第5話小さな設計事務所の小さな仕事と小さな僕たち
カラフルなボーダーが並ぶ工程表を見る。図表に流れる色分けされた線は遠目から見ると綺麗なボーダー柄のようだ。
憂鬱な月曜日の朝ミーティングでは施工者は配られたスケジュールと自分の名前を確認しながら、その週の予定を確認する。俺もヘルプや作図がないかを確認するが簡単な作図や事務作業ばかりだ。
「あれ?お盆前で忙しいのに後藤さんの現場人足りないし……こっちも、足場立てるの監督はどうするんですか……。」
五年も働いていると進行や現場の状況がわかるのだが入社して以来、現場に自分の名前がほとんどないのは初めてだ。せいぜい測量の立会いや役所の申請書の提出くらい。
「あ〜。お前はさ。野杉さんの仕事の手伝い。アレ頑張れよ。こっちは大丈夫だから。」
後藤さんは困ったような顔で朝礼もそこそこに俺を置いて現場の奴らと現場へと行ってしまった。
「暑くなってきたし現場で熱中症になるよりいいんじゃん?」
「だからだよ。台風とかもくるからエアコン効かないで現場は大変なんだよ。」
天気に左右される新築現場の夏は大変だ。おっさんばかりなので毎年この時期は嫌というほど現場に駆り出されるのでなんだか妙だけど、先日の打ち合わせ後の資料チェックがある。
事務所で一番でかいサイズのクリップで挟まれた図面をバインダーにぎゅうぎゅうに挟むが、紙束を整えるのにわずかなズレが何度整えても妙に気になって仕方がない。
「って。あったー。」
指先を切ってしまい薄皮から血がジワリと滲む。
「ああ!ほら絆創膏貼りなさい。」
「いやいやこんなの舐めときゃ治りますよ!」
「ダメよ。図面に血がついちゃうでしょ?」
現場と内勤って違うんだな。現場でボロボロになって黒ずんだ指に切り傷なんて、大きな傷やささくれ立った肌には目立たない。白くて細い女の人の指が並ぶとバツが悪い。いたずらでケガした後にお袋に、怒られているような心地だ。
「みんな君の試験のために気を遣ってるのよ。夜学通ってちゃんと寝てるの?怪我なんてしたらダメよ……。」
中込さんは微笑みながらバインダーの横にテプラを置いて手伝ってくれた。オレなんかより、まっすぐ綺麗に貼ってくれるもんでちょっと嬉しい。
スッキリと綺麗に並んでいるとちょっと嬉しいのってなんでなんだろうな。
書架に並べられたバイダーの背表紙やタイトルが順番に並んでいると、ダメなばかりの自分がたったそれだけでスッキリとまともになった気になる。
「緊張……してるんすかね。」
「かもね。ずっと外で体動かしてたし勉強しすぎで運動不足なんじゃない?」
「そう言われるとなんかそんな気がしてくる。」
なんか頭がずっと図面と数字でいっぱいだったのでちょっと気が抜けた。
「遊び相手必要だったらウチのチビども貸すわよ?」
「はぁ〜ベビーシッターっすか。時給高いっすよ?」
目を見合わせてカラカラ笑ってしまう。笑うとモヤモヤがどっかいってしまうから俺は単純なんだと思う。
♫〜
作業台に置かれたスマホの画面に[HIROKOから着信がありました]と文字が浮かび上がる。スマホを覗き込むともうランチタイムか。
「おチビたちのお相手は試験お祝いにしてあげるわね。ふふふ。」
「それ、お祝いになってないいっすから。」
澄ました様子でそそくさと昼食に散らばるが、せっかくスッキリしたののまたモヤモヤしてまったく居心地が悪くて仕方がない!!
だけれどもSNSのメッセージのソワソワなら悪い気はしないかもしれないな。
----
大荷物を抱える人の波が大学の門扉に吸い込まれる。大きな製図道具を抱え早朝から試験に挑む。みんな余裕そうに見えてしまい、通ったことのない大学の広い会場の緊張感は居心地が悪くてかなわない。
ひたすらホルダー芯を削る人や試験票を見つめ、定規や消しゴムをピシリと1ミリのズレもないように並べる人。それぞれピリピリとした様子で表情を強張らせている。
試験課題を読み、練習通りやれば大丈夫。一呼吸おいて外壁から描き進める。テストなのでセンスはいらないと余計な考えを捨てた。
大丈夫。とにかく描くべし!
手描きの図面は背筋を伸ばして腕の関節を支点に指先までまっすぐピィンと引く。
野杉さんが練習中に『サンちゃーん!手描き図面楽しいよねーん!』と所長と一緒になってちょっかいを入れてきた時に教えてくれた。現場の墨出しに似ている。
力が入っているせいが線が極太になったなぁ……
『読みやすいからぶっとくしっかりしてんのはいいことだ!』と2人に笑われたのを思い出し、強張っていた背中がちょっと緩くなる。
…
……
………
時計の針が進み鉛筆のカリカリと書き進める音が早まるたびに、心臓のスピードがそれらに合わせて早まっていくような感覚に陥る。
しまった。
試験の項目で要件を見落としてた。外部の壁を直さなきゃ。アレもコレも。やっば。わかんねぇ。
グチャグチャと焦燥感と応急処置を繰り返すうちに試験が終わってしまった。
ぜってー無理!無理無理!まじで自信ないシンドイ。
-----
「だいじょーぶ。だいじょーぶ!どうにかなるって!」
事務所のみんなは優しいけれど吉川くんは呆れた様子でモニターの図面をイジる。
「大体イマドキ手描きじゃなくてCADなんだから落ちても死なないって。」
「1級建築士さまの励ましがシンドイ。まじムリ。」
イラっとしたけど吐き出すとひとりでモヤモヤしていたのが気が晴れた。
「他の試験と違って試験の解答速報で自己採点できねーからモヤモヤするよなぁ。」
ちょうど去年の今頃そんな心境だったらしい。
「俺も施工管理技士受けてるからサンスケも来年受けろよ。」
施工班の山口さんたちが仲間内でそれぞれ施工関係の試験や資格が多さに励まし合っている。
高所作業・危険物取扱・足場講習・安全管理・溶接・大型免許などなど山のようにある試験
を受けないと仕事にならない。俺は大型と高所作業は取っており現場の職人は意外とテストやら講習が多い。
「マジっすか〜講習で済まないヤツっすよね!やっばー。」
職人なんてテスト嫌いが多いので資格を持ってると声をかけられる現場や手当が段違いに良くなる。施工管理技士なんてその極み……建築士のセンセーなら学科でいけそーだもんな。ちょっと欲が出てあんなに嫌だったテスト受けようかな?って気分になる。世の中そーゆーことだ。
「若いうちに取っとけ取っとけ!」
「あーそのうち考えます。今はお勉強は休みたいっす。」
おっさん達のニヤニヤ顔が気になるが吉川くんはExcelと図面の手を止め、テキストをパラパラ読みながら「ふーん。」と鼻で笑うように一瞥する。黙々と図面やExcelと格闘するが試験より全然気が楽だ。決まりきった数字をひとつひとつ入れていく。
「答えがハッキリしないのが1番不安になるから健康によくないよなー。」
ボソリとつぶやくと吉川くんはギョッとした顔で目を丸くうわ言のように「答え…答え……か。」とぶつぶつ繰り返す。
「なんか悩んでる?」
「いや……大したことない。昼メシどーしよっかなーって。」
たしかに。腹が減ると集中できねーよな。はらぺこさんめ。なんとなくお腹の中がいっぱいのような、減ってるような溝落ちのあたりでぐるぐるした感覚を牛丼大盛りで流し込むことにした。
腹いっぱいで残暑も落ち着いた青空の心地よさに誘われて軽く昼寝をしたらスッキリした。機嫌が欲求で満たされる単純な自分に満足するよ。悩んでも仕方ねぇ。仕事おわったら遊んでやれ!と憂鬱な月曜日に気合いを入れる。
減らない書類の山を黙々と処理する吉川くんの所にCGの依頼が来たのはその日の夕方だった。
「はい!はい!ぜひお願いします!」
紅潮した面持ちで目をキラキラさせる吉川くんは内線の子機を握りしめて「野杉さんから。週末の打ち合わせ俺も行くから。」と興奮気味に手渡された子機が熱い。
『サンスケ〜。てなわけでよろしく〜』
野杉さんは相変わらずの様子で待ち合わせと転送された案内のメールに目を通す。
『あーあ、子守りが増えちまったなぁ〜。そーゆーことで、いっきゅー建築士くんの若さも爆発させてあげるから飯食ったらこの間のエントランス一緒に来いよ。』
みんな勝手なもので欲求が叶えば悩みなんて吹き飛んじまう。口角のがにやにやするのを必死に抑えながら「牛丼ではなくて仕事で満たされる方がカッコよかったかなぁ。」と頭を掻く。まぁみんな楽しそうならそれでいっか。
「とうとう僕のCGが駅のサイネージやポスターとして……いやー才能が世に広まっちゃうなぁ。」
ニヤけた表情で社内予定表のレインボーカラーのボーダーに[吉川外出 駅ビルプランCG]と新しい色が加わった。
笑顔も楽しい約束も気分が良い。だけどなんかイラッとすんだよなぁコイツ。蹴っ飛ばしてやれ。
ゴツん。当たりどころが良い音がしたが気にしない。うらめしい表情の吉川くんをよそ目に憂鬱な月曜日に埋まる予定表や書類と一緒に吹き飛んでいっちまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます