第2話 恋愛学習と偽装恋愛
◇
「……んっ。もう終わったか」
俺は終業のチャイムに合わせて目を覚ました。強張っていた身体を、教師に見咎められないように小さく伸びをすることで解す。
「今日はここまでにします。それでは皆さん、また明日」
授業が終わったことで、担任教師は一礼して教室を出ていく。……恋愛学習の授業は、必ずしも全員が参加するとは限らないので、授業前後の礼は行わずに流れ解散となるのが通例だ。
「さてと、帰るか……」
「……ねえ」
無駄以外の何物でもない授業が終わり、帰ろうと立ち上がった矢先、隣の席から声が上がる。わざわざ俺に話しかける奴がいるわけないと思いながらも、一応隣に目を向けてみる。
「……ちょっと、いい?」
隣の席にいたのは、同じクラスの女子。彼女は座ったまま、俺を見上げるようにしてそう話しかけてきた。どうやら、俺に話しかけているらしい。
「何だ?」
そんな彼女に、俺は不機嫌さを隠すことなくそう返した。ただでさえ不毛な授業を受けた後で、それからようやく解放されたというのに、余計なことで手間取らせないで欲しい。これでしょーもない用件だったら顔面グーパンくらいしても許されるんじゃないだろうか? いやまあ、実際にやると色々面倒だからやらんが、それくらいには苛立っている。
「……黒岩君、恋愛学習、面倒臭いって、思ってる、でしょ?」
「それが?」
やたらと細かく区切るたどたどしい喋り方に、まるでただの何気ない雑談のような内容。この時点で既に苛立ちが許容限界ぎりぎりだが、これが本題というわけではないだろうし、ここは一旦堪える。俺の記憶にある限り、彼女が話しかけてきたのは今日が初めてだ(そもそもこの学校で俺に話しかける人間なんてまずいないため)。それに、明らかに喋り慣れていない感じがする。単なる雑談目当てで話しかけてきたわけではないということは、普段人と関わらない俺でもさすがに分かった。
「……だったら、私と、付き合わない?」
「……は?」
だが、続けられた言葉はあまりにも意味不明だった。いや、脈絡がないというわけではない。だが唐突すぎて、耳を疑ってしまった。
「……恋愛学習は、恋人がいれば、免除される。……だから、私と付き合えば、堂々と、サボれる、よ?」
彼女が言っているのは、恋愛学習の大原則。恋愛の仕方が分からないから恋愛学習なんてものが必要なのであって、現在進行形で恋愛をしている人間には必要がない。故に、恋人がいる生徒は恋愛学習の授業が免除されるのだ。正確には、専門の調査官による聞き取り調査を受ける必要があるので完全に免除されるわけではないが、少なくとも拘束時間はかなり減る。合コンも参加しなくて良くなる。
「確かに、それはそうだが……」
この女子が言っていることは理に適っている。俺は恋愛学習なんてくだらないことに時間を使いたくないし、そのためにこいつと付き合う―――というか、この場合は付き合っている振りをするということだろう―――というのは、一見すると悪くない選択肢だ。だが、それはそれで問題がある。
まず第一に、振りとはいえ女子と付き合わないといけないということ。恋人を作るという行為そのものに対して、生理的な嫌悪感を覚えてしまう。まあ、これに関しては我慢すればいい。合コンをサボれるというのは、それだけで魅力的だ。
「だが、付き合ってると言い張るだけでは駄目だろ?」
そして第二の問題は、この手の不正―――偽装恋愛はご法度ということ。別にルールを遵守するべきだなんて思ってはいないが、ばれると面倒になる。具体的には停学処分と、恋愛学習の補習を受けなければならない。
「……別に、恋愛の形は、人それぞれだし。……その辺は、うまくやれば、いい」
それくらいの突っ込みは想定していたのか、女子生徒はそう返してきた。確かに、恋愛の形は人それぞれだ。他人から見て「いや、それで付き合っているって言い張るのは無理がある」というような関係でも、当人たちがそれで良ければそれも恋愛の形だということになるだろう。だが、そんなことは最初から分かっていたことなので、政府もそれなりの対策はしている。恋人がいる場合の聞き取り調査というのも、恋愛関係が円滑に進むためのサポートというお題目だが、不正がないかの確認という側面もあるのだ。
「うまくやるとは言うが、俺にはお前と、振りであってもまともに付き合えるとは思えないんだが」
「……でも、このままだと、合コン出ないと、だよ? ……私も、合コンは、出たくないし」
「それは……」
合コンに出たくないというのはこちらの台詞だ。勿論、ばれないならば偽装恋愛するのもありだろう。というか絶対するべきだ。けれど、ばれるリスクがあまりに大きすぎる。俺がまともな恋愛ごっこを出来るわけがないし、ペナルティが重すぎる。補習は受けたくないし、停学処分にでもなったら親に説明するのも面倒だ。リスクとメリットを天秤に掛けたら、素直に頷けるものではない。
「……それに、このまま、恋愛学習、受ける、より。……付き合ってる、振りしたほうが、楽じゃ、ない?」
「それはさすがに頷けないな」
自慢じゃないが、俺は人付き合いを殆どしたことがない。それこそ、両親以外でまともに喋った経験はないに等しい。その両親にしたって、基本的に必要最低限の会話しかしない。それも別に両親が子供に関心がないわけでもなく、俺が単に無口で、親との関わりを持とうとしないが故だ。そんな有様の俺が、今日初めてまともに口をきいた女子と恋人の振りなんて不可能だろう。
「……どうしても、駄目?」
「どうしてもとまでは言わんが……まあ、他を当たってくれ」
それでも食い下がってくる女子に、面倒になった俺はそう言って鞄を掴む。そして、話は終わったとばかりに立ち去るのだった。
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