第9話

 ミアに引きずられるように走り出したが、さらに先を走るのは、なぜか、ロドスだ。


『あっち、あっち!』


 エンバーに指示を出されて、ロドスは移動している。

 ただ、いつも僕の背について歩くロドスが、今、僕の目の前を走っているのが、不思議であり、彼の性能の高さであり。何より、僕と同じように魔力を足裏に流し、軽々と長く走り続けられるところや身の翻し方の優雅で──


「アキム様、見入ってらして、どうしましたの?」


 小走りでついていく僕の横を、ミアがドレスをつまみ、ついてくる。


「その、変かもしれませんが、ロドスの方がずっと紳士で優雅だなって。彼の方が、騎士らしいと思いませんか?」

「まあ。それは仕方がありませんわ」


 ミアは口元を手で隠しながら、くすくすと笑う。

 

 首を傾げるが、表玄関を出てロドスの胸元にいるエンバーは顔をぐっと上に伸ばした。

 ピンと髭を立てると、耳をそばだて、前脚でその方向をさす。


『こっちだ、お前ら』


 いつの間にか外の気温は来た時よりも上がっている。

 肌に張りつく湿気の多い空気に髪の毛をかきあげ横を見るが、ミアは涼しい顔のままでいる。額に汗すらにじんでいない。


「ミアは暑くないのですか? 黒いドレスですし、重そうな服ですけど」

「可愛さに暑さは感じませんわ。……でも寒さにはめっぽう弱いのです。そのときは温めてくださいまし」


 自然な流れで腕にしなだれかかるのを僕が早歩きで避けると、ミアの地団駄が聞こえる。


「もう、いけずなお方!」


 庭をつっきり、裏へまわる。

 すぐに背丈ほどのウッドフェンスに仕切られた裏庭がでてきた。

 小ぶりの木製のドアは年季がはいっているが、ペンキの塗り直しが行われたのか、純白の扉だ。そのドアは開け放たれたままで、土の靴跡が不規則についていることから、さきほどの若い男のものと推測できる。


『畑の先だな』


 ロドスは器用に靴に泥がつかない道を選んで歩いていくので、僕もそれに倣ってついていく。

 しかし、畑も屋敷と同じに広い。綺麗に整えられた畑には、さまざまな野菜が育てられているようだ。季節柄、手のひらぐらいの大きさではあるが、じゃがいも、豆類が並んでいる。


「あちらかしら」


 ミアが指をさした。

 畑の縁を模るように白樺の木々が並んでいるのだが、一番左端、北に位置する場所に、人が3人、立っていた。

 後ろ姿しか見えないが、もう一人の庭師と執事のヘルマン、そしてさきほど見かけた赤毛の侍女だ。

 少し強めの風が抜けていく。

 生臭い。


な香りですわね」

「ポジティブな表現だと思っていいんですかね、それ」

『見てみろよ……』


 肉球がさした方向に遺体が寝ている。

 だが、僕は疑った。

 さっき、殴られそうになった侍女だからだ。


「うそでしょ……」


 つい漏れた声に、ミアは首を横に振る。


「金髪の、あの綺麗な編み込みは、さっきの彼女で間違いないと思いますわ」


 僕は少しでも否定して欲しくて、赤毛の侍女に視線を繋げた。

 だが、彼女は悲鳴のように叫ぶ。


「……私、ここにいたら殺されるっ!」


 走りだした赤毛の侍女の気持ちも少なからずわかる。

 こうも立て続けに『侍女』が殺されているのだ。

 しかも、ひどい有様で。


「アキム様、ありがとうございます。お気づきでしょうが、さきほどいた侍女の一人です」


 僕は遺体に祈りを捧げ、時間魔法を施して、改めて遺体と向き合った。

 虫が、わいていない。

 今回も時間は経っていない、ということだ。


「なにが起こってるんだ……?」


 遺体の損傷具合を確認するも、先ほどと遺体の状況に違いはない。

 ただ、これほど瞬間的に人の体が腐るのはおかしい。


 ミアが僕をじっと見る。


「アキム様のお考えはあって?」


 その声と目に、背筋がぞわりとなでられる。

 僕の心の奥底を覗くような声に、身震いしながら僕は小さく首を横に振った。


「アキム様、もし似たような女性の体を、ここに置いていたならどうでしょう?」


 そのミアの声に、初老の庭師がすぐに反応した。


「それはありえません」


 帽子を片手で握り、首にかけたタオルで顔を拭ってから、帽子を自分の胸に当てた。


「わしはマシューと申します。さっきの若いのはセオです。わしらは住み込みで、ここの畑も庭も管理してるんです。もちろん、ここら辺りも、毎日見回ってます」


 一歩踏み出したミアは、マシューをぐっと覗き込んだ。


「朝にはなかったと、言い切れまして?」

「もちろんです、お嬢さん。その、見つけたのも、カラスが集ってたからで。もし朝からあれば、すでにカラスが集ってますんで……」


 僕はマシューの答えを聞きながら、確かに思い込みはいけない。頭の中で反芻していた。

 これほど原型を留めていないのだから、誰かの死体をそう見せかけた可能性もあると考えなければならない。


 だけど、偽装させる意味はあるのだろうか……──


「アキム様、こちらはどういたしますか? 保管ですか?」


 ヘルマンの声に、体を向けると、


「同じ場所に保管できますか? 検死を行います」

「かしこまりました」


 ヘルマンがマシューに視線を投げた。

 マシューから「へい」と小さい返事があり、少し先にある納屋に向かって歩きだす。

 納屋の入り口付近に、一輪車が見える。あれに乗せるつもりなのだろう。

 実際、すでに肉が溶けだした彼女の体は、とても小さく感じる。


 いや──


 僕はロドスにスカートを指差した。

 どっぷり肉と汁が染み込んだスカートをトンネルにするのは骨が折れるが、ロドスは丁寧にめくり、近くの棒を中に通すと、スカートを持ち上げ、中を見せてくれた。


「やっぱり……」


 ない。

 両脚が、ない。

 骨盤のあたりから下が切り取られてしまっている。

 切り口はさきほどの遺体と同じように、切りながら引きちぎるような、雑な切り口だ。

 だが、やはりこれも服の乱れはもちろん、破けもしていない。


「おかわいそうに」


 ミアも脚がないことに気づいたのか、哀れんだ声が聞こえた。

 だが、ミアの唇はうっすらと微笑んでいる。

 間違いなく、この事件を楽しんでいる。

 なんで楽しめるんだ?

 僕は早く犯人を見つけて、こんな任務、とっとと終わらしてしまいたいのに……!


「アキム様、なにかございまして?」

「……え、あ、いや、その、……えっと」


 険しくなっていた顔を隠すのにしどろもどろしていると、ミアがそっと耳打ちしてきた。


「わたくし、楽しんでおりますわ。犯人がどんな気持ちで、どんな顔をして、こんなことをしているのか、絶対に知りたいのです」


「だから」言葉を区切り、ミアが離れる。

 僕の正面に顔を向けると、


「絶対に見つけましょう、犯人を」


 そこには深い情念が浮かぶ。

 狂気じみた憎悪にも思える感情が、彼女の体全体から溢れている。

 彼女の喜びは、彼女たちを傷つけた相手が現れたことに対してのようだ。

 いや、そうとしか思えない。

 彼女は、この『犯人』を探していたのだ……

 だから、出会えた嬉しさ、そして傷つけられた彼女たちへの哀れみが、魔力の波動で肌に伝わってくる。


「……ミアの力に、僕はなれるんだろうか」


 つい、弱気な言葉が出てきてしまう。

 僕は遺体になってしまった彼女たちに感情移入できないでいる。

 感情移入ができれば、もっと行動力豊かに犯人探しができるのかもしれない。


 でも、それをしたら、僕は、幼い日の『ぼく』に戻ってしまう。


 絶対に、それだけは避けなければいけない。

 だけどそれは、解決するための熱量が僕に足りないということだ。

 やはり、応援を考えなくては……


 ミアは侍女の瞼をおろし、頬にへばりついた髪の毛をつまんで剥がしていく。

 少しでも身綺麗にしてやりたいという女性らしい気遣いだろう。


 遺体を置くための場所を確保し終えたのか、一輪車を押しながらマシューがこちらに向かってくる。となりをヘルマンが歩いてくるが、何かの打ち合わせをしているのが伺える。


 ミアは、綺麗になった顔に微笑みかけながら、


「アキム様、この事件を解決すれば、老騎士にぐっと近づくんじゃありませんこと?」


 老騎士。

 この言葉に、血液がぶわりと沸騰する。


「……ど、どうして、そう思うんです……?」


 どうにかしぼり出せた言葉に、ミアは僕に背を向けたまま続けた。


「こんな事件、戦後初めてですわ。もうすぐイジェスの百年祭もあるのに。きっとイジェスの司祭なら、不吉な前触れだと嘆くことでしょう」


 立ち上がったミアが一歩、僕に寄る。

 ミアは恍惚の表情で言いきった。


「でもアキム様が解決すれば、薔薇の花弁はあっという間に増えると思いませんこと? ……あぁ! アキム様が老騎士になるのを間近で見られるのね! 素晴らしいわぁっ」


 もしかすると、この事件はイジェスの導きではないか……?


 絶対に、解決しなければいけない。

 だって、僕は、老騎士になるのだから──!


『はぁ。全く。ミアの妄想、捗ってるわ。ほら、アキム、運ぶってよ』


 ロドスの胸のなかで、エンバーがあごをしゃくった。

 僕は「せーの」の掛け声に合わせ、遺体を慈しむように持ち上げる。

 服越しにずるりと肉が外れるのを感じながら、僕は口元をきつく結んだ。


 これは、大事な大事な、出世の材料だ。大切に扱わないと──


 事件を解決する意欲の熱が、ようやく上がった。そんな気がする。

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