ダッシュ・クラッシュ・エスケープ



   ■



 甚大な砂埃が視界を塞ぐ中、必死で目を凝らして、降り下ろされた拳の下から光が散った瞬間を確かめる。

 ——分霊消滅時、外の本体へと中の魂が返った際の反応だ。大丈夫、アリーシャは無事に帰還した……だから、心配すべきは我が身の方。


 分厚い石壁に空いた穴を立派な裂け目に変えながら、腕から先がこちらの通路へやってくる。

 現れたのは、巨大な人工物だった。この階層の元となったいずこの世界、そこに栄えた文明の、信仰と発展の象徴たる、厳かにして偉大なりし巨大神像——


 ——それに、無数の穴が空いている。

 歩いている瞬間、稼働するように作られた関節部の隙間に通っているものがちらりと見えた。

 間違いない。こいつは、


「ヨロイ、モライ——」


 それも、見覚えないほど育った大成虫。そいつは数々の思いを宿す神像を、そんなの無視して自分の装備に変えており、そして、兜に空いた穴が、頷くような動作でこちらを向いて、


「……っ!」


 即座に踵を返す。

 一秒前にいた場所が神像に粉砕され、衝撃の余波で吹っ飛び、不恰好に立ち上がって全速力でとにかく逃げる。

 当然、神像も追ってくる。


「くぅぅぅぅっ! とんでもない期待かけてくれるね、アリーシャッ!」


 壁向こうからであろうと、彼女は奇襲に気付いていた。

 アリーシャが不意打ちを受けるとするならば、それは攻撃に対する絶大な反応速度、臆病さを持つ彼女が回避を思い浮かべてすらいない時……そして。

 自分より助けるべきだと思った相手を、身を挺してかばう時。


「確かに! 目的を考えれば! それ以外、ない、だろうけどっ!」


 ダンジョン内で分霊を破壊されようと、無事に戻れる。

 ただし。拾ったものは、その限りではない。


 情報体からドロップしたり、階層に落ちていて集めた品々は、まだそのダンジョン内だけで安定している存在だ。階層を遡り、正規の出口を通過する際に適正化が行われ、ようやく外に持ち出せる。

 所持している状態でやられれば、その場に落とすどころか、本体帰還の挙動に引き摺られて消滅してしまうのだ。

 だからアリーシャは俺を助けた……運搬人を残した。持ち帰りの希望を託して。


 いい判断だね、筋金入りの探索者。

 問題があるとすれば、


「あわわわわわわっ!」


 積まれた期待が、そこそこ無茶振り。

 ここまで来れたのだってプロのアリーシャ頼みだったし、帰りは帰りで行きとはまた別の階層が顔を出す。能芸士はスキル重視の分霊特性、筋力や魔力の加護補正を受けていない身での単独行とか、無理ゲー極まるんですけど!


「……ええいっ! 泣き言言ってる暇があったら走るっ!」


 駆ける、駆ける、脱兎のごとく。

 この階層は部屋も通路も全体的に広く大きいけど、それでもあの神像——本来どこかの大ホールに安置される用途のものでは、移動に難儀する。天井に壁に床に擦り、その不便さは逃走側に利する。


 ダンジョンのモンスターは、階層を跨げない。近場には下層への階段があるが、アリーシャなしでより危険な未知のエリアへ踏み込むなど、一時しのぎでも冗談ではない。

 目指すは上、出口への階段一択。

 今はとにかくこの瞬間を凌ぐことだけ考えて、一心不乱に走って走って走って走って……

 ……見覚えのある角を曲がると、上への階段まであともう少しの通路を、瓦礫の山が塞いでいた。


「……は、あ、あー……そ、っかぁ」


 頭が、状況を理解する。

 神像がいたであろう広間というのは、おそらく、入り口近くの隠し部屋だ。あそこには丁度、壁の中に広い祭壇の一つも入りそうな空間があった。奴がそこから侵入者を粉砕しに移動した時、手始めにこの道が閉ざされたという塩梅だろう。


「最、悪。何やってんだか、俺は」


 迂闊すぎる。地形変化系モンスターから逃げてる時は、行き止まりにされた危惧のある一本道は通らないのが常識だろうに……そんなことも忘れて、どれだけここを真っ直ぐに走ってしまったか。


「……あ、っちゃあ」


 振り返る前から、音に、揺れに、気配でわかる。

 一か八か巨体の下を潜れば、と考えたが、それも無理だと悟る。


 神像は……通路の横幅全部を塞ぐ、倒れた姿勢で追ってきていた。

 ちょこまか地面を走りまわる標的を捉える形への、ヨロイモライならではの切り替え。肩や胴、頭部を駆けあがろうにも、関節や背の隙間からは夥しい数の細い脚が突き出している。


「これはさすがに、終わり、だなぁ……」


 幾度も味わった辛酸を、脳髄が思い出す。何よりもどかしかった、ペナルティの悔しさも。

 分霊破壊による緊急脱出、パーティ全滅が発生した場合……探索者には反省を促すため、一週間のダンジョン禁止が法令で科せられる。


 初回でそんな憂き目に遭うなら、全素材の収集までに一体どれだけかかるか。今年の秋なんて、到底間に合いはしない。

 ——でも。別に、今年の秋が駄目だろうと、俺たちには来年も再来年も、その先だって……


「……ぶはっ」


 そんなふうに考えて、吹き出してしまった。

 確かにその通りで、焦らないでいいとアリーシャにも言った自分が……そういう正論で、一切納得できていなくて。心と頭が「そんなのって絶対嫌だ」の一色で。


 なんだ。

 こんな土壇場で突きつけられて、わかるのか。


「寸暇も早く……みんなで一緒にファンフェスやりたい。その気分、俺のがでっかいじゃん」


 照れ臭さが、恐怖に焦りにまさって超える。

 迫る神像の巨体も、嘲笑うように揺れる空洞の口も、クリアな思考で見られている。


「楽なもんだ。どうってことない」


 こんな状況、どうしようもなく絶望的なだけ。自分でもうやめようと、やめたほうがいいんだと立ち止まったわけでなし。まだ何も、嫌になったわけじゃなし。


 なら、あがこう。やりたいことをやるために。

 それはきっと、最っ高に気持ちがいい。


「悪いね。一足先に——ファンフェス頂点への道、楽しむよ、ミナッ!」


 そんな。

 俺が、自分で自分を鼓舞した叫びを、聞いていたわけでは、ないのだ。それに呼ばれたから、なんてことではないのだ。そこからじゃ、タイミングが合わないから。


 ああ、つまり。

 彼女は、自分で考えて。自分で行動して。とうに自分で決心していた。

 だから、この瞬間に、間に合った。



「ちひろ、っちーーーーっ!!」


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