二人の三毛猫。
ぴろりん。
ずぴー……とだらしなく寝てた僕は、いきなり咆哮を上げる携帯にびくんと体を跳ね上げる。
咆哮というには可愛らしいピロピロ音だが、それでも僕の心臓を仕留めるには十分の音量だった。
「な、なんにゃ!?……って携帯か」
慌てて瞼を開けると窓辺に吊り下がるカーテンから漏れる朝の光が目に焼き付く。
あー、朝か。
……て目覚まし鳴ってないやん。忘れてたんだっけ?確か学校から帰って風呂入って晩ごはん食って……それで……。
あーそこから記憶朧げだから眠くなって寝たんだな。まったく大鳥あとりっていうやつは、だらしないんだから。
「ふわぁ……んぅ」
「あ、あとりおはよう。今日遊びに行くって言ってなかったっけ?」
「あーそうそう、それで……」
目覚ましの事を言おうとして、姉の顔が目に入った。
いつもの食卓に、いつもの席。いつもの姉の、瑠美の顔が映るけれど。やっぱり彼女には慣れなくて。
「……?なによ、あたしの顔が物珍しいわけ?」
「いや、なんでも……。ごめんお姉ちゃん」
正面から不満丸出しのメンチ切ったその顔から、目を逸らしてしまい、そのまま俯いてうなじを手で撫でる。
「ほーら、姉妹なんだから仲良くしなさいよ。出張してるパパが知ったら悲しむわよ?」
「……ふん」
「母さんも……ごめん」
「もう、暗い暗い暗ーい!」
土曜の休日、今朝は母がわーわー騒ぐという時間で終わった。
自室に戻り、外出のため支度をしようと服を取り出していると、
ぴろりん、ぴろりん、ピロリンピロリンピロピロピロ……。
「うるせぇな!!なんだよさっきから着信ばっかり!」
声を荒げて、のっしのしベッドに近付き、枕元に添い寝してる携帯を掴むと、さっさと画面を付ける。
……猫のタマ、からかよ!
ちなみに猫のタマとは猫野さんのメッセージアプリのアカウント名で、連絡先交換した時は、自分が猫みたいな名前だと言う事を自覚してるんだなと気付いた瞬間でもあった。
『おはよーです!気付かないからスタンプ送りまくりました!やっと既読つきましたね!場所はこのショッピングモールで十時三十分には落ち合いましょ!』
マップと画像付きのリンク先が貼られ、タップすると都市街の方のショッピングモールが表示される。
「ここか……」
さっさといかないとにゃーにゃーうるさそうだし、さっさと行くか。
母が綺麗に畳んどいてくれてるYシャツとズボンを手に取る。
相手は女の子だし(性別ないけど)、こんなんでいいかな。
ププー。
EV仕様のトラックや自動車が目の前を唸りを上げて走る。
三十分になったけど、店の入口前で良いんだよな?
店前の街路樹を眺めたり、人の雑多を見つめて時間を潰すが、しばらくしても来る気配がない。
五分経とうとする時、茶髪の前髪をふぁさふぁさ揺らしながら、こちらに大きく手を振って、走ってくる女の子がいた。
「すみませーん、おくれましたですー!」
たたたたっ、と走り寄る猫野さんは茶髪のショートボブを後ろにまとめて縛り、ショルダーの胸元に小さなバッグの付いたボディバッグを背負っているという、なんともボーイッシュな格好で近付いてくる。
「猫野さん、なんか思ったより男の子みたいな格好だね……」
ぜひー、ぜひーと膝に手を当てて疲れてる猫野さんを見下ろしながら、声をかける。
「……ふぅ、でっなんですか?」
「えっ、いやボーイッシュな……」
「あっこれですか?いやー、兄のおさがりが多いので必然的にこういうやつばっかりで」
「そっそう」
「はい!」
にかっと猫歯を見せて笑う彼女に頬をぽりぽりとかいて、イメージと違ったけどもなぜか様になってて……、
「……似合ってるよ、猫野さん」
「えっ!そっそう、ですか?照れるなぁ」
ちょっとくねくねして表情を緩める猫野さんに、あっやっぱりいつもの猫野さんだと、キモさに安心する。
「あとりさん。ささ、いきましょ!」
「えっちょまって……あぁーーあーー」
腕をぐわしと捕まれ、強引に引っ張られて、モールに入店する。
「おおー、久々に来ましたけどあまり変わりませんねぇー」
「ぜひー、ぜひー」
今度は僕が息を荒げて疲れ、人々が行き交い、店内放送やBGMなど音にも視覚にも忙しいど真ん中。
猫野さんは色々見回し見上げて、あそこにいきましょーよ!とひっきりなしに僕に声をかけてくる。
「分かった分かった、行くから行くから」
るんるんと足腰軽やかに進んでく猫野さんは気分良さげで、いつもよりも楽しそうに見えた。
後ろにちょこんと縛った髪もぴょこぴょこ動いていて、まるで彼女の気持ちを表してるよう。
そんなポニーテールならぬ、すずめのしっぽを見つめながら彼女に付いていくと、エスカレーターにまず乗る。
そして、エスカレーターの手すりに乗せていた手が離れると、彼女は服を着たマネキンが並ぶ店先で止まる。
「ブティック?」
「あとりさん、あとりさんの服味気ないから着替えていきません?」
……え?
「ほらほらー!」
「あ、あ、あーれーーーー」
また猫野さんに手を引っ張られ、布がいっぱいのTheオシャレみたいな店内に引き込まれていってしまった。
僕は、試着室にてパンツ一丁になり可愛らしいふりふりのブラウスを持っている。
ごくりっ。
自分の体に重ねるようにして前方の鏡を見るが、すげー不安そうな顔した長髪のなよなよ男の子が服で上半身を隠してるだけ。
なんか凄い駄目な事してる気分……。罪悪感がハンパない。
「あーとりさん、開けていいーですかー?」
「ちょッちょっと待って!」
「ええー?早くしてくださいよー、みーたーぃーい」
やばい似合う似合わないじゃなくてさっさと着ないとカーテン開けられて、社会的に終わってしまう……!
もういい着ちゃえ着ちゃえ!
布が擦れる音がして、スカートを履き、チャックを閉めて上着をすっと着る。
ブラウス系は着たことないけど、これで合ってるよな?母の買う服は色合いが女の子寄りなだけで男女どちらが着ても普通な物が多いからよく分からんが。
多分、大丈夫。
「おっ着終わりましたねー」
「ひゃっ!?」
声が後ろがボソッと聞こえて慌てて振り返ると猫野さんが片目だけうにゃーんと覗かせていて、一部始終をその目に録画していた。
「あっ大丈夫ですよ?あとりさんの背中姿とパンツしか見てないので。スタイル良いですねぇ〜」
うわぎゃー!!!見られてた!ばっちり見られてた!!
「水玉のおぱんちゅも可愛かったですよ?」
パンツの柄まで!?
おわた……。僕の人生、サ終です……、皆さま最後までご愛顧ありがとうございました。
「うぅ……、猫野さんの変態!」
「まあまあっ!ほら私の睨み通り、その服とても似合ってますよ!」
カーテンをジャっと開けて、刹那、光に包まれると猫野さんは「ほらっ!」と僕の後ろを指さした。
彼女の指し示す方を見るとそこには赤い瞳を持った白髪の、細身な女性が映っていて。
淡い水色が所どころにあしらわれ、桜色のチェックミニスカート。
そこから生える足は程よく肉付いた細い足で、とてもじゃないがいつもの無愛想な自分の姿ではなかった。
「ふふっ、可愛いですよ〜あとりさん」
「……う、うゅ」
試着室から出て僕が靴を履くと、「じゃあ着てた服まとめて払っちゃいましょー!」と言ってすたこらとレジに突き進む猫野さん。
周りの目を気にして、周囲の人間を見ても、誰もこちらを見ない。気にしてない。逆に僕が不安になってるだけみたいな。
「あとりさん、支払い終わりましたよー。袋もらってきたんでここに着てた服いれてくださいな」
「あっうん……」
どさっと、猫野さんが広げてくれていた紙袋に自分の服を入れると、「はいっ!」と猫野さんが、渡してくれる。
「次どーしますー?喉乾いちゃったんですけどカフェいきます?」
「そうするか」
緊張気味に彼女の後を付いて歩くが、なにか話しかけようとしたのか彼女が振り返って、喋りかけようとした口を閉じた。
そして猫野さんは、歩幅を僕に合わせて隣に並ぶと、そっと手を握ってくれた。
ちゅーっ。
ブラックコーヒーを飲む僕に対して、カフェオレをストロー越しに飲む猫野さん。
まさにイメージ通り。
「猫野さんさっきはありがとね」
「んー?なんのことですー?」
「……?…………ふふっ」
彼女はなんの事を言ってるか分からないのかと思ったけど、彼女の顔は素直だ。
猫野さんの唇は少しニタニタとしている。どこか嬉しげ。
僕らが座る端っこの窓辺のテーブル席は、あまり人気がなくて、まるで二人っきりのように感じる。
ちゅーちゅー頑張ってカフェオレを吸い込む猫野さんを横目に見ると僕は、ふすっと嘆息気味に窓を覗く。下は、昼に照らされた人々の雑多。上は、全てを照らす太陽。真ん中には少し影があるからか、自分がうっすら映っている。
自分というよりは、その窓に映るのはもう女の子の顔で、頬を上気させた恋する乙女のよう。
一瞬他人が映ってるものだと思ったが、違う。それは、自分。大鳥あとりだ。
もうすっかり女の子に馴染んだな、そう思う。でも、なんで。なんでそんな恋してるような顔してるのか。そう見えたのかはよく分からなかった。
カフェの後はゲームセンターや本屋さんなど色々見て回った。
そして夕暮れになろうかという時、時間も時間だから帰ろうか。そう、猫野さんに呟く。
「そー、ですね。帰りましょっか。でもその前に、あとりさんにこれ!プレゼントです!」
「え?」
そう言って、小さめの紙袋に包まれた物を両手に乗せてほれほれと差し出す彼女に少し困惑した。
「あ、ありがと……」
そっと、その両手の物を受け取ると「開けて見てくださいよっ!」と言われるままに開けてみる。
がさがさ。
中からでてきたのは、なんていうか三毛猫の模様の色合いにそっくりのシュシュだった。
渋めのオレンジに黒、そして純白。
「あとりさんの白い髪に似合うと思って買ったんです!実は私もお揃いのヘアピン買いました!」
そう言って胸元のボディバッグから紙袋を取り出して、中から同じ、オレンジ、白、黒の色合いのヘアピンを取り出す。
「なんか三毛猫の模様みたいだね」
「でしょー!可愛いですよね!さっそくつけてみてくださいよー!」
早く早くと急かされて、僕は髪をまとめるとシュシュを通らせてすすっと一気に縛る。
ポニーテールにして見せると、猫野さんはわぁーっ!と目をきらきら輝かせ、すんごい褒めてくれた。
「やっぱり似合いますね!とってもキュートです!」
猫野さんもいつの間にか三毛猫模様のヘアピンをこめかみに留めていて、
「猫野さんもぴったりじゃん。やっぱりねこだからかね?」
「にゃにゃ!?私は名前は猫ですけど人間ですぅ!」
「ふふふふっ」
「むむーっ」
帰り道もそんな風に馬鹿笑いして、僕らが別れるであろう現在地の最寄り駅が見えてきて。
彼女に、猫野さんに帰り道を尋ねようとして隣を歩く猫野さんをみると、俯きがちに親指の爪をかじっていた。
噛んで、噛んで、ガジガジ、噛んでいる。
なんだか猫野さんらしくなくて、心配気に覗き込み、声をかけてみる。
「……大丈夫?猫野さん」
「………………?あっ、すすみません!どうしました?あとりさん」
口元にあった手をばっと後ろにやって作り笑いを浮かべる猫野さんに、少し変だと問い詰めてみる。
親指の爪を噛むのは寂しさや緊張からくるストレスなどを抑える癖だと聞いたことある。
彼女もストレスを感じているに違いない。違いないけれども。
それは、僕が解消できるものか?
「なんでもないですよーぅ、だいじょぶです!」
「大丈夫じゃないでしょ……!なんでもいいよ、つらいなら僕に言って」
彼女の両肩を掴む。僕と同じように、いや僕よりも細いその肩は少し握り込んだだけでひしゃげてしまいそうで、それは彼女の、猫野玉の心でもあるように。
とても、とても辛そうで。
「えっ、あっ、いゃ、両親が旅行に行ってて、兄も上京してるから、その」
「一人なの?寂しいの?なら寂しいって言ってよ。僕ら友達でしょ……!?」
「とも……だち……」
彼女はその言葉を発して、きっと決壊したのだろう。壊れたのだろう。涙を留めておく堤防が。
我慢して、ヒビが入ってもなお、意思という名の力で留めていたそれが。
「さ……みしい、さみしぃよ、あとりさん……、くっ……うあああああぁぁぁぁぁぁああー!」
がくっと膝の力が抜けて崩れ落ちる彼女を、僕は抱え込むようにして抱きしめ、支える。
ひたすらに泣き喚く彼女を、頭を撫でてあやして、大丈夫、大丈夫、囁く。
「今は僕がいるから安心して」
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