぎった。私はウイスキー瓶を手に取り開栓して匂いを嗅いでみた。強烈なアルコール臭はなく、芳醇な香りが私の鼻孔を満たした。

 なるほどね。酒に夢中になるのも分からないでもなかった。


    ×


 新宿地下の闇バーではパルシア人が最後のビール一滴を飲み干した。彼は一息はあ、と漏らすとチェイサーをがぶ飲みした。バーテンはパルシア人の様子を見、この客の酒量はここまでだな、と判断した。

 パルシア人は翻訳機を通じて「他の酒はあるか?」と訊いてきた。バーテンは「うちはビールが専門ですが、ウイスキーも少々あります」と答えた。パルシア人は両肘をカウンターにつき、屈みこむように上体を支えた。虚ろな目付きでバーテンの後ろにずらりと並ぶウイスキー瓶を舐めるように眺めた。「嘘つけ。ウイスキーが沢山ある」と言うと、「お客様に出せるお酒はここまでです」とバーテンはきっぱり言い切った。バーテンは無言のまま、空になったチェイサーグラスにミネラルウォーターを注いだ。

「酔いが醒めるまでここにいてください。酔っぱらったままで外に出られると色々面倒ですから」

「酔いが醒める? いつまでだ」

「それはお客様の体調次第です」

「酒も飲まずにバーにいろと?」

「そういうお客様もいます」

 パルシア人はまた一息漏らすとチェイサーを一気に飲んだ。

「お客様、お酒は初めてですね」

「どうして分かる?」

「顔色に出てますよ」

 パルシア人は両手を顔にあてがい上下にさすった。バーテンはグラスを拭きながらパルシア人に言った。

「飲みなれたお客様はご自身の酒量をご存じです。次から次へと注文なさる方はいません」

 パルシア人はミックスナッツを一摘みし、口へ放り込んだ。

 店の扉が開き一人の初老の男性が入ってきた。地球人だった。男性はパルシア人の傍のカウンター席へ座り、グレンモーレンジをストレートで、と注文した。彼はパルシア人を見付けると「おっ」と、一言いったがパルシア人がいることを気に留める様子はなかった。男性が飲み歩き慣れているのは一見して分かった。バーテンはウイスキーを出すと、男性はパルシア人に「乾杯しようじゃないか」と言った。翻訳機は「乾杯」を上手く翻訳できないらしく、パルシア人は男性を見詰め戸惑った。

「こうやるんだ。さあ」

 男性はパルシア人にチェイサーグラスを掲げさせ、自分のウイスキーグラスをかちん、と合わせた。

 男性はパルシア人が既に出来上がっているのを見て取ったらしく、酒は勧めなかった。その代わり、笑顔でパルシア人に言った。

「どうなんだ、国の方では。酒、飲めないんだろ?」

 男性は酔いが醒めるまでの話相手をしてやる、そういう風にバーテンには見えた。

 時刻はまだ宵の口だった。バーテンは男性の来店に救われた気がした。飲酒のマナーをパルシア人に教えてやる絶好の機会だと思った。今夜は良い夜になりそうだな、とバーテンは思った。

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