第8話 追い出されずに済みました

「君が出ていく必要はないよ。アンネリア嬢」


 ん?この声は?


 ゆっくり声の方を振り向くと、そこには侯爵様の姿が。この屋敷に来て、初めて見たわ。まあ、私には関係のない事だけれど。


「アレグサンダー、どうして?今日は遅くなるのではなかったの?」


「仕事が早く終わってね。それよりもキャサリン、どうしてアンネリア嬢は君に跪いているのだい?この家から出て行けとは、一体どういう意味だい?どうしてメイド服を着ているのだい?僕に分かる様に説明してくれるかな?」


「わ…私は別に何も言っていませんわ。この人が勝手に、出ていくと言ったのです。メイド服も、彼女の趣味で着ているのですわ。この人、とても変わっているのよ。それよりも、早く帰って来るなら、そう教えてくれたらよかったのに」


 さっきとは打って変わって、ねこなで声で侯爵様に甘える奥様。こんなにも美しい奥様に甘えられたら、きっと侯爵様もメロメロだろう。


「すまない、君の喜ぶ顔が見たくて…それよりも、アンネリア嬢を屋敷から追い出すと聞こえたが…」


「私、そんな事は言っておりませんわ。珍しく奥様がお部屋から出て来たかと思ったら、急に躓き転びましたので、お助けしようとしたところを、たまたまアレグサンダーが帰ってきたのよ。私が奥様に、そんな酷い暴言を吐くとでも思っていらっしゃるの?」


 ウルウルと目に涙を浮かべ、侯爵様を見つめている。あまりの変貌ぶりに、開いた口がふさがらない。奥様は2つの性格を持ち合わせているのかしら?


「そうか…分かったよ。それならいいのだよ。アンネリア嬢、ずっと部屋から出ていないと聞いて、少し心配していたのだよ。君とは一度、ゆっくり話をしたいと思っている。今日はもう、部屋に戻ってくれ」


「はい、ありがとうございます。あの…私が屋敷から出るという話は…」


「あなた、何を言っているの?あなたが屋敷から出るだなんて事はないわ。訳の分からない妄想を言って、私を困らせるのは止めて頂戴。あなたはもう、部屋に戻ってもいいと言っているでしょう。さっさと消えて」


「キャサリン?」


「いえ、申し訳ございません、奥様。どうぞゆっくりとお休みください」


 いつもの奥様に戻ったかと思ったら、急にしおらしくなってしまったわ。本当にこの人、同一人物なのかしら?


 とはいえ、どうやら私は、屋敷を出て行かなくてもよいみたいだ。


「ありがとうございます、侯爵様、奥様。それでは私は、これで失礼いたします」


 また皆と一緒に仕事が出来る、そう思ったら嬉しくて、つい笑みがこぼれた。彼らに一礼し、そのまま足早に彼らの傍らか去っていく。


 このまま追い出されなくて、本当によかったわ。でも、私はどうやら奥様に嫌われている様だ。もしこのまま、奥様に嫌われ続けたら…


 侯爵様は奥様を心から愛していらっしゃる。そんな奥様を私が嫌っていらっしゃると知ったら、もしかしたら我が家に援助してくれたお金を返せと言い出すかもしれないわ。そうなったら大変。


 せっかく追い出されなくて済んだのだ。もっともっと働いて、奥様に認めてもらえる様に頑張らないと。契約書にある通り、奥様がご懐妊すれば、私はお役目御免。それまでは、石にへばりついてでもここに置いてもらわないと。


 このまま休んでなんていられないわね。奥様に喜んでもらえる様に、もっともっと頑張らないと。


 そんな思いから、この日も夜遅くまでせっせと仕事をこなしたのだった。


 翌日


「アンネリア!」


 心配そうな顔で私の元にやって来たのは、リアナとマーサだ。リアナに至っては、泣きそうな顔をしている。


「2人ともおはよう」


「アンネリア、リアナから話しは聞いたわよ。リアナを庇って、奥様にこの家を出て行けと言われたのですってね」


「私のせいで、本当にごめんなさい。あなたは私の恩人よ。でもそのせいで、アンネリアが…」


「その話なのだけれど、あの後侯爵様が間に入って下さって、出て行かなくてよくなったのよ。だからどうか気にしないで」


「本当?それは良かったわ…アンネリア、本当にありがとう。あなたのお陰で私、奥様にクビを切られなくて済んだわ。弟や妹たちも路頭に迷わなくてすむし」


 涙を浮かべながら何度もお礼を言うリアナ。本当に大げさな子ね。


「もう、大げさなのだから。さあ、仕事をしましょう。私達、ただでさえ奥様に目を付けらえてしまったのですもの。もっともっと頑張って働かないと」


「もう、アンネリアは働きすぎなのよ。昨日だって晩御飯を食べていないのでしょう?あまり無理をすると、倒れてしまうわよ」


「私は侯爵様に家族を助けてもらった恩があるの。たとえ倒れたとしても、本望よ。でも…この程度で倒れるだなんて、軟な女だと思われたら大変ね。今度こそ追い出されるかもしれないわ」


「もう、アンネリアったら。そもそもあなたは、侯爵様の妻としてここに来たのに。こんな酷い扱いをうけるだなんて…」


「本当よね、アンネリア、あなたが無事この家から解放された暁には、今度こそ伯爵令嬢として幸せになってね。そして私たちを、あなたのお屋敷で雇って頂戴」


「もう、またその話?でも、もし奥様がご懐妊して私の役目が終わったら…」


 再び青い空を見上げた。もしも私の役目が終わり、我が家も落ち着いていたら、その時は2人と一緒に屋敷に戻りたいな。


 て、また妄想をしてしまったわ。


「夢物語の話をしていないで、早く仕事に戻りましょう。もし奥様に見つかったら大変よ。今度こそクビになってしまうわ」


「そうね、せっかくアンネリアが体を張って守ってくれたのですもの。クビになったら大変ね」


 そう言って3人で笑った。確かに肉体的にはきつい。でもこうやって笑い合える仲間がいるって、本当に素敵ね。


 もしも願いが叶うのなら、私がこの家を出るとき、2人も連れて行けるといいな。つい、そんな事を考えてしまったのだった。



 ※次回、アレグサンダー視点です。

 よろしくお願いします。

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