救いの兎は天より降れり



   ■



「ちひろっち」


 二人残った食堂のテラス、不意にミナが神妙に口にする。


「魔人の角って、売るとこだと高値で売れると聞いたことが」

「やめようね」

「ひゃい……」


 あれから。

 おやっさんは『契約書などを作成する』と工房へ戻ったが、去り際にこんなふうにも言い残した。


『明日の放課後、完全下校までに訪問無き場合、今回の注文はキャンセルとして処理します。どうぞ思考と決断を。自分の望みが、果たしてどれ程の重みを持つものか、ね』


「ああいう人なんだよな、おやっさんは。間違いなく凄腕で、製造に関して本気で……そういう志の高さを、買う側にも要求して覚悟を試す。曰く『儂の製造物は儂の子です。だったらば、そんじょそこらの馬の骨にはやれんってのが親心でしょう』だと」


 それが原因で、いつも客とトラブルが絶えない。

 技術の凄さと同じかそれ以上に絡むな危険と知れ渡り、このように呼ばれる。


 ゲンヌダーロ・平賀は、ドワーフの鍛冶とダークエルフの知性を併せ持つ天才であり……そして、ドワーフの疎ましさである“他人を辟易させる職人的拘り”と、ダークエルフが直せない“誰に好かれずとも構わない厚顔さ”が入り混じった、世にも残念な嫌われ者だと。


「——さて。こういう流れだけど、どうする、ミナ」

「え……?」

「あの通りの偏屈者だけど、それでもおやっさんに頼む? それとも」

「ボクは」


 別の手段を考えてみるか、と尋ねる途中で、食い気味に。

 身を乗り出すように、ミナは示した。


「あの人の……作る装備が、いい、です」

「——へえ。それは、どうして?」

「平賀さん、は」


 そこで、一度止まり。コップのお冷を飲み干してから、続けた。


「ボクの夢を、笑いませんでした。【魔王】のこと、話しても……可哀想とか、気の毒とか、怖いとか、そんな目も、しませんでした」

 

『彼女は、【魔王】の卵なんだ。そのせいで、幻想闘祭をずっとやりたくてもやれなくて、見るばっかりで我慢してきた。……けど。その限界、超えることにしたんだよ。皆の中に混ざる努力、してみることに決めたんだ』


 俺がそう、事情を説明している時。

 おやっさんは『そうですか』とか、適当な相槌を打っているようだったけれど。

 その視線、頭から胴、肩、腕、手、上から下に流れた眼差しは……。


「ボクに何を着せるのか。何を着せて、望みを叶えるか……本気で考えてくれている顔でした。それで、思ったんです。デビューする、なら、自分の、勝負を……運命を、共にする、なら。この人が拵えてくれたものがいい、って」

「……そっか」


 流石は見る専。お目が高い。

 そこまでわかってくれてるなら、俺が解くべき誤解もない。

 ……よかったなあ、おやっさん。


「また明日、会いに行こう。今回の注文、正式に頼みますって」

「はい! ……あっ、あっあっでも、それはそれとして……さん、ねん。三年、かあ……うううう……ちひろっち、それまでボクのこと、見捨てないでいてもらえますか……?」


 一秒前の凛とした顔から、再びどよん、とした表情に落ち込むミナ。

 ——よし。

 覚悟が決まってるなら、こちらも言っていい。


「ああ。そっちなら大丈夫。打つ手あるから」

「はふ? ……ふわっ、つぉ!?」


 ミナが驚きのあまり膝を席に打ち付け悶絶する。落ち着いて。


「くぉぉぉっ……え、そ、それって、ええぇ……!?」

「や、黙っててごめん。あの通り、おやっさんはクセ強いでしょ? ミナがどう思ってるのか、今後を踏まえて知っておきたくてさ。深くて親密なお付き合いもオッケーとわかったからには、踏み込んでいこう。超世界工房平賀の、正式なパートナーとして」

「……はいっ! それでちひろっち、その打つ手、というのは……?」

「それなんだけどね、これをやるには、まず探さなきゃいけないものがあって——」


 説明をしようとした時。

 ふと、俺の視線が盗まれた。

 ——空からふわりと落ちてきて、ミナとの間を横切った、真っ白い羽根に。


「わあ。なんでしょう、これ……わっ」


 ミナがテーブルに落ちた羽根をつまみ上げたが、程なくして光の粒となって消滅した。


「今の、エーテルで出来た羽根……? ということは今、この上の空を天使さんが飛んでるんですかね。えへへ、縁起がいいですねえ。ボクたちの前途が、祝福されてるみたいで」

「……このタイミング、か。そろそろかなー、とは思ってたけど」

「へ?」


 俺は席を立ち、数歩分、店から広い道のほうへ行く。

 すると、その足跡を追うように……更にはらはら、何枚もの羽根が降っては消える。

 その妙な光景を見て、ミナがぽかんと口を開けた。


「……え。縁起、めちゃくちゃ、いいです、ね……?」

「ああ、ミナはそのまま。座って見てて。巻き込まれるから」

「……ま? まきこ?」


 はらはら、はらはら、はらはら。

 降り注ぐ羽根は、予告であり催促だ。


『心の準備と場を整えろ』。

 或いは、『優先順位を組み替えろ』。


「……なっつかしい。変わってないな、このアイサツ」


 降り注ぐ羽根を連れ歩き、食堂テラスから少し離れた通りへ到着。右よし、左よし、やってきている歩行者なし。

 そして——はらり、と。

 降り注ぐ羽根が、俺の頭に乗った時。


「トォーーーーーーーーーーーーーーーゥ!」


 叫びが空をつんざいた。

 それは遥か上空より、一直線に落下してくる。マーキング対象者……俺を目がけて。


「よっ」


 そのことは、毎度お馴染みわかっていたので、身を翻して座標をズラす。

 頭から落ちた羽根が、俺の数秒前に居た場所を舞い、爪先がそこを突き抜けた。


 激しい登場にも関わらず、風圧以外の衝撃が一切無い。アスファルトは割れず砕けず落ちてきた人物を静かに受け止め、風を含んでふわり翻ったスカートの下から、白タイツに包まれた美しく逞しい脚が束の間覗く。


「きゅふ」


 そして。

 そいつは、俺の顔を見て笑った。


「きゅふ、きゅふ、きゅふふふふっ。なぁにぃそのあわあわーってした動きぃ。みっともない、恥っずかしーっ」

「ごもっとも。当方フツーの人間ですから……とか、申し訳は致しませんとも。二年のブランクがこたえてるのは、自分で一番わかってる」


 小手調べでナマり具合を見抜かれた。顔から火でも吹いちゃいそうだ。


「聞いたよ聞いたよ。お祭りぃ、また参加するんだって、おにいちゃん?」

「うん。怒ってる?」

「えー、アリーシャがぁ? きゅふっ、きゅふふっ。ナイナイナイ! ただねー、カワイソーだなーって! あれだけ痛い目見て、もうコリゴリーってして、まだ続けるんだぁ、って!」


 身振り手振り、仕草に呼吸。

 一挙一動が跳ね回るように賑やかな彼女は、身長なら俺と同じ……いや、こうしていると俺より高い。


 着ているのは白を基調としたセーラータイプの制服、靴はデコレーション山盛りですこぶる厚いウェッジヒール。底上げの分、目線はこちらを見下ろす位置にあり、俺が相手を見つめ返すと、同時にそれも視界に入る。


 頭頂より、ぴんと伸びるもの。

 お月様を目指すみたいな、ウサギ耳。


「今日はねぇ、教えてあげにきたんだよ。普通のにんげんはよわよわでダメダメだからー、がんばってもできないムリがあるって! もし忘れちゃったなら、もういっかい、今度はアリーシャが思い知らせてあげようって! きゅふっ。きゅふふふっ。きゅーっふっふっふっふ!」

「……あ。ああああ、ぁ、あ、のぉっ!」

「きゅ?」


 割って入ったその声の主は、ミナ。

 先程、ちらと見えた限りでは椅子から滑り落ちて腰を抜かしていた彼女が……鞄を抱えて、走ってくる。


「え。えぇぇっと、その……ぼ、ボク……う、うぅぅぅぅう……」


 その唸りは、抗いの唸りだ。

 目を泳がせながら、震えながら、一歩を踏み出す力を溜めている……そんなもどかしくも懸命な仕草を、ウサミミ乱入者が断じる。


「なぁにぃ? アリーシャね、ハッキリしてるコのほうがスキー」


 その一言が、背を押した。

 ミナはおもむろに持っていた鞄を開くと……こういう場面がいつあってもいいように常備していたのだろう。

 ペンと色紙を取り出すと、力強く突き出した。


「ぼ! ぼぼぼボクッラグラグラミナ・ネリズエンと申しまして……ファンですッ! こちっ、こここちここちこ、こちらにサイン、いたった頂けませんでしょうか!? 【月跳兎げっとうと】のアリーシャ・レネレーゼさん!」

 

 そこからの動作は、まさしく跳ねる兎のごとくの素早さだった。

 流麗な動作で色紙とペンを受け取ると、慣れきった手つきで一筆。そしておまけに、


「んちゅ」


 色紙に刻まれる、淡い紅の半月ふたつ。その光景を目の当たりにしたミナは目をひん剥いて「ヒゅっ」と短い息を吐く。


「応援アリガト、おねえちゃん。これからも、ずぅーっと——アリーシャから目離しちゃ、ヤダよ?」

「ネリズエンおねえちゃんへ♡」と書かれた色紙を返されながら、唇を耳に寄せての囁き声。

 凄まじいファンサの受けたミナは、今しがた誕生した家宝を丁寧に鞄に仕舞い直してから、「ふひゅう」と速やかに卒倒した。


「……アリーシャ。やりすぎはやめなさい」

「えーっ? これでも足んないくらいだよう。よわよわなひとって、カワカワだもん♡」


 尊死を見て、それはそれは嬉しそうに、満足に笑う天使かつ小悪魔ウサギ。

 アリーシャ・レネレーゼ。美しさと可愛さをミックスした大人の見た目に、小生意気な態度のギャップを備え、多くのファンを惑わし愛される幻想闘祭ランカープレイヤーな兎獣人。


 えーっと。

 確か今年で、十四才の中学二年。

 ……うん。年下の発育じゃないんだよね、色々と。

 獣人の成長、すごい。



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