祭りのあとしまつ



【参】


 

「や。おはよう」


 目を開いてぼんやりしていると、横から声が飛んできた。

 身体を起こして見渡したところ、ここは大樹学園の保健室で、窓の外はもう夕方で……俺が眠っていたベッドの脇のパイプ椅子に、壮年の男性が座っている。

 パリッとした灰色のスーツ、柔和な笑顔を浮かべるおじさん。


「……ども。おはよう、ございます」

「おおー。よしよし、意識確認、意思疎通にマルっと。防護服としての役割もバッチリとは、神様の加護付き装備は上等だねえ。……さて」


 手元に持っていた書類にペンを走らせ、スーツの人がこちらへ向き直る。


「新城千尋くん。君、自分が何に出くわしたのか、わかるかい?」

「——【世界観狂乱ワールドクランチ】、ですよね」

「物知り。頭の回転も早い」


 男性は頷きながら控えめな拍手をする。


「神々による理法整備が安定した現代じゃあ、飛行機事故よりよっぽど起きない、極めて稀有な災害……世界の法則が乱れ壊れる現象。とはいえ、起きたら起きたでヤバすぎるんで、今回のように早急な発見・対処・修復を行う連中が各市町村に控えているわけだね。今回は君を助けたり、プールから溢れてたものを片付けたりしてくれた」

「——消防署、時空修復課のお世話になるなんて、想像してませんでした。しまったなあ。しっかり意識保ってれば、あのカッコイイ制服、間近で拝めたのに」


「その彼らが言ってたよ。『君の勇気は無謀だったが、そのおかげで、二人の危機と世界の窮地が防がれた。敬意と感謝を伝えます』とさ」

「……そうだ。あの、鯱人の三年生と、魔人の一年生は」


 興奮して声を出した直後、眩暈を起こしてフラつく。スーツの人が「ああダメダメ」と慌てた声を上げる。


「安静にして。犠牲者はゼロだけど、影響はあるんだから。鯱人の子はね、異世界渡航者用の総合病棟へ検査に運ばれたよ。君より向こうにいた時間が長かったし、装備も解けちゃってた。もしかしたら一度、所属世界の肌に合う水で洗浄が必要かもだ」 

「……そう、ですか。じゃあ、」

「なあ、新城くん」


 踏み込もうとした足に、迎撃を合わせるような、タイミングと、声。


「君は、自分が何と出くわし、何を倒したか……想像がついてるね?」


 言葉に詰まり、息を呑んだ瞬間に“マズい”と感じる。

 が、遅い。その反応と間こそ雄弁な返答で、こちらの心情がバレたことを、その人の眼差しが示す。


「お察しの通り、世界観狂乱の引き金になるような存在は限られている。それは世歴以前、異世界交流以前の地球では、認知されず名付けられていなかった“懸念”——」


 保健室のスピーカーからチャイムが流れる。

 放送委員が校内に残っている生徒へ下校を促す原稿を読み、ではまた明日と台詞を結ぶ。

 暮れの陽に顔を照らされながら、男性は言った。


「【魔王】。彼女、ラグラグラミナ・ネリズエンは、異世界生まれの災害因子だ。……まったく。そういうことにはならないよう絶対に気を付ける、間違っても地球の世界観からは出ない——幻想闘祭のフィールドにも絶対に行かないと、約束していたのになあ」 

「……貴方。一体、どういう人ですか」

「ああ。申し遅れたね」


 男性は胸ポケットから手帳を取り出し、上質な皮のカバーをめくって見せる。


「わたし、大樹署刑事部特殊来訪人捜査四課の鵜原うはら・ベルフォード・鴇也ときやと言います。あの子とは、目付け役と監視対象……それなりに浅からぬ関係でね。君が望めば経歴は開示して構わない、というか、説明の代行をお願いされてるんだが、さて。どうする、新城千尋くん?」



   ■



 三百年前。

 世界の多くが、原因不明で同時多発的な脅威……その世界では対処し切れぬ、不明の危機に見舞われていた。


【単一世界では抗えない脅威を打ち破る】――それこそが、神々が世界の垣根を越えて協力し合うと決定した最大の理由だったのは、教科書にも載っている。

【別世界から協力者を招いて討伐する】ことでしか除去できない、【発生した世界に対する絶対的な優位と破壊性を持つ、世界の自滅因子ワールドアポトーシス】。

 それを神々は【魔王】と名付け、人と力を合わせて討伐し、平和な異世界交流時代が訪れた。


 ——しかし。

 現代でも【魔王】は、“世界を滅ぼすもの”と意味を変えながら……いつ何のきっかけで発生するかわからない脅威として、恐れられている。  


「元いた世界で。彼女の先祖は【神饌幸果収穫之儀しんせんさっかしゅうかくのぎ】という神事を担う一族だった」

「……神事の、担い手」


 オウム返しの単語に、刑事——鵜原さんが頷く。


「ある年齢になるまでは大切に、全てを与えられ幸福に生きる。そして、“その時”が訪れたら、与えられていた全てを皆へ、世界へ返す……すると、その中で育っていた幸は、何倍にもなって戻ってきて、人々を満たし、幸福の総和を底上げする、ってやつだ」

「与えられた全てを返す……それって……」

「ああ。その収穫はつまり——供物、果実として命を捥ぎ取ることに他ならない。あらん限りの充実した生と、皆に望まれる死……それが、神事の一族、ネリズエンの役割だった」


 息を呑む。

 頭が痺れているこちらに構わず、鵜原さんの言葉は続く。


「この世清かれの祈りの受け皿……或いは、幸福たりたいという願いを育てる植木鉢。そうした役目を繰り返すうち、普通の人間だった彼女の一族は、次第に魔人の形質を宿すようになり。それを以て、特別なモノとしての義務は揺るぎなくなった……と、文献には記されていたよ」


 地球ここではない異界かなた

 世暦いまではない西暦むかし

 もう手の届かない、変えようのない事実が、こちらの理解の追いつかないまま、目の前に羅列される。


「数多の想いを注がれた器に実る、世界で最も素晴らしい捧げもの。それに見合う加護のおかげで、その世界はとても栄えた。……けれどね。長い歴史、代を重ねて。その世界の人たちは、【増えて戻ってくる幸福】を収穫した後、器にこびりついて残ってしまうもの、落とし切れず継がれてしまうものがあったのに、気づかなかった」


 それは、恨みや、憎しみ。

 どうして自分だけがこうならねばならないのか、という、負の感情。

 神事の一族が、崇め奉られながら使い捨てられていく時間を重ねた末。


 そのおりが、【魔王】を生んだ。

 自分たちのおかげで発展した世界の、充ちる幸福を、己に還元させんとする災厄を。


「変じたのは、ネリズエン家、三百年前の先祖。彼女らの世界が生み、彼女らの世界を滅ぼす絶体的な権限を持ってしまっていた【魔王】は、間に合った神々の交流のおかげで、異世界の英雄によって討たれた。……だが。それでめでたしとはならなかった」


 ……そうだ。そこが、おかしい。

【魔王】とは、縁なき突然変異。繋がりなく発生する理不尽。

 それがどうして、子孫という同じ線上に継続しているのか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る