第3話小さな設計事務所の僕たち

積算という部材発注が一番気が滅入る。コンクリートが何リューべだとか色んな単位とお金が記載されている書類をひたすら見ていると頭が痛くなる。


「三角さん。発注漏れないか確認お願いしますね。」


「うっす。」


積算部の事務員さんが書類の束を抱えて持ってくるたびに気が滅入る。表計算ソフトが苦手なので計算式や単位が色々出てきてパニックになる。


そんな俺を横目に「こんな計算式なんて簡単だぞ。」と吉川君が横から茶々を入れてくるが正直、神様仏様吉川様状態だ。


「どこで習うんだよこんなの。」

「大学で使うからね。今時はBIMを院で使ってレポートとか構造計算も……。」


話が難しくてよくわからないけどドヤ顔でずっと説明してくれているので助かる。要は大学で勉強するのか、頭がいいから大学で身につくのかとにかくお勉強ができるので、俺がチンプンカンプンな顔でモタモタしているのを見かねて横から軽やかなタッチで計算式やら何やらを作業してくれる。


「さすが一級様。ありがとう助かったよ。」

「そーゆーお前は二級受かりそう?」


イラッとした表情で嫌味を言ってくるが気にかけてくれてるんだよなと気を取り直す。


「さぁ?俺にテストの点を期待するな。」

「堂々ということじゃねーよ。」


笑いながらタイピングをしていく吉川君に表計算ソフトの入力を教わりながら、2人で図面を睨めっこしていると女性陣がおまんじゅう片手にニコニコと声をかけてくる。


「若い子が増えると楽しそうでいいわねぇ。」

「君たちのおかげで楽になるわー。」


ニコニコ顔の目尻をさらに下げて「その勢いてバンバン処理してね!」と小脇に抱えたファイルを渡してこようとするが必死に回避する。


「ったくしょーがないなぁ。僕が対応しますよ。」

「あらイヤだ!ありがとう頼りになるわぁ。」


頼られるのが嬉しいのか自信満々に作業を引き受けてくれるのでありがたい。


「デザイナーがデザイン以外の仕事で喜んでてどうすんだよ。」


Fさんはケッと口をへの字に曲げて積算ファイルを放り投げるがAさんがキャッチして「これも重要な仕事だからね!」とフォローしてくれる。


吉川君が手伝ってくれたおかげで随分と早く仕事が終わり、内装管理の仕事の勉強を始める。


「共有部分は内装施工も入れそうだから助かるねぇ。」

「やっぱり住宅とは違うんですか?」


大型マンションの案件はやったことあるが商業施設となるとピンとこない。


「いちばん大きな違いはクライアントが”企業”ってところだね。」

「企業と個人ってなにが違うんですか?」


建物を作るのには違いないのでいまいちピンとこない。A所長とFさんから昔の案件の設計図書や資料の束を図面棚いっぱいに保管されている山に掘り出され「見とけ!」と命じられたものの規模がデカ過ぎて全然アタマに入ってこない。


「まずテーマが明確なのと収益性・集客力がでかいな。マンションだと駅近とかオートロックとかの付加価値をつけるだろ?」


「ああ!なるほど。ココならコレがある!便利なのって行きたくなりますね。」


「そうそう。生活中心なのかファッション・アミューズメント系なのかテーマを決める。むかしの屋上観覧車が典型だな。今回、アスレチックのあるHちゃんの計画はアミューズメント寄りの建物ってことだ。」


ああ。楽しそうなのをいっぱい計画してたもんな。あれから何度か図面のやり取りを野杉さん指導のもとで繰り返している。俺らはゼネコンを交えて建物の形や構造法律なんかを確認しているが……正直これがシンドイ。三角関数ならまだマシだ。訳のわかない計算がズラッと並んで耐震・免震だとか空調環境採光などなど、見たくもない。


「建物の形も……住宅じゃないっすもんね……。」


天空率のまあるい円形が並んでいるがいいのか悪いのか全くわからないのでスルーするしかない。


「えっなにこれ?!」

「ああ吉川君。オレお腹いっぱいで吐きそう。」


目を見開いて図面と俺を見比べ「めっちゃ楽しそうじゃん!俺こうゆうのやりたかったんだよ!」

「うんうん。もうちょっと進んだら君にも手伝ってもらいたいと思うけーれーど。これはサンスケの課題だな。」


ドンっと書類の束を叩いて「イチに図読み、二に検図。まずは読んだ読んだ!さー頑張ってくれよ!未来の建築家さん!」


バシッと叩かれる背中が痛い。課題になっっちゃった。


「そもそもさ。字が多いんだよ。」

「数字もな。」

「なっ!まじで高校の時に社会に出たらゼッテー使わねーって思ってたのばっかでヤバすぎ。」

「俺トクイ〜!変われよ。計算つっても単純計算だろ?楽勝すぎ。」


一級建築士が難しいって意味がやっとわかった。図面とか絵のセンス以外に計算もできないといけないんだよな。そりゃそうか。朝のコンクリートの積算の表や基礎図面を眺めながら普段スルーしがちな構造計算……誰かがやってんだよなぁ。急に建築士になんかとてもなれない気がしてきて頭から煙が出そう。


「やっぱさー、シンプルにここは余計なのとって………」

「なにやってんの?」

「やー見てたら俺も描きたくなってさ!」

「俺ら下請けだからプランは椋さんからだよ…」

「提案だけならいいんじゃない?紺部さんも君たちの視点でどんどんチャレンジしてっていってたし……。」


そんなこと言ってたっけ?ああ…よく飲んでるのか。俺は無理だけど頭のいい吉川君ならできるんだろう。Fさんの朱書きにさらに重ねる形で面白い建物が描かれている。俺にはよくわからん世界だ。


「いや〜!楽しかった!!」

「図面が楽しいなんて信じらんねぇ。」

「好きってのは一つの才能だな。図面を面白いって感じてくれるのは嬉しいよ。」


終業時間を大きく超えたところでA所長か声をかけてきてくれた。


「ビール飲むか?」とお中元のビールを差し出してきた。

「え?いいんすか?仕事中……」

「もう仕事終わったから、一杯付き合えよ〜」


みんなで苦笑しながら顔を見合わせてビール片手に図面を眺める。「懐かしいなぁ。」と古い完工写真のアルバムを捲りながらポツリポツリと他愛ない昔話を語る。


「昔は一枚一枚手書きだったなんて信じられないだろうなぁ。」

「マジでこんな細かい窓とか部材全部手描きなんて信じらんねーっす。」

「…楽しかったんだよ。だから今まで続けてこれたよね。」


トラブルや辛いことがあったかつての日々はビールの泡ごと飲み込んでしまったかのように、静かな眼差しとアルコールで赤く微睡んだ表情にそういった煙のような感情は曖昧になっていた。


「俺もこんな建築たててみたいです!」

「はは…大変だぞー!良いもんができちまえば満足の方が勝っちまうからズルいよなぁ。仕事に惚れちまった弱みだなぁ。」


古いオレンジ色の日付の刻まれた写真は青空を全体に受け青々としたビルを背景になごやかな飯野所長、 野杉さん、能見さん達の若々しい姿で輝いていた。


「こんなビルばんばん建て羨ましいですよ。」


俺と吉川くんが羨望の眼差しでアルバムを捲る。


「…いざやりだすとね。思い通りのものなんか作れないんだよ。だから視野も実力も鍛えられたんだけどね。」


ビールを一気に煽ると、真面目な面持ちで図面を一冊差し出す。


「いま、このビルの改修をうちの後藤くんがやってるから来週手伝いに行ってくれるか?」

「俺らっすか?」

「勉強してきなさい。作業内容は後藤監督に聞いてくれ。そろそろ帰りなさい。」


空き缶とアルバムを片付けて帰路に着く。その日の夜遅くまで書庫はの灯りは付いたままだった。


「夢を形にするのは永遠に叶わない片想いだよなぁ。」


空になったビールの缶と草臥れた一枚の名刺を見つめる。


「もう一杯だけ。」そう呟いて酒を煽った。


ーーーー


週明け、後藤さんが以前から入っていた現場の施工現場に入ることになった。


「あっここは800ですね。ちょいと汚れてるのでクリーニング対応お願いします」


図面を見ながら墨出し指示をしていく。今回は吉川くんも図面片手に採寸したり会話に参加する。


「ここに梁あるけどどうするよ?」

「でた〜!!!開けてびっくり謎の梁!」

「こりゃ中に配管通ってるからぶっ壊せないなぁ」


俺と職人さんがゲラゲラ壁を叩きながら、壁の空洞がある音を確認する。


「なんで、図面にない配管があんだよ!」


吉川くんがキレながら壁位置や計画変更に頭を悩ませる。


「こんなもんよ。」


メジャーでいちいち測って2ミリ3ミリズレている部分にイライラするのを放棄した吉川くんは黙々と修正図面を用意する。


確かに変更はいくつか指摘はする。気になるところは言うが職人さんの現場での作業自体には細かな口を挟まない。職人さんと設計の無言の協定のようなものだ。信頼してる人は進行だとか修正などで話し合いはするが、基本は口を挟まない。信頼しているからだ。指摘自体は絶対に出てきてしまう。


ワイヤーに包まれた仮設照明と扇風機の熱風を受けながら、解体された剥き出しのコンクリートに汗がポタポタと落ちる。


図面と睨めっこしてブツクサ言ってる設計も、現場であからさまに「ウゼェなぁ」とゲラゲラ笑う職人の兄ちゃんもアレコレ言ってるうちに一つのものを作ろうという気持ちが揃う。男ばっかの露骨で雑な本音についつい笑ってしまう。


「なんだ。みんな一緒じゃん。」

「何がだよ。」


職人さんと吉川くんが声を揃えて怪訝な視線を向け、様子を見にきた後藤監督がニヤニヤしながら「ほー頑張ってるねぇ。」と、からかってくる。


「飲みにいくか!」

「苦いビールが好きになる大人になるとは思わなかったな。」


夏休みの小学生の歓声を遠くに聞きながら、流す汗を拭った。

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