その少女、【魔王】につき
窓を見た。
彼の顔には、怒りだとか、憎しみだとか、負の感情は浮かんでいない。
私情と分けて、ただ、事実を述べているだけの様子。
分かったな、と話を切り、彼は対戦に戻ろうとした。
それを、彼女が認めない。
服の襟を、掴んでいる。
『——退いてろっつったぞ?』
『あ。あ、あの』
戸惑いながら、しかし、掴んだ裾は離さないまま、彼女は必死に問いかける。
『どういう意味、ですか?』
『手前のための忠告だよ、ネリズエン』
『わか、りませ、ん。あの、ちひろっ……千尋くん、は、いいひと、で。ボク。ボク、を』
『聞いたよ。知ってるよ。手前との関係も、アイツの人の良さも。その上で言ってんだ、こっちも。いいか。アイツはな、これまで何人も何人も引退に追い込んでる。敵じゃなくて、助っ人して勝たせた味方を』
『——っ』
ミナの反応は、未知ではなく、既知。知らなかったではなく、痛いところを突かれた顔。
彼女も知っているからだ。当時の俺……サウザンドキルの所業を。
昨日の味方は今日の敵。頼まれれば誰にでも与する、どんな陣にも固定されない遊撃兵で。
そして——陣営を勝利させるためなら、味方だろうと平気で殺す。
……だから、当然、こう囁かれた。
あいつは、ひとりでファンフェスをやっている。
あんなやつに寄越された勝ち星になど、何の意味もありはしない、と。
『敵にやられるよか、遥かに堪える。……圧倒的な力の前に、何もできずに惨敗するより。勝利の栄光を掴むのに、自分なんか必要じゃなかったっつう実感は、本気でやってるプレイヤーほど、心を折られるんだ』
『知って、るんで、すか。千尋くんが、むかし、』
『なんて名前で、どういうスタイルだったか? 存じてるとも。何しろ、敵として何度も闘りあって、一回は味方として組んで、最強の相手と戦った。向こうはこっちが匂わせるまで、気付いてるのに気付いてなかったがな。ま、内心イラつかせてもらってたぜ。パーティとしての勝ち、プレイヤーとしての負けのショックで、引退寸前に追い込まれた身としちゃあよ』
『…………!』
『わざわざ蒸し返さねえつもりだったが……アイツが
『千尋、くんの、ため?』
『そうだ。もうこれ以上、またアイツに、自分のせいでファンフェスやめた奴を出させるな』
「もしもーし。大丈夫ですか?」
声が契機で、視界が広がる。
瞬きを再開して、息を吸い、深く吐く。
「死んだかな、と思いました。微動だにしないまま、じっと窓を見ているから」
「……お気遣い、どうも」
「もしかして。一丁前に、傷付いています?」
「まさか。センパイの言うことには、思い当たる節しかないよ」
手の届かない向こうのやり取り。センパイの言葉、ミナへの干渉。
それに文句を言う権利など無い。構図はハッキリしている。何が正しいのか。間違っているのか。
今日の今日まで不実だったのは、果たして一体誰だったのかというおはなしで。
「わかってたさ。ああやって、ちゃんと謝罪に行ったミナと違って……俺は自分のしでかしに、何の始末もつけてない。時間が経ちすぎて、つけようもない。だから覚悟はしていたし、見切りもつけてたよ。センパイがああやってミナに注意してくれる前から、君がこうやって会いに来る前から」
鞄を漁り、俺はそれを取り出す。
先程、秋の大会受付に提出した書類……その写しを広げて見せる。
彼女はそれを一瞥し、ふうん、と感心したような声を出した。
「えらいじゃないですか。立場を弁えていたなんて」
「自覚してたからね。出来るだけ長く夢見てたかった、ってのは恥ずかしい本音だけどさ、センパイがああ言って君にも来させちゃったんだ、こっちも潔く、年貢の納め時だと——」
その時だった。
突然ざわめきが聞こえて、反射的に窓を見る。
そこでは、センパイに、それを差し出しているミナがいた。
両手で持った、ブルーバイトのレアグッズ……初期エンブレム・ステッカー。
……俺が喫茶店で貰い、そして、大ファンのミナにあげたもの。
『ネリズエン。どういう意味か、分かってやってンだな?』
静かに問うセンパイに対し、ミナは覚束無い。身体は震えているし、顔面は蒼白だし、見るも無惨な弱々しい涙目で。
それでも、真っ直ぐに、センパイの目を見ている。
『……ぼ。ぼぼっ、ボク、ブルーバイト、は、アコガレ、で。対戦が、派手で、格好良くて、上手で、強くて、いかしてて……だけ、じゃなく、って。——みなさん、が、ほんとうに、仲のいいパーティなのが、すてきで、きもちよくって、うらやま、しくて』
思い出す。ステッカーを手に入れた時の瞳の輝き……大好きな推しに、嫌われてしまった、悲しみの声。
それら全部の、彼女にとっての、本当を。
『でも。だから。ボクは、こうします。こう、言わせて、いただきます』
今。
もうひとつの本当で、上貼りする。
『ふっざっけんな、ヴォルケンノタスッ! ちひろっちは、ボクのパーティメンバーだ! ぜったいぜったい、ぜったい一緒にファンフェスやるんだ! 要らないみたいに扱われる? 本気でやればやるほど傷つく? まだ起こってもないことで、勝手にボクらの関係決めるな! ……もしも! もしも、本当に、そんな未来が起こったって! 次は置いてかれないように、もっともっとどこまでも、ボクが上達すれば、いいもんねーっだーーーー!』
凄まじい怒号と共に、ミナは腕を振り被り、センパイの胸に、ステッカーを叩きつけ。
更に、取り出したもう一つ……今度は俺たちのパーティ、バーストレンジのエンブレムを、その上からぶつけた。
『……ちょ』
その光景に、フロアの観客が息を呑み。
誰からともなく、口火が切られた。
『『『挑戦状だーーーー! ブルーバイトが、【奉納試合】を挑まれたーーーーっ!』』』
「あっはっはっは」
波及する騒ぎを見て、ぱちぱちと手を叩く一ノ瀬。
「やりますね、あの子。肝が据わっている」
“相手のエンブレムに、自分たちのエンブレムを叩きつける”。
それはファンフェスに於ける最大級の挑発にして、単なる野良試合とは比較にならない重みを賭けた、尋常なる対戦の申し込みだ。
この方法で挑まれた勝負は神の預かりとなり、勝敗は厳格に見定められるのと同時に、互いのパーティはその勝敗に約定を乗せる。
早い話。
勝てば何かを得て、負ければ何かを失う、そういった取り決めで——
「いやいやいや、盛り上がってらっしゃるところ、悪いんだけどっ……!」
問題が無数にある。それは一ノ瀬も分かっているはず。
「そうですね。私も、はい。これはそろそろ見ているだけではいけない、と感じてきました。なので」
再び一ノ瀬が懐から札を取り出し、それを今度は、俺の手を取りながら自分に貼り。
次の瞬間にはもう、その場にいる。
「補足しましょう、ラグラグラミナ・ネリズエンさん」
窓の向こうの対岸だったアミューズメントフロア……センパイとミナの側に、俺と一ノ瀬も立っている。
うわあ。皆様、闖入失礼。そう驚かないで、こっちも驚いてるから。
「新城千尋さんとパーティを組むのは、やめたほうがいい……というより、無理なのです。何しろ、この人は、公式戦出場資格を剥奪されている身ですので。ね?」
いや、そうなんですけど。
ね? と振られましても。
お集まりの皆さん、それよりもっと大ごとの方にビックリしてるトコだしさ……と思っていたところ、当然ながら。
「「「「“英雄”だーーーーっ!」」」」との叫びが、フロアに爆発した。
それまでの興奮が別の対象へそっくり移り、あっさり最大値を更新する。突如我が物顔で首を突っ込んだ彼女に対し「なんだこいつは」「引っ込んでいろ」と邪険にするような気配など微塵もなく、歓喜と歓迎ムードが一瞬で場を塗り替えてしまった。
一方、そんな有名人と並ぶこちらはいたたまれない。「で、さっきからシンジョーって誰で何?」とか「あの横にいるのがそれ? ケンも古都子も、どうしてそんなに熱心なの?」ってアウェイ全開の空気も厳しい。うう、元クエスト請負人のローカルっぷり、露見せり。そりゃ、君に比べれば俺なんて無名で木端だなんて当然だけどね——
——幻想闘祭U20トップランカー、ファンフェス最強高校生、一ノ瀬古都子さん。
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