第2話①商業施設>設計事務所
「若い頃はバブルでよかったよ。」
飯野所長に次ぐベテラン設計の野杉さんは意匠デザイナー寄りのベテランさんで昔は良かったが口癖だ。予算が潤沢な大手デベロッパー出身でバブルのあとも各地の商業施設の空間デザインに携わっていた。
「能見ちゃーん!いやーこの歳になって勘弁してくださいよ。」
野杉さんが相手をチャン付けで呼ぶときは大概、古巣の会社の人からの引き合いだ。
「野杉さんがキャバ…じゃない。泣き入れてるなんて珍しいですね」
「まぁいつものパターンだよ。」
「おーい三角よーい!お前もこいや。」
結局、キャバ…じゃない、会食で商談をするのかぁ。仕事飲みイヤなんて言ったら殴られそうだなんて、苦笑いで所長と顔を見合わせるも温かい目がかえって恨めしい…。だっる。
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飲み会は小洒落た洋食屋で助かった。相手は、キザな垂らした髪と整った顎鬚で飾った口元は柔和な笑みを浮かべる。紺部さんは30代前半かなぁ。かるく羽織ったベージュの光沢ある麻素材ジャケットからのぞく腕時計を横目に名刺交換をする。吉川くんとはまた違ったお洒落さんでキンチョーするなぁ……現場帰りのボサボサ頭のうなじを抑えながらお辞儀をする。服装に気を使わないからダセェって思われてそう。気まずいなぁと、目線を落とした先の飴色にピカピカと磨かれた靴は俺のどの持ち物より高価そうだ。
作業着じゃなくってセーフ!一番まともなシャツを慌ててアイロンかけただけマシなので勘弁してくれ。同席した女性社員の椋さんはさしづめ高級住宅展示場のコーディネーターみたいだ。ネイルや針金のオブジェようなアクセサリーが煌めいて、フンワリいい匂いがする。
「今回は能見さんからのご紹介で伝説のデザイナー野杉さんに参加していただけると…」
紺部さんが挨拶も早々に新規のプランの話を交え当時の話で盛り上げる……が、俺は100回は聞いてる話しで飽きてんだよねー。野杉さんも昔話を気分良さそうに話している。
ハムの乗ったサラダまじうまい。椋さんは、モデルルームの置物のよう綺麗な笑顔で黙りコクコクと相槌を打ちながら、目をキラキラさせている。初めて大型の案件のメインになれて嬉しいらしい。
おじさんのセクハラぎりぎりのトークになると針金みたいなアクセサリーをつけたり外したりし、紺部さんに目配せをする。多分フツーの会社ならセクハラ親父になりかねないよなぁ。椋さんは借りてきた猫みたいに頬っぺたいっぱいにサラダを詰め込んで我慢をしている……けど、バレバレだぞー。
「若者のターゲットねぇ。」
周りのことなどお構いなしの野杉さんはつまらなそうに呟いてグラスを煽り「弱ぇなぁあ!」と吐き捨てる。紺部さんは眉をハの字にして独特の表情で苦笑いをする。今日の俺は他人事だけど、オトナの対応ってヤツ大変だなぁ。
「若者ってさぁどんな若者?10代?20代?ファミリー層なら30代も若者だな。」
椋さんは頬に詰め込んだご飯をモグモグしたり、ムッとしたり表情を交互に変え、カトラリーを丁寧に置きお行儀よく手を膝に整える。やたら姿勢良く頬っぺただけが高速でモグモグ忙しい。イラッとしてるのは分かるけど小動物みたいで妙に面白い。
「……提案書自体の評価は…悪くない。が決め手にかける。と、全員から言われました。」
ハムスターみたいだが、大企業のOLらしく躾けられた彼女は真っ直ぐに暗殺者みたいに黒づくめのオッサンを見つめる。キレーな置物みたいな女の子だったのに妙な度胸あんなぁ。
「それはデザイン室?まぁ、冴えないおっさんに見えて大企業で長年やってたら”イイモノ”は見慣れてるからな。別に失敗しなきゃいいって営業が安パイとって妥協で通されるより誠実じゃない?」
椋さんの無言の目線に、真っ黒な何も映してない瞳で返す野杉さんは鼻で笑うように突き放す。
「あのさぁ……紺部くんだっけ……?今回は意匠のC工事内鑑の依頼でしょ?」
野杉さんは、不適な笑みを浮かべかったるそうに手を挙げウェイターを呼び指で摘んだ空いたグラスをゆらゆらと揺らす。だらしねぇのか、気を使わないのか、テキパキと出来るサラリーマン!って感じの紺部さんとえらい違う。このオッサンマジでこの人とおんなじ会社だったのか想像つかねぇ。
「ええ”意匠”の内装監理室でお願いしました。」
微笑みながら頷く。周囲に気づいてオーダーを采配する紺部さんを慌てて手伝おうとする彼女を軽く静止し、
話の中心に促す素振りはソムリエみたいだ。
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内装監理室(内監)
一般的には商業施設のデザインコンセプトを法規や設備と整合性をとって取りまとめる。
各テナントの内装デザインなどにも関わってくる監理者。
デザインだけでないく設備・法規と施工の流れが分かっている必要があるのでキャリア・経験が必要になる。
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「初期構想からねぇ。」
タブレットを見ながら提案を見せられるが何が悪いのかちっともわからない。お洒落じゃん????
「外観は半年前にできたXXXXモール風。エントランスは中国のショッピングセンターの焼き回し。共用廊下はとりあえず樹木風の柱?若者って割にファミリー層向けで今更でしょ?」
あー聞いたことあるわー。どれも俺でも聞いたことある有名な施設ばっかり。行ったことねーけど。
「最初はもっと違ったんですけど…いろいろな人に言われてるうちに訳わかんなくなっちゃってぇ…」
「テーマがボケてんのね…」
「あの!書き直したら見てもらってもいいですか!」
おー初対面で強面のオッサン相手に言うねぇ。根性は好感持てるけど、メインディッシュのチキンをモグモグ食べながらお願いするのはどーかと思うよ。隣で君の上司が笑顔を引き攣らせてる。まぁ俺はカンケーないけどねっ!
ーーー
後日、宣言通りメールでがきた。凄く尖っているのが3案。
「いーんじゃない?」と、サラリと言いながら書類に赤ペンで法規と施工の問題点をつらつらと書く。
「あと少しバカになって欲しいねぇー。これだから坊ちゃん嬢ちゃんは…」
ニヤニヤとコワモテの口角を歪め高笑いをしながら、赤ペンでターゲットにバツをするその姿は図面は暗殺計画書のようで怖いよぉ。余白の美……とやらのオッシャレ〜な書類は、あっという間に赤ペンのメモ欄となり本文よりメモの方が多くて読む気が失せる。ヤッベェなぁ。
「オレ現場行ってきまぁす!」
デザイン室からそぉっと逃げるように飛び出すと、紺部さんから『ボルダリング行きませんか?』と誘いのメッセージが来た。休日に遊ぶのはいいけど、一応仕事だしなぁ。空気がわからん。デザイン室の様子を振り返り難しい話わかんねぇからお洒落星人の吉川くんを助っ人にし参加することにしよう。
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次の土曜日
高校以来久々のボルダリングだ。繁華街の真ん中の最新の施設の坪庭にグミのようなカラフルなストーンが彩られ周囲ではBBQの店舗やペットショップもありなかなか賑わってる。
「うちの会社の施設でも最近人気なんだよ。」
紺部さんはワゴン販売のスムージーを片手に説明する。
水色のピッタリとしたスポーツウェアに身を包んだ椋さんは細い身体で身軽にストーンを掴んでちょこまかとよじ登る。ストーンを掴もうとする度にお尻が揺れる挙動がリスとか猫みてぇ。セクハラと思われないよう目を逸らし、隣で全身アンダーアーマーでキメて悪戦苦闘している吉川くんにダル絡みし、その場をやり過ごす。
「横からうっせーよ元ヤン。」
「ほら〜落ちるぞチャラ男。」
「あっはっは!いいねえ君たち」
快活に笑いながらスポーツドリンクを差し入れしてくれる。ケラケラ笑いながらあえなく墜落した吉川くんは勝手に俺のスケボーに腰掛けて紺部さんの作品がかっこいいと明らかに尊敬の眼差しを向けマニアックなデザイン談義に花が咲く。間が持つのは良いが、ちょとウザい。
「コイツわかってねーんですよ。」と言いながらイジってくる。連れてくんじゃなかったムカつく。
「ねースケボー!やって見せてよ!」
頂上まで登った椋さんが笑顔で手を振る。ハイになってるのか気安い会話でちょっと楽。簡単なスケボーセクションとポールがちょうど空いてるので周囲を確認して何回かジャンプして板と足元を確認し滑走し軽く跳ねてみる。皆んな感心しながら拍手が起き照れ臭い。
「かっこいいじゃないですか!」
と椋さんがスマホで動画を撮影していた。
「これプレゼン用の資料ムービーにしていいですか?」
「スケボーセクション入れんの?」
「ええ。一つはスポーツアスレチック広場の複合施設にしたいんです!」
思いついた様に口早く仕事の話を持ち出す椋さんのハイな様子に呆れ顔の紺部さん。忘れてた、そういや取引先だった。こーゆーノリなら仕事でも楽しそう。
「できたら俺滑りに行きますよ。」
「君たちが作るんだよ。
あっそうか!なんだか急に楽しくなってきた。どんなのを作るのか普段の仕事と違ってウキウキする。吉川は着替えてくると言い所在無さげに更衣室に行った。
「先にBBQの席取ってくよ。」と、声をかけたが振り向くことはなかった。椋さんも更衣室に行き俺と紺部さんはBBQショップの予約席で準備をする。
「なぁ。三角君は元ヤンなのかい?」
「いやいや!アイツとのやり取りだけで全然っす。」
初対面トークで地元やら学校やらを聞かれ流けど高卒の俺の人生は何もねぇ。
「お袋が女手ひとつで育ててくれて早く働いて楽させたくて。いいんすよ俺は。」
「親御さん想いなんだね。ふむ。」
大卒の紺部さんは高そうな腕時計で飾った腕で顎髭を撫で仕草も現場にはいないタイプ。何もかもちがう空っぽの自分にイライラする。はやく終われ。
「あっここにいたんですね!」
吉川と共に現れた椋さんは色鮮やかな向日葵のようなワンピースに制汗スプレーの匂いがして高校の時の女子バスの娘みたいな笑顔だ。
「お腹すいたー!」とドリンクを選び出す。みんなで切り分けられた具材を焼きながらBBQすると学校の林間学校みたいで学生気分を思い出す。
「なぁ椋。さっきのスケボーのプランに子ども食堂を横につけたらどう?」
紺部さんは肉を取り分けながら仕事の話でスミマセンと会釈をし提案する。
そこからはボウっとして「行き場のない可哀想な子どもの救いの場所」とか「不良少年たちの更生の場として大企業としてできる場の提供」とか言ってる紺部さんに椋さんは真面目な表情で頷き、吉川は「なんて素晴らしいんだ感動した。」と瞳を潤ませ賛同しているがなんて言っていい空気か分かんねぇ。
紺部さんは胸を張って静かに目配せをして例の不思議な表情で眉を八の字にして微笑んだ。
「おれはそーゆーのよくわかんないっす。」
考えたことがないコト、どう振る舞ったらオトナなのか分からねぇ。分からねぇ。分からねぇ。
名前の知らない真っ白な霧のような感情をビールで流し込むしかなかった。
ーーーー
「おっはよーん!ようサンスケ!」
「そのサンスケってやめてくださいよぉ。」
月曜の朝から機嫌のいい野杉さん
「スケボーしたんだって?彼女がカッコよかったって動画を能見ちゃんから送ってもらってさぁ、日曜の朝から彼女がプラン変更したいってキャピキャピ(死語)してたらしいよーん!いいじゃーん」
「若いっていいねぇ」口々にからかっておっさん達全員食いついてきた。勘弁してくれ。
「俺と大企業のお嬢さんじゃ身分が違いますって。」
「うーんそんなことないぞ?一級建築士まで取っちまえば話は変わってくるぞ。」
飯野所長は瞳を爛々と輝かせてて豪語する。そんなもんかぁ〜?肩書きの大切さと大企業からの独立を狙うデザイナーにとって有資格者のパートナーは魅力的らしい。
「そのプラン変更すごいイイんすよ。大企業はやっぱ違うよなー。正直スケボーは普通なんだけど、子ども食堂併設してー。」
吉川がベラベラと土曜日のことを話し始める隙にさっさと現場に逃げよっと。野杉さんはまた闇の底みたいな黒い瞳をギョロギョロを目配せして口角を耳に届きそうなほど吊り上げてる。
「もうやめとけ」
ポツリと呟く野杉さんの形相に目を丸くした吉川の言葉を遮った。
「色気のねー野郎だなぁ。こーゆー可愛い女の子のラブレターはお楽しみにしとかないと!なぁ!」
俺の背中をバシッと叩いて飯野所長の机の上のタバコを片手に外に出ていった。俺は野杉さんがタバコを吸っているところを見たことがない。
翌日、事務所の会議室にはネイビーのサマーニットジャケットを羽織った紳士と椋さんがいた。真っ白なシャツとイタズラぽい笑みから白い歯がチラリと見えた。
「茶ぁー出してよー。あとサンスケも参加だからお中元のジュース好きなの持ってきてこっち来い。」
俺は会釈をするふりをして目を逸らしてすぐにその場を去ろうとするが野杉さんに指示される。俺はガキか!椋さんが堪らずコロコロと笑う。
「あ…フルーツジュース何がいいっすか?」
なんて間抜けなことしか言えない自分が恥ずかしい。飲み物をテーブルに並べて新しいプランのレジュメを見る。まだ手描きのラフや文章で描き込みがされている段階の中に、広場でスケボーをする若者と子ども食堂でご飯を食べる子どものイラストがあった。これ…俺かな?可愛らしい絵だった。
サマージャケットの紳士は能見さんというらしい。白髪の混じった髪を整えてメガネの向こうが深く光った。
「うちの若いのが申し訳ないです。」
俺と野杉さんに目尻にシワのできた瞼を深く閉じて喉を鳴らすように言った。
「君はこのプランどう思った?」
学生の頃から質問をする人のまっすぐな瞳が苦手だ。答えを間違えたら失望の眼差しになる。
「俺にはよくわからないです。」
キラキラとした椋さんの瞳に心の中で謝罪するように瞼を閉じ首を垂れて吐露した。俺にはそれが精一杯だよ。
「まだ下書きで…スミマセン変ですよね…。」
自信なさげな椋さんは土曜日以降スケボー以外にも色々なアイディアを休み返上でスケッチやプランを書きまくってるのが分かる。
「子ども食堂ってココに必要?」
「それは…実は紺部さんのアイディアで…」
口差がない野杉さんは柔和な物腰で静観していた能見さんと目を合わせる。
「収益性と施設のメリットは?」
「確かに収益ではないですが、将来ここで育った子どもが施設に…」
金金金。でもまぁ現実は金だよなぁ。正直、俺も儲けの話に結びつかない。仕事ねぇ。そんなこと考えず楽しいことだけ詰め込んだレジュメに視線を落とす。
「君って飢えたことある?」
彼女を見据える野杉さんの瞳は闇のように暗いのに、イラストを見る表情は優しく穏やかでとても冷たかった。
「僕はありがたいことに、幸せな時代に生まれて飢えて生活に困ったことがないんだ。親の世代は違うけどね。」
能見さんは汚れも皺もない白いワイシャツの襟から覗く首元の現場の人間と違う貧困や労働を知らない汗をハンカチで拭う。
「今の時代は難しいね。」
能見さんはハンカチを額に押し付けたまま押し黙った。
「食うものに困ってる子どもは金儲けの道具でも見せ物でもねーぞ。真横でオモチャ見たら欲しくなっちまうしな。」
「優しさは見せ物にしちゃダメなんだよ。」
野杉さんは赤ん坊をの額を撫でるような優しい仕草でイラストを撫でる。ハッとした表情の椋さんは口をパクパクさせてテーブルの下で指をぐっと握り頭を下げる。
「軽率なプランでした。」
「社会福祉的な考えは素晴らしいよ。もっと深掘りして別の形で本当に人に寄り添えるようにしたらいい。」
能見さんは優しく微笑み、他のページの保護犬の譲渡会や屋上ファームとかを褒める。
そうか。俺は大企業の人にとって保護犬保護猫かぁ。スゥっと心の奥の霧が静かに晴れる。
「保護犬いいっすね。」
犬猫のイラストを見ながら微笑んだ。妙に心が静かだ。
「そうですね。もう少し整理してみます。」
付箋とメモだらけのノートに猛然と描き始めた。そのメモは野杉さんの赤ペンみたいにギッチリで、ニコニコ微笑む女の子と考えているイメージが一致せずクラクラする。女の本性?いや、そこで仕事していたのは見知らない人だった。
「三角さん!次はスケボー教えてくださいね!」
笑顔で別れを告げる彼女と目が合わせられず、アクセサリーが赤い夕日を反射しギラギラと目を突き刺すような気持ちになった。
ーーーー
椋さんとは仕事もプライベートもメールやラインを何度かした。仕事を言い訳に俺は会うのを避けた。
吉川は最近、紺部さんに色々飲みに連れて行ってもらっているらしい。紺部さんの服装に徐々に似ていき自慢話をする姿はまるで紺部さんのコピーみたいで気味が悪い。内監の仕事はまだまだ先だからと、のらりくらりしてる野杉さんの資料棚には本やファイルが日を追うたびに増えていく。たまに資料を探しに行くと俺の知らない椋さんの書類に朱記と建築法規の紙面の添付、そして若者向けの雑誌やサイトの情報で溢れ返っている。
スケボーのカタログもあった。俺の使ってる板のメーカーだった。
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