【魔王】は逃げ出した しかしまわりこまれてしまった!



   ■



 大樹市の川は、海へと注ぐ。

 河口にはかつて海運や漁業で盛んな港があったが、主な機能が六十年ほど前に隣の市に移って以来、今では大きな船もそれと共に働く人々も見られない。


 釣り客や水上バスの利用者がちらほら立ち寄る防波堤には、灯の点らない塔がある。

 港と共に役割を終えた灯台は、展望台へ役目を変えた。開放されている入り口から中へ入り、五階分の螺旋階段を昇ってゆくと、屋根の無い屋上へと出る。本来の灯台であれば、外の踊り場をぐるりと回る狭い通路だった登頂部は、設備の撤去と改修で、円形の屋上になっていた。


 過去に作られ。今に合わせ、有様を改造された場所。

 その縁より、町を見つめる背があった。


 顔も肌も見えないが、今は袋で頭も隠していない。大樹学園女子制服に身を包む彼女の、何より特徴である角が星の光を浴びている。


 ……角。

 その角が、おかしい。


 左右から一本ずつの角が、途中から無数に枝を生やしている。その枝も更に複数の突起を伸ばし、どうやら今この瞬間も拡大している。その成長が辿り着く完成形が、どうしようもなく頭をよぎる。


 極彩色の海で出会った【魔王】がダブって見えた。

 それはどこか神々しく、普通の人間程度がおいそれと近づいてはならないような、隔絶の気配を纏っていて。


 だからこそ、声をかけた。

 窓のひとつも浮かばぬ町を無言で眺める彼女が、あと一秒だって放っておけなかったから。


「こんばんは、ネリズエンさん」


 呼びかけに振り返った彼女は、どれだけ流したかもわからない涙で、顔をぐっしょりと濡らしていて。

 その顔や、露わになっている首や手には……薄ぼんやりと光る奇妙な紋様が浮かんでいた。


「新城、さん。どうして。どうやって……」

「助かったよ。君が今日、誘ってくれてて」

「え、」

「多目的室F。あそこから、見渡して、探した。学校から町の方へ、妙なことが起こってる騒ぎの道筋を」


【魔王】が起こしてしまう法則異常化現象、世界観狂乱。

 それが起こった場所こそ、そのまま追うべき足跡だ。古い方から新しい方へと辿っていけば、その果てに目的の人物がいる。


「世界をバグらせる【魔王】の護送に、普通の転移港は危なくて使えない。あまり距離も移動させれらない。だから、こういう場合はとにかく人気がない外れに行かせるんだ。そこは別に、転移の設備がなくてもいい」


 彼女から視線を外してそちらを見る。街とは逆、波音の響く海と夜空へ。

 丁度、それが来るところだった。

 遠い空の空間に線が走り、それが少しずつ拡大していく。開いた門から、舳先が覗く。


 ——船だ。

 闇夜に溶け込み空を飛ぶ漆黒の船が、密かに、静かに、異世界から地球へ航行してきた。


「へえ……あれが、世界危険封印輸送船か。実物は初めて見たな。……俺の時は、あれが来るような事態になる前に、討伐してもらえたから」


 後半は、聞こえないように呟いて、振り向き、ぎょっとする。

 向き直った先では……ネリズエンさんが、床に手をついて頭を下げていた。

 がむしゃらで、なりふり構わない、土下座の姿勢だった。


「ごめんなさい」

「え?」

「たす……助けには、こないでください、とか。図々しい、思い上がり、で、的外れ……で、した。だって、し、新城さん、は。なんの償いも、ごめんなさいもせず逃げたボクに、怒らなきゃいけない、から。ボクが、貴方の大切を、台無しにした、から……」


 ……あー。そう来るか、きみ。律儀というか、難儀な。


「新城、さんの、エンブレム……中身ごと、壊しちゃって。ごめん、なさい、でした。あんなすごい動きが出来るくらい、使い込んでたものだったのに……」

「んー、そだなー。めちゃめちゃココロ、キズツイタナー?」

「ぅ。あ、あ、あううううぅぅぅぅ……」


 あからさますぎるくらいわざとっぽい言いかたにも関わらず、真正面からダメージを受けてしまっているネリズエンさん。いけないいけない、軌道修正。


「冗談冗談。気にしてないよ。……ま、お察しの通り? アレは昔愛用してた、切り札っぽい装備一式ではあったけど。引退した今となっちゃあ、特段未練も愛着も」

「うそ」


 顔を、上げた。

 淀みなく、怯みなく、彼女は、断じた。


「それは。それだけは。ぜったいに、うそ」

「…………」

「気を遣ってくださって、ありがとうございます。でも、ごめんなさい。新城さんが、どんなに、あれを大切に……信頼して、お守りにしていたのか、くらい。ボクの間合いを突っ切ってくる、迷いのなさで、わかりました」

「…………あ、っそ。うはあ、そりゃなんとも、恥ずかしい」


 受け入れましょうこの痛み。これはこっちのミステイク、甘く見ました侮った。

 こと、幻想闘祭の場面について。

 筋金入りの観客様の見分は、神様だって欺けまい。

 ……まったく。どれだけ本気で、熱烈に、“眺めるだけ”をやってきたんだって話だよ。


「んじゃさ。お詫びってわけじゃないけど、ひとつ、愛用装備がブッ砕かれたワタクシめに、お慈悲なんぞを賜れません?」

「——は。はい。ボクにできることなら、なんでも、なんだって」

「言質ね。それじゃあ」


 罪悪感に身を強ばらせる彼女に、俺は、お願いを突きつける。


「あれ。ネリズエンさんがやってた、マスク不審者ムーブ、結局なに?」

「……? …………っ!?」


 入力・把握・赤面と、一拍ずつ挟んで進行。

 うん。

 何を隠そう、俺はここまで、それを尋ねに来たのです。


「君が見る専でなきゃいけなかった理由も、刑事さんに聞いた。けどさ、どうもそこんとこがわかんなかった。なんでアドバイザーをやろうとしたのか……プレイヤーに煙たがれるのも、いずれ絶対世界観からはみ出すトラブルに繋がるってことも、理解していたはずなのに」


 それさえなければ、今も平穏無事だった。

 それさえなければ、明日も彼女は地球にいられた。


 それでも。

 どうしても、その角を伸ばさずにいられなかったこと。

 その理由は、きっと——。


「ネリズエンさん。君は、関わりたかったんだな?」

「そうですよ」


 床に手を、膝を、頭を着けていた彼女が、立ち上がった。

 どこか、吹っ切れたように。ヤケになったように。


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