第4話 霊力

 綾さんから少し離れたところまで後退し、張り巡らされた銀色の結界の外で、まりんちゃんは佇んでいた。

 タイムリミットは三十分。綾さんが作り出してくれたこの時間を、一分一秒でも無駄にしたくない。

 いつになく真剣な眼差しでまりんちゃんは前方を睨め付けると、駆け足で前進した。

「さてと……」

 先程、まりんちゃんが投げつけたあるものの側まで駆け寄り、立ち止まると頭をフル回転させる。

 美舘山町で堕天使と再会したところをエディさんに目撃されていた。そのことから、まりんちゃんが堕天使となんらかの関係性を持っているとエディさんは考えている。


 気掛かりなのはエディさんが、まりんちゃんに接触して来たごく普通の男性人間の正体が堕天使であることに気付いていることだ。

 祠の管理人さんと交戦中、気を失った三人の、中学生くらいの子供達を背に、ピンチに陥っていた美少年を救うべくまりんちゃんが堕天使と契約をしたのが、半年以上前である。

 先程のエディさんの口振りでは、まりんちゃんと堕天使の詳しい関係性までは知らないようだ。が、堕天使そのものが現世に出現したことは、冥界全体に知れ渡っているに違いない。


 もしそうだとしたら、エディさんに保護された後、冥界にて堕天使との関係性について冥府から取り調べの形で問い質される可能性も……あらゆる可能性を考慮し、エディさんが近くにいる今、堕天の力を使うわけには行かない。それなら、この結界を突破するには、堕天の力に変わる力がないと……考えろ、考えろ!

 頭の中に流れ込む、死神のシロヤマに出逢ったところから今までの記憶を早回しで遡る。そして初対面のエディさんと会話をしたところまで記憶を遡ったところで、まりんちゃんははっとした。


『――死神に鎌を振られることもなく、深い怨念により成仏できずに現世を彷徨うエターナルゴーストを保護するのが、僕の仕事なんだ』


 そうかっ!

 気さくに自己紹介をしたエディさんからヒントを得たまりんちゃんはひらめいた。

 今の私は、ゴーストなんだ。生身の人間じゃない。ということは、私にも使える筈よ。生身の人間じゃ扱えなくて、ゴーストにしか扱えない……霊力れいりょくってやつを!

 まりんちゃんは、ふぅ……と深呼吸をすると、おもむろに右手を翳し、アスファルトの路上に落ちているアクリルキーホルダーに霊力を集中させる。狼のチャームが付いた、わかいいぬいぐるみのような、童話の赤ずきんちゃんの絵柄のアクリルキーホルダーが、ふわりと浮かび上がった。

 思った通り、微弱びじゃくだけど霊力が使えるわ!

 予想通りの状況にほくそ笑んだまりんちゃん、身体の向きを変え、今度は結界に両手をかざす。霊力を失い、自力で浮いていられなくなったアクリルキーホルダーが、ガシャンと音を立てて路上に落下した。


 両手の平に力を集中させ、目に見えない透明な壁として聳え立つ結界に霊力を放つも、結界にはヒビひとつとして入らない。エディさんが張った結界は、まりんちゃんが思っている以上に頑丈がんじょうで、アクリルキーホルダーひとつを動かすのがやっとの微弱な霊力では、それを破るのは容易よういではなかった。

「霊力が弱すぎる……これじゃ、どんなに頑張ったって、結界を破ることができないわ」

 一難いちなん去ってまた一難。新たな問題に直面し、まりんちゃんは途方に暮れた。


 霊力が弱すぎて使い物にならないとなると……こうなったらもう、覚悟を決めて堕天の力を使うしか……

 いま、ここで堕天の力を使ったその瞬間、まりんちゃんが堕天使と契約をしていることがエディさんにバレて、保護どころの騒ぎではなくなってしまうかもしれない。

 霊界に行けず、危険人物として地獄に落とされるか冥界の牢獄ろうごく幽閉ゆうへいなど、最悪の事態を想定しながらもまりんちゃんは、堕天の力を使う決意をする。と、その時。


「諦めないで。私も手伝うから」

 どこからともなく姿を見せた一人の少女がそう言って、まりんちゃんの左隣に佇み、結界に両手を翳した。すると……まりんちゃんの霊力だけでは何も変化が起きなかった結界に亀裂が生じたではないか。

「すごい……私の霊力じゃ、結界にヒビひとつ入らなかったのに。ねぇ、一体どんな力を使ったの?」

 驚きの表情をして感心の声を上げたまりんちゃんの質問に対し、

「魔力って言う名の、特殊能力よ。霊力とは似て非なる力なんだけど……頭でイメージしたものを具現化にしたり、念動力を使って物を動かしたり空を飛べることだってできちゃうの」

 そう、少女が得意げな笑みを浮かべて返答した。肩にかかるくらいの、栗色の髪を二つに結わき、学校帰りなのか、襟元に赤いスカーフが結わかれた、グレーの、夏用のセーラー服を着ていた。


 そう言えば……細谷くんも魔力が使えるって、数日前に言っていたわね。そうか、このこも細谷くんと同じ能力が使えるんだ……うん?

 内心、そこまで思ってまりんちゃんはふと、腑に落ちない表情をする。

 あれこのこ……前に、どこかでみたことがあるような……

「二人だけじゃ大変だろう? 俺も手伝うよ」

 赤いネクタイを結わいた白シャツにグレーのパンツを着用した、夏用の制服姿の黒髪の少年が気さくにそう言って手伝いを買って出ると、まりんちゃんの右隣に立って、二人と同じように両手を前に翳す。少年の力が加わり、結界に生じた亀裂が緩やかに広がって行く。

「あなたも、特殊能力が使えるの?」

「まぁ、特殊能力って言えばそうだけど……俺は、魔法の力が使えるんだ」

 右側に顔を向けて平然と尋ねたまりんちゃんに少年は、得意げにそう返答した。

「魔法の力が使えるってことは……分かった! あなた、魔法使いね?」

「正解。俺の他にも、もう一人いるんだぜ。精霊王と契約する……俺よりも強い魔法使いがな」

「精霊王と契約する……魔法使い?!」


 まりんちゃんは驚愕した。半年以上も摩訶不思議な体験をしてきているのでもう驚くこともないだろうと思っていたが、ここでまさかの『精霊王』なる言葉を、初対面の少年の口から聞くことになろうとは露程つゆほども思わなかったのだ。

「そのことについては後で……状況が落ち着いた時に説明するよ」

 妙に冷静沈着の少年が、良く通る澄んだ声でまりんちゃんと少年の会話に割って入る。

「とにかく今は、君をここから逃がすために、この結界をなんとかしなければ……」

 あらっ! 私好みの超美少年じゃないの!!

 美少年の出現に、まりんちゃんは三人の少年達に見えない角度で顔を傾けるとにやりとした。


 艶のある、黄土色の髪に紫色の目をした、美しい人形のような顔をした少年が、黒髪の少年と同じ制服姿で少女の左隣に立ち、三人と同じように両手を前に翳した、次の瞬間。美少年の力が加わり、結界に生じる亀裂が急速に広がって、やがて硝子が砕けるような音を立てて結界が割れた。

「これで、関門のうちの一つは突破だ。さぁ、先を急ごう!」

 黄土色の髪の少年が、真剣な表情で促す。まりんちゃんは無言で頷くと、三人の少年達とともに駆け出した。

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