【魔王】ネリズエン
「その世界に発生した【魔王】の本質とは、本人ではなく、積み重なった呪い。一族という器の中で増え続けた悪性質量は、器が破壊された時に溢れ出す。彼女の出身世界は、魔王討伐で滅亡を免れたものの、人がまともに住める領域は今でも四分の一ほどだ。……そして」
「——その時には、もう、子孫がいたんですね」
「そうでもなければ、四分の一さえ残らず滅んでいた、という話だよ。そんなわけで、人々はネリズエンという血族……血の裡に潜在する【魔王】の後始末をしなければならなくなった」
対処法自体は、すぐに見つかった。
ネリズエンの【魔王】の主体は、常に末裔に存在する……遺伝ではなく、親から最初の子へと、バトンのように引き継がれる。
そして。
平穏な生を全うする中で、少しずつ薄れていく。
「世を侵す呪詛が溜まった以上の歳月を費やし、薄まらせていく。【魔王ネリズエン】討伐法が定められて以降、彼女の一族は地球世界の日本へ移り住んだ。この国は神秘に対する制限が特に強く、特殊な状況でなければ魔法も使えないくらい、
神々の作り定める、この世の理——
大気組成や魔力の有無、存在する物質の許可で、神様は他の異世界との差別化を行う。中でも地球の日本は、【人は人の手で為すべきを為す】を
一見強すぎる制限で不自由に思えながら【侘び寂び】と称される環境、制限があるからこそ発展した技術や発想は、多くの異世界から魅力的なものとして捉えられているのだった。
「日本の土のおかげで、ネリズエンの呪詛……彼女の【魔王】も発現せずに済んでいた。いたんだけど、ねえ」
「……地球の世界観が適用されていない、異世界法則体験場——ファンフェスの舞台に上がったから、ですか」
地球にいるという制限が、彼女を人として封じてくれているなら。
その枷がないフィールドで、彼女は【魔王】の片鱗を覗かせてしまう。
「君たちが気に病むことはないよ」
眉を顰め、長く吐き出される溜息。
鵜原さんの態度には、深い憂いが見えた。
「彼女が幻想闘祭なんて危ういモノにハマり、近づかずにいられなくなった時点で、この結末は見え透いていた。あとはいつ何が引き金になるかだけの違いでしかなくて、今回たまたまあの鯱人くんの怒りだっただけ。むしろ、損な役を引き受けさせてしまって申し訳なかったよ」
「…………」
「忠告も、警告もしたんだけどなあ。だからって、止まれるものと、止められないものがあるんだよなあ。彼女は、別に……【魔王】に生まれただけの、普通の女の子だから」
「——ネリズエンさんは、これから、どうなるんですか」
「今夜にはもう、この世界を発つよ」
驚きはなかった。
話を聞くうち、そうなるだろうと予測していた。
「世歴じゃ、超常の火種を抱える世界も珍しくない。それをカバーし合えるように、社会も成り立っている。でも、悲しいかな。彼女のそれは本日をもって、許容範囲を超過した」
「——でも。今回のは、彼女が原因じゃ……」
「もう、経緯を論ずる段階ではないのさ。一度世界観から外れたせいで【魔王ネリズエン】の箍は緩み、ひどく不安定になってしまった。今も、時空修復課が大慌てでお仕事せざるを得ないくらいにね」
「……っ!」
「ラグラグラミナ・ネリズエンは今、危うい励起状態にある。早急に、異能発現がより厳粛に禁じられている世界へ移送されると決まったよ。今回のような問題を起こした場合、もう前の世界には戻せない。君と彼女は、一生のお別れだ」
それが、どうやら結論のようだった。
鵜原さんがパイプ椅子から立ち上がり、俺は咄嗟に声を上げる。
「——あの。今、ネリズエンさんは。異世界渡航するのなら、どこの港から」
「新城くん。頼むからやめてくれ」
鋭く冷たい断ち切る言葉が、鵜原さんから振り下ろされた。
「君は既に、役目を終えている。あの子の依頼を叶え、あの子を助ける為に動き、そして——一生得られないはずだった思い出まであげた。だから、十分だ。この後もこれ以上も無いのに……見送りになんて行って、まるでこの次があるみたいな気分にさせるのはよしなさい。ああ、そうそう」
「彼女から伝言……依頼を預かってる」と彼は言う。
「『たくさんお世話になりました。ボクの助けは、ここまでで大丈夫です』ってさ」
追い縋ろうとしたが、眩暈がして、ベッドに倒れ込む。
上げられない瞼の向こうで保健室の扉が閉まる音を聞き、再び体調が安定してきたころには、もう外の日も落ちていて、グラウンドから部活の声も聞こえなかった。
ふと。
ベッドの横の棚に目をやると、それが置いてあった。
真っ二つに砕け割れた、無地のエンブレム。
その下に敷かれた……【そうび こわしちゃって ごめんなさい】と、水で滲んだ、震えた文字の書かれた手紙。
それら、未練と無念の塊二つを、一緒に握り締めて、深呼吸。
頭が、ひどく、クリアになった。
「——よし」
手持ちの札を整理しよう。
助けはいらない、と言伝られた。
この後もこれ以上もこの次もない、と忠告された。
俺は彼女の連絡先を知らず、そもそも確認したスマホには、電波が入っていない。
新城千尋は、ラグラグラミナ・ネリズエンと、離れて、途切れて、見失った——
「なら。もう一度、見つければいい」
保健室を出て、無人の廊下を走り三階へ。
今日はまだ、俺に使用権限が登録されている多目的室Fへ駆け込み、窓から外を見渡す。
夕焼けと夕闇の混じり合う街を、左から右へ、右から左へ眺める。
「……ああ。本当だ」
街並みが、営みが、見渡せる場所。
君が言ったのとは、ちょっと違うかもだけど。俺もここが好きになったよ、ネリズエンさん。
ほら。大変な時に助けてくれた相手とか、感謝しても仕切れないしね。
「それじゃ。今から行くよ、【魔王】様」
勇者でもない一般人から、逃げだすなんてとんでもない。
生憎、こっちにはまだ、君に話したいことが残っている。
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