なりたかったもの、なれないもの



「嫌になっちゃったんです。高校に入ってから。街の風景がよく見える、丘の上の学園で……大好きな大好きな幻想闘祭の模様を、いくつもいっぺんに眺めはじめてから」


 堰を切ったように、彼女の感情が、溢れだす。


「見ていると楽しくて。眺めていると面白くて。けど、素敵な分だけ……自分は一生、あのお祭りに混じれない、ずっと外側、それが…………それ、が。悔しくて。悔しくて。悔しくて悔しくて悔しくて悔しくってッ」

「——自分はこんなに分かっているのに。実際にやれたらプレイもすごいに違いないのに。せっかく祭りへ入れているクセにヘタクソで、にもかかわらず楽しんでいる連中が忌々しいから。どれだけダメか思い知らせて、水を差してやりたくなった?」

「違いますッ!」

「じゃあ?」


 ——大樹市の、ファンフェス・プレイヤー。敗者の元へ現れる、助言の影。

 そこにあったのは、呪詛でも、功名でも、応援でもなく。

 その、どれか一つだけではなく。


「………………………わたしの。からだが。はいれなくても。おもい、だけでも……そこに、まぜてほしかった」


 全てが混じって、出来上がった——『仲間に入れて』の願い。

 それが彼女の、頬を伝って、床へと落ちる。ぽたり、ぽたり、受け止められず。


「はい、そこまで。おじさんの温情タイム終了のお知らせ」


 声も足音も隠しもせず、展望台屋上にロマンスグレーがやってきた。

 警察の、異世界トラブル取り締まり担当……特来トッキ四課の、鵜原うはらさん。


「その子はわたしの管轄なんだ。地球での最後に、辛い思い出ばかり残させないでくれよ。どうせこうなるから、君と会わせる気はなかったのに……自力で辿り着いてくれちゃうとか、若いねえ」


 鵜原さんは手帳に何事かを書き込んで破り取り、噛み破った指先で血判を押し、床に置く。

 紙片が輝き、地面から転移の門がせりあがって出現した。

 繋がる先は無論、彼女を永遠に地球から去らせるあの船だろう。


「現時刻をもって、特殊来訪人捜査四課の責務に基づき、ラグラグラミナ・ネリズエンから異世界滞在権を剥奪する。……まったく。君のお母さんも、そのまたお母さんも、ずっとどうにか凌いできたのに……まさかわたしの代で、ネリズエンの目付け役がこの仕事をすることになるとはねえ」

「……ご迷惑、おかけ、します……」

「待った、ネリズエンさん。その前に」

「その『待った』に待っただよ、少年」


 転移の門へ歩くネリズエンさんに近づこうとする俺に、鵜原さんが割って入る。


「君、どうしてそこまで、この子に関わろうとする? 実はねえ、それがどうにもピンとこない。らしくないにも程がある」

「なんだか、俺のことよく知ってるみたいな口振りですね」

「うん。君は有名人だったし、気を失っている間に一通り調べてあるよ」


 めくった手帳のページに、鵜原さんが目を落とす。


「新城千尋。大樹市のクエスト請負人。頼まれれば無償で手伝うことから、周囲は君をとても親切な、気配りの出来るやつ、なんて……勘違いをしている」


 ネリズエンさんの足が、止まった。

 顔をこちらに向けないで、彼女は話を聞いている。


「君は、頼めばしてくれるんじゃなくて、頼まれてもいないことをしたくない。他人の望みを自己判断し、気を配る——それだけは絶対にやりたくなくて、本人が本当にやってほしがっている、その確証が無い行為で誰かと関わるのが、恐ろしくって仕方がないのが、新城千尋だ」


 ……まったく。何処で誰にどう尋ねたのやら。

 それとも。案外、保健室で寝てる最中に、何かで直接【捜査】でもされたかな?


「わたしはやめてくれと、この子も助けるなと頼んだ。それなのに——どうして今回に限って、他人の期待を裏切っちゃったのかな、新城くん?」

「そうですね。端的に言っちゃうと」


 言葉は、刑事さん越しの、丸まった背に向けて。

 俺はなるたけ、堂々と。


「怖さも駄目さも承知の上で。どうしても、したくてたまんなくなっちゃったからですよ」


 そう答えた時。あの角が、ざわつくのを見た。


「仰る全部がごもっとも。俺はそういう奴ですし、ネリズエンさんとは縁も薄けりゃ日も浅い。警戒するのも納得だ。見張りっつーか、まるで親戚の優しいおじさんですね、鵜原さん。で、そんな人にこう言っちゃうのは、小っ恥ずかしい感じではあるんですが」

「何だい」

「俺。どうもネリズエンさんに、惚れかけてるって感じです」


 角と一緒に揺れていた背が、自分の進むべき正しさより、こちらを向いた。

 ネリズエンさんと、目が合った。


「……成る程ねえ。縁の薄さに日の浅さ、惚れた腫れたにゃ関係ない。一秒だって十分だ」

「でしょでしょ? だから俺はがんばってこんなとこまで来ちゃったし、これだけは訊ねておかなきゃならないんです。……ネリズエンさん!」

「は。……は、は、はひっ!?」

「君、どうしてそんなに、ファンフェスが好きなの?」


 鵜原さんが、「この期に及んで、それ?」とでも言いたげに眉根を寄せる。


 そうだよ。この期に及んで、これだ。

 これが、俺と彼女の始まりで、きっと、一番大切なことだ。

 こんな状況になるまで――聞くことさえ忘れていた、野暮なことだ。


「——ボクは、ですね。新城、さん」


 その質問に答えるに際し、彼女から混乱も嘘も震えも消える。


「生まれたときから、勝手に【魔王】で。手に入れたいと願えないもの、絶対になれないもの、ばっかり、でした」


 とことん真摯に、本気で、そして……深くて、弱くて、脆い場所を曝け出すみたいに。

 ゆっくり、おずおず、手探りで、メリズエンさんは、言う。


「だから、せめ、て、失わないで、すむものは、失わない、ように、って。最初から、近づかないように、ってしてたんですけど」


 自棄の混じった告白。これが最後で、なら、もうどうなろうと構わない、という言葉。


「ボクが、ファンフェスが、好きなのは……好きに、なったのは。いいなあ、って思ったから。地球では、普通じゃあ、やっちゃいけないことも……そこでなら、かっこいい、素質で。本当は嫌われちゃうことが、ゲームとして、なら、長所にもなって……受け入れて、もらえる。みんなの、仲間に、いれてもらえるって……そう、胸を張って笑う、プロプレイヤーの魔女さんが、真夜中の星みたいにまぶしかった、から。みんな一緒の輪のお祭りが、すっごく楽しそうだったから——」

「んー。そっかそっか。ただ楽しそうだったから、か。へえ、そりゃあ、また——」


 単純で。

 幼稚で

 直截で。

 くだらなくって。

 なんて、なんてなんて——


「——最ッ高の原点だ。よし、ただいまこの瞬間を持ちまして……新城千尋は君に惚れたよ、ラグラグラミナ・ネリズエンさん」


 懐に、手を伸ばす。

 ——瞬間。頭に、幻視ノイズが走り。

 進行している現在を、こびり着いている過去が、脅かした。


『無理なんだよ。お前もしかして、自分が何か、特別なものだとでも思ってるのか?』


 いつか聞いた声。

 苦い思い出、辛い記憶、今も癒えない、傷痕の未練。


『あなたは、誰の気持ちも考えてない。ただ、自分がもてはやされたいだけなんだわ』


 ああ、そうだね。

 これもまた、そうかもしれない。俺は結局、あの時から何も変われてなくて、同じ間違いを繰り返そうとしているだけだったりして。


 しでかした過ちが、迷惑をかけてしまった相手への後悔が、神様の言い付け以上に苦かったから。

 だから俺は、もう二度とあんな思いを、誰も、自分もしないように——。


「——でも。出逢っちゃったんだよなあ」


 自分が今、正しいことをしているかなんて、わからない。

 どんな基準を敷いても。共有する決まりを持っても。皆の常識に従っても。

 一度、それで踏み外した失敗が、世界中でただ独り、自分だけを信じさせてくれなくなった。


 けれど今、そこにいる。ここにある。

 善とか悪とか正とか誤とかどうでもいいからとにかく力になりたいなるぞならせてくれ——そう思える、相手が。


 もしかしたら。

 俺はずっと、君のことを待っていた。


「——少年。本気か?」


 俺が懐から取り出したもの。

 真っ二つに割れた無地のエンブレムを見て、刑事さんが真顔になる。


「はい。小っ恥ずかしながら」


 さあ。

 ずっと越えられなかったこの一線。おっかない、未知の境を越えてゆこう。


 誰かの背を押したい——代わりのきかない相手を推したい、自分の思いを。

 もう一度、信じてみよう。


「『掛けまくも畏き須佐之男命スサノオノミコトよ! 新城千尋が今此処に、願いの成就を欲す!』」



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