第8話

『おい、ミア、帰るぞー』


 足元から少年の声がした。

 ミアはその声にうんざりしたようにため息をついて、僕から離れていく。


「エンバー、迎えに来なくていいと伝えておいたはずですわ」


 ミアが指をさして喋る相手は、猫だ。

 朝日のように朱い毛をふんわりと蓄えた猫だ。ふわふわの毛並みに長いしっぽがぶんぶんと揺れている。


『人形渡すだけに何時間かけてんだよ、全くよぉ。……お? そこの人形、年季はいってんな』


 ロドスはかけられた声に反応してか、僕の後ろから離れ、屈むと、その猫の頭を優しく撫でだした。

 ロドスが僕の命令以外で動くことを見たのは初めてだ。

 だが、それを驚く以上に、ミアに向いた猫の顔には、緑色の目玉が中央に1つしかない。

 思わず息を呑んで見守ると、猫がまた口を開いた。


『へえ、お前、ロドスっていうのか。イケメンだなぁ』


 猫がロドスと会話をしてる……?

 いや、この声は妄想で、そう、喋っているように思っているだけ……だよね?


「騎士様、どうかなさいまして? ロドス様は、騎士様のご兄弟のような関係なんですってね。凛々しいお兄様で羨ましいですわ」


 ミアまで何を言い出しているんだ……?


 僕の気持ちが落ち着かない。

 僕がわからない世界が、知らないものが、ここに広げられている、そんな気がする。

 振り返れば、あの気色の悪い猫をロドスが器用に抱えており、僕に『この猫を抱きませんか?』といわんばかりに、腕を傾けてくる。


 僕が首を横に振ると、ミアは楽しそうに笑いだした。


「エンバー、お友だちができたのね。でも、まだ帰りませんことよ」

『はぁ? なんでだよ。造形魔導師のサバトから帰ってくる前には戻らねぇと、アイツ、うるせぇぞ?』

「サバトは1週間程度じゃ終わりませんわよ。あら、もしかしてエンバー、そんなにお兄様に叱られるのが嫌なのかしら?」

『ちげぇよ。アイツが俺に八つ当たりすっからだよ。……まあ、退屈しないのはいいけど』


 僕はあたりを見る。

 どうも、猫が喋っていることに誰も驚いていない。

 やっぱり、僕の妄想が声となって聞こえてる……?


『もしやお前、か? なら、俺っちの声、聞こえてるよな?』


 ロドスからするりと降りて、僕を見上げた猫が、そう言った。

 だが、一つ目の姿は見慣れないのはもちろん、左目が中央にあるのだと涙腺が示しているのも生々しい。

 エンバーはすっと前足を持ち上げると、僕の太ももに足をかけて鼻先を伸ばす。


『聞こえてるのかって聞いてんだよっ!』


 意外と猫はのびるようで、僕の太ももに頭がある。

 あまりに気色が悪く、鼻先を手で押しやりながら、


「ももももちろん聞こえてるけど……」

『よし、なら、俺っちの舎弟にしてやってもいいぜ!』


 ふふんと鼻息を鳴らす猫をロドスが抱え上げると、ヘルマンがそっと僕の横につく。

 ヘルマンの顔はどこか訝しげだ。


『魔力持ちじゃなきゃ、聞こえねーよ。3枚バラに、変人の箔がついたな』


 少しだけ理解できる世界線が見えた、気がした。

 僕はヘルマンに笑顔で向き合うと、


「僕、猫が大好きでして! つい、声をかけてしまうんです」


 咄嗟の嘘だが、それほど奇抜ではないだろう。

 呆れた顔をされたがそれでいい。


「……はぁ。その、アキム様、この遺体は、移動させても?」

「はい。時間魔法をかけてあるので、匂いなどもしません。ただ検死をしたいので保管してほしいのですが」

「空いている納屋はあるか」


 ヘルマンが声をかけると、ずんぐりとした無精髭の男が帽子をさっと脱ぎ、「へい」一歩、前に出る。


「ペガサス舎の隣が、今、空いております」

「なら、そこへ運んでおくように。あと、そこの二人、カリア《侍女長》を呼んで、アキム様とミア様の部屋を作るように頼んでくれ」


 侍女に命を出し、ヘルマンはハンカチごしにため息をつく。

 そのため息は、言い表し難いが、なにか雰囲気がちがう。

 仕事が増えて大変だ、というわけではない。そんな気がする。


 その不思議な間に飲まれたのがいけなかった。

 村の警備兵や、他の騎士との連携をと、相談する間もなく、ヘルマンが屋敷の奥へと向かってしまう。さらに、ヘルマンへの声かけを遮ったのは、ミアだ。


「さすが、騎士様ですわ。エンバーとおしゃべりできるなんて! 間違いなく運命の人ですの。ぜひ、私のこと、ミアとお呼びになって」


 弾んだ声で胸にしなだれかかるミアに驚きつつ、ロドスの胸元で、


『アキム、俺っちの舎弟だろ? 腹が減ったから、魔石持ってこいよ』


 まずはミアを引き剥がしてから、


「ではミア、近過ぎです。あと、私のことはアキムとお呼びください」

「そしてエンバー、君のお願いは聞けない」


 しっかり言葉を伝えたはずなのだが、ミアはすぐに腕に絡みつき、エンバーはロドスに、『あいつ、ケチだな』と喋る始末。

 ロドスが自身の予備魔石を出そうとするので、それを阻止しながら、ようやくと廊下にでると、険しい顔で待っていたのは、年配の侍女だった。

 ヘルマンと同じく鍵の束を腰に下げ、いくつかの裁縫道具も腰に下げている。

 彼女はヘルマンが呼び出したカリアに違いない。

 きつい目つきで僕を一瞥すると、ミアにも視線を向け、大きなため息をついた。


「侍女長のカリアです。まず騎士殿、女性を連れ込むのは」

「まあ」


 ミアは恭しくスカートをつまみ、美しいお辞儀をカリアに向ける。


「わたくし、特級造形魔導師のニクラスの弟子のミアと申します。ニクラスは所用のため、わたくしが今日は、メイド型球体関節人形のスワローさんの健康診断を行い、お連れしましたところですの」

「スワローの整備をしたの。ふん……」


 カリアはミアの後ろについていたスワローを眺め、髪のほつれ、服装の乱れがないか確認すると、腕を組み直した。


「申し分ないわ。婚儀の際に恥ずかしくない人形になりました。感謝いたします。……で、お部屋は、いかがいたしましょう」


 ミアと目が合った。


「一緒のお部屋でいいですわ!」

「別々にです!」


 もう一度、目が合うが、頬を薄紅色に染めるミアがいる。


「それほど恥じらわなくても……」

「違いますからっ」

『ロドスといっしょがいいな、俺っち』


 別な意味で前途多難な雰囲気に、僕の頭が痛みだす。

 眉間を揉む僕を見て、カリアの表情は(これだから、若い子は)と口に出さずも聞こえてくる。


「……3階のお部屋にご準備します。少しでもここから遠いお部屋の方がよろしいでしょうし」


 カリアはスワローに、バスタオルなどをリネン室から持ってくるように指示を出した。

 素早く向かっていくスワローを見送り、僕らはカリアに連れられていく。


 広々とした階段には青い毛氈もうせんが敷かれ、慣れない廊下に靴底が引っかかる。

 ミアは慣れた足取りで、針のように細く高いヒールで階段を上がっていく。


 ミアの背中を辿って視線を持ちあげると、カラフルな光が白い壁に描かれているのを見つけた。

 吹き抜けの踊り場の壁に、大きなステンドグラスがはめこまれている。

 男性が女性にひざまづき、緑の剣に誓いを立てている様子が描かれているのだが、中央には女性の首が浮かび、首からは羽が生え、白い光に包まれているのが描かれている。

 イジェス教の書物にある『王の婚礼』をステンドグラスにしたものなのだろう。


「とても素晴らしい調度品ですわね。シャンデリアのガラス細工なんて、熟練工の業前ですもの」


 ミアの感心した声に、カリアの表情ががらりと変わった。


「そうでしょう。さすがニクラス様のお弟子様ですわね」


 3階の踊り場にある絵画に手をかざすと、カリアはこちらにくるりと向いた。


「私はこちらの絵画がおすすめで……。まるでベナン様の人柄のような絵でありません?」


 絵画は深海の絵だった。

 深い青に、広大な広さと深さを知らしめるよう、大きな鯨が描かれている。

 ベナン卿は愛妻家としか知らない僕にとって、この絵がイコールになるのは難しい。

 大きな鯨が、愛の大きさと深さという意味なんだろうか……?

 だが、『わかりますでしょう?』と言わんばかりの表情に、僕は頷いてみる。

 上機嫌で歩きだしたカリアを追いかけるように部屋に着くと、すでにスワローが部屋の前に立っていた。


「スワローの動作経路に問題ないようで安心しました。さすがですわね」

「えぇ、えぇ、ニクラスが造る魔導人形は、すべての命令に最適解を導き出せますもの」


 上機嫌の女性2人の後ろで、『女性の機嫌は良ければ良いほどいい』と、先輩が言っていたのを思い出した。

 本当だ。とても、ことがスムーズに進んでる。


「さ、こちらのお部屋です。お隣同士で構いませんわね」


 カリアは腰に下げた鍵束から一発で金色の菱形がついた部屋のドアを開いた。


「こちらを、アキム様」


 左に並ぶ銀色の菱形がついた扉を開け、


「こちらを、ミア様がご使用ください」


 開かれた部屋のあまりの広さに僕は言葉がでてこない。

 窓の大きさ、ベッドの大きさまで桁違いに大きい。

 絨毯はもちろん、調度品もかなり高級なものが扱われている。

 絵画は3枚も飾られ、猫足のついた広い机まである。


「今日の夕食は合間をみてお出しできますが、朝食は朝7時30分に食堂へお越しください」

「わかりました。全く問題ありません」


 夕食はもちろん、朝食があるのはとてもありがたい。

 ロドスに部屋に入るように指示を出していると、ミアは割り当てられた部屋をじっと眺めている。


「まあ、お部屋ですわね。すべて手に届く場所に物があるなんて、とても過ごしやすくて、よろしくてよ」


 ミアの言葉は好意的なものなのだろうか……?

 カリアの顔は少しだけひきつった笑顔に見える。


「あの姿見、とっても素敵ですわ。彫刻に妖精が彫られてるのね」


 ミアの声に、カリアに笑顔が咲いた。


「そちらは奥様が好きな彫刻家があしらえた物で」


 2人の仲がいいのか悪いのかわからないが、仲良くミアの部屋へと進んでいく。

 僕は割り当てられた部屋へと入っていくが、やはり、広い。


『こうも広いと、逆に荷物の置き場に迷うよな』


 エンバーの声に、僕は部屋を見渡した。

 猫らしい身のこなしで大きなベッドのど真ん中に歩いていくと、そこで小さく丸くなる。

 ロドスはクローゼットを認識すると、詰めてあった服を片付け、机で使用するだろう資料や本は木彫りが美しいデスクの上に積まれていく。


「ロドス、ありがと」


 いつものルーティンで部屋用の手袋が渡された。

 それをはめながら、エンバーを見やる。


「君の家も大きそうだけど?」

『うちの屋敷はデカいぜ。工房もあるしな』


 僕はベッドの脇に置かれたハンガーラックに、革製の防具をかけていく。

 肩と胸にかけての革の防具を外し、腕周りと脛当ても外して肩を回す。


『側から見たらお飾りの防具、と見せかけての、魔術で強化の防具かぁ。やるなぁ、バラ騎士』

「そんなこともわかるんだ」


 少しの時間だが、一つ目の猫も見慣れてくるようで、かわいい猫だ、と思い始めている僕がいる。

 だが、魔力を探知できる猫は普通じゃない。

 一体、なんなんだ──?


『見惚れるなヨォ。俺っち、かわいいからなぁ。じゃーない。あとで吸ってもいいぜ。今日は日光浴済みだからな!』

「……あ、うん、ありがと」


 なかなかに自信過剰なところも、一体、なんなんだ、あの猫は……

 呆れつつ、窓を見ると、来るときにに見た庭園が広がっている。

 歩いていたときにはわからなかったが、右と左は鏡合わせのように木々や花が配置されている。

 延々と庭が続いているように見えたのはこのせいだったのかもしれない。


「ロドス、休んでていいよ。魔石は大丈夫?」


 僕が声をかけると、ロドスは指を4本立て、ドアの付近に移動していく。

 儀式で使う短剣が入ったケースが机の上に出されていた。全て人骨で作られているという短剣だ。

 儀式の際に魔力を通すと、まるでエメラルドから切り出したかのように輝きだすという。

 あとは、伝言板とインク、羽ペンを並べながら、今日の報告を考える。

 ……というのも、ディルクは報告するなと言っていた。

 だが、この殺人事件を報告しなかったら、それはそれで僕の立場が怪しくなるのでは?

 無事に婚儀が終われば問題ないものなのか……?

 そもそも、このような事件の記録は今までに見たことがない。


 どんどん老騎士への道が遠くに離れている。

 むしろ、走って逃げられている気さえする。

 僕が老騎士にならないように、細工でもされているんだろうか。


「……はぁ」


 僕はかぶりを振った。

 いや、人の命が奪われているのだから、これは大きな事件だ。

 僕ひとりで対応せず、応援を呼んだ方がいいに違いない──!


 ペンを取り上げたとき、ドアがノックされた。


「……あ、はい、今出ます」


 ドアを開くと、ドアの隙間から、小さくお辞儀をしたのはミアだった。

 手元には小ぶりの赤い革鞄を持っているのだが、まさしくその形は棺桶だ。赤ん坊が入るほどの棺桶に取手がついている。

 ドアを開くと、ミアは一歩近づいた。


「アキム様、村の方は散策されてまして? 日暮れまで時間がございます。露店まわり、しませんこと?」


 目をまんまると輝かせるミアに僕は言葉が出ない。

 いや、それは観光だ。仕事じゃない。

 その僕の表情を読み取ったのか、


「こちらはリティンに近いので羊毛の織物が特産品になると、先ほど、カリアさんからお聞きしましたの。二人の部屋に敷く絨毯を探さないとなりませんし」


 頬をかいた僕の手を握り、ミアに部屋から引っ張り出されてしまう。

 だが、もう一度、僕は部屋へと体を戻した。


「僕は早く事件を解決させたいので、そんな時間はありません」


 きっぱりと断った僕に、ベッドからエンバーの声がする。


『ミアは行くって言ったらきかないぜ? 俺っちは、ここで待っ……』


 耳をぴくりと立てた。

 エンバーが素早くロドスの腕に飛び込む。


 何かと思うと、男性が階段を駆け上がる音が廊下に響いてくる。

 慌てた雑な走り方だ。

 しかし、男なのは間違いない。


「あら……?」


 音の方へ振り返ったミアが、僕の腕に自然に絡みついてくるのを何気なくかわしたと同時に、息を切らした青年の庭師が現れた。

 大きく肩で息をしながら、


「……騎士様、あっちに……あっち……裏庭の林に……」


 裏庭に向けて指をさす。

 そして、充血した目をこちらに向けた。


「また、変な死体が……!」


 廊下にへたりこんだ庭師に声をかける間もなく、僕の右手が引っ張られる。


「アキム様、参りましょう」


 ミアの真っ黒な瞳孔が、紅い縁を描いていて、深淵の窓はこれではないかと僕は思ってしまう。

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