対戦よろしくお願いします



 闘祭祝詞を聞き届けたエンブレムの輝きが、俺の全身を覆う。

 生成、収納、換装、登壇。装備は剣に小手、外套に靴、二年振りの分霊憑依。別の自分になった確たる感覚。視界いっぱいに広がる春の空、桜の花、身を切る風、懐かしい浮遊感。落ちていく先は、視界を塞ぎ、世界を塗り替えるような極彩色の光の帯——。

 

「っだぁッ!」


 それを、一文字に切り裂いた。

 左の腰に差さっていた剣を抜き払って振るい、クリアになった進路、その先の扉へ落下する。


 境界を超える。

 この世と、神々の作った空間——二度と踏み入るはずのなかった、祭りの中へ。

 果たして。


 降りた先は、幻想闘祭神楽舞台・海洋C……無数の水上コテージと、それらを繋ぐ橋がランダム生成で点在する、海上居住地——ではなかった。


{…………っ!}


 海が海の、空が空の色をしていない。

 刹那毎に変遷を繰り返す色調は、加工アプリで戯れに弄られる画像の様。時に極彩色に、時にモノクロに、時に歪み、ぼやけ、滲み——己の口から出る声まで響きが変わるほど、空間としての安定が完全に損なわれているのが肌で感じ取れた。


{……ここは、違う}


 この世には、無数の異なる世界が並んでいる。地球はほんの一例でしかなく、俺には想像もつかないような環境、世界観に立脚した理がある。

 ——それでも。


{これは、違う……!}


 直観が告げていた。

 ここは、間違った場所、在ってはならない状況だと。


 ——その時。

 底どころか1メートル奥すら見えない不透明の海から、突然に飛び出してきた。


 流線のかたちは、水中に生き、海洋を往く生きもののフォルム。だが、それは極めて無機質であり、ヒレともつかない奇妙な突起をいくつも生やした姿は、生命らしさをまるで感じぬ混沌さで……何より。


 こちらを丸呑みしようと、水面から橋を飛び越えるように跳ねてきた、口の奥に。喉ではなく、極彩色の空間に繋がる口内に。

 突き出ている、鯱人の腕を見た。


{セン————}


 左の手を、伸ばす。

 届く必要はない。動作でスキルが発動する。


星握ほしにぎり]——掴めぬものを掴む俺の五指は、離れた場所のセンパイの腕の感触を捉える。

 そして。


{————パイッッッッ!}


 引っ張り出しながら、右手を振るった。

 瞬間、刀身が光を纏い、斬撃を浴びせた謎の鯨は、こちらへ到達する前に止まって消える。


巌断いわおだち]——対象に与えた斬撃の影響を、全身へ波及させるスキル。同時に[縁切えんきり]——対象がその時点で持つエネルギーを、自身の攻撃でトドメを差した時に消滅させるスキルを併用。

 

{よ——いっ、しょぉぉッ!}


 意識はないが外傷はなく息もある先輩を、[星握]で宙にある扉の向こう、フィールドの外にブン投げておく。乱暴だが、避難はこれで完了……いや。外に出ても、無事かどうか。ここから外に漏れ出ていた極彩色の光の帯は、今、あちらではどうなっていることやら。——それも今は、考えている余裕がない。

 

{ネリズエンさん! ネリズエンさーーーーんッ!}


 ここにいるはずの……俺を呼び、助けを求めたもう一人の姿を探す。呼びかける。

 一刻も早く、彼女も外に出さないと——。


{————!}


 突如、激震が走った。

 海底からの激しい揺れがコテージ群を襲った時、俺は既にその場から離れている。

 退避方向は上空。[空踏そらふみ]……空を固めて足場とするスキルを、重ねて六——いや九回。


{ぐっ、う……っ!}


 直観で増やした数に救われた。海水の飛沫を被り風圧に殴られるも、致命的な直撃を受けずに済んだ。

 しかしまだ、脅威は半分に過ぎない。

 海中から飛び出した巨大な塊は、そのまま水面に身体を叩きつけ、大槌めいた一撃が水上コテージ群を根こそぎにする大破壊を引き起こす。


 先程の不思議鮫に似たもので、しかし、そのサイズ感が余りに違う。

 それは、生物としてのスケールが余りにも雄大な……巨大に過ぎる鯨だった。


{っと、ぉ!}

 宙で体制を立て直しつつ、鯨の頭部を足場とする。靴底から伝わるのは、有機物とも無機物ともつかない感触。改めて接して見て、幻想闘祭のフィールドにいるはずもないこの存在が何なのか、奇妙さは深まる一方だった。

 ……それについても、考えるのは後回しだ。


 何故なら。

 そこに、彼女がいる。


{ネリズエンさん}


 呼びかけに、応えがあれと、祈った。

 そうしなければならないほど、確信がない。


 幻想闘祭のフィールドに入り、対戦の祭儀を執り行う時。プレイヤーは、その為の装備を身に纏い、姿を変える。

 今の彼女も、その影響下であるとすれば説明はつくだろう。


 ……本当に?


{——ネリズエンさん、だよね?}


 舞踏会で姫が着るような、ドレスめいた衣服。顔には表情を包み隠すヴェール、頭には骨細工めいた冠を被り——朱色の角が、幾重に枝分かれしながら、肥大している。


 ……こんなもの。

 ファンフェスの装備、で片付くのか。

 だとしたら、この寒気と怖気は、何なんだ。


{はい}


 冷や汗が垂れかけた時、ヴェールの奥から返答があった。


{ボクです。来てくれて、あの人助けてくれて、ありがとうございます、新城さん}


 その、聞き覚えのある喋り方で、初めて聞くような声は。

 俺に起こっているのと同じ……次元の不安定さだから、で、済ませていい変化では、ない気がした。


{なに。依頼、受けたからにはね}

 

 その疑問もまた、今は、置いておくことにした。

 

{さ、帰ろう。ここ、あんま居心地良くないでしょ}

{そうですか? そうなんですね。新城さんには、そういうふうに感じるんだ。そっか}

 

 喋り方が清々しい。

 それが、酷く、忌々しい。


{——行こう}

{はい、勿論。そうしなきゃいけません。そうしたいと思ってます。ですから、その前に}


 彼女が、手を掲げる。

 すると、その周囲に、いくつも、いくつも、極彩色の球体が、現れる。

 ……何かを考える前に。手が、剣に触れていた。

 

{せっかく、幻想闘祭のフィールドに、入ったんですから。何もしないで帰るなんて、ちょっと、もったいなさすぎですよね}

{……つまり?} 

{思い出作り、したいです。プレイヤーとして、ボクをころしてくださいますか?}


 動機いいわけが、必要だ。俺たちみたいな、何かにつけて気にしすぎの面倒臭い手合いには、そういうものがいつだって。

 彼女が今、それをくれたと理解する。……ドレスの裾をわずかに持ち上げ、異形の鯨と癒着してしまっている足首から先を見せてくれた意味を、察し、受け入れて、頷く。


{オッケー。んじゃま、やろうか。幻想闘祭。お手柔らかに、悔いを残さず} 


 鯨が震える。

 原油めいた黒い潮が噴き上がり、粘度ある雨の降り注ぐ中で、俺は肩をすくめた。


{しかし、さ。色々やってたけど……結局ネリズエンさん、る側に立ってる時が、いちばん楽しそうだね}

{——たはは。やっぱり、わかっちゃいました?}


 そうして刹那が、始まり、終わる。

 合図もなければ、観客もいない数秒間。


 ネリズエンさんが放った光球は、通り過ぎた箇所を黒く塗り潰しながら、その跡に凄まじい引力、重力……とにかく【引っ張る力】を持つ空間を生成していた。

 通過しただけでそれならば、本体そのものに当たれば無事で済むわけもない。


 それを、掻い潜って進む。

 宙を蹴るスキルで強引に引力圏を逃れ、光球そのものも斬り消しながら、十歩の距離を即座に潰す。


 あっという間に剣の間合い。

 ヴェールの向こうで吐息が漏れる。


{魔道士は寄られたら負け。今回はちょっと、条件が悪かったね}


 本来引かなきゃいけない対面で、手札が【引っ張る空間を作る弾】なら、それを自分の退路に放って速度ブーストしながら距離を取るとか手段はいくらでもあり、彼女も考えついていただろう。……足首癒着で位置固定、なんて不利のおかげで、実行できなかっただけで。


 相手が何を出来ないか、がわかった段階でもう、やりかたは決まった。いかに優位を掴み、相手をこちらの得意へ引き込んで逃さないために、どうするか。色々要訣はあるけれど、結局それがファンフェスの、基礎にして最大の駆け引きなのは間違いない。


 まあ、つまり。

 奇しくも、彼女の言っていた通り——先に、底を晒し切ってしまったほうが負けるのだ。


{アンフェアでごめん。……さて、感想ある?}

{……これ。まだ、負けじゃ、ありません}

{——はい?}

{だ。だだ、だって、だって……こんな姿、こんな装備、こんなスキル、自分で選んだのでも、やりたいやつでも、ないですもん! ボクがファンフェスやるならやっぱり、【魔道神】が作ったエクストラジョブモデル! アコガレの、きらめく魔女以外にありませんし! だからこんなの、の、の、ノーカンですもん、うわーーーーん!}

{ぶはっ}


 その様に、安心した。

 いくら、ヴェールの向こうに隠されていようと。

 内から届いた情熱が、あの教室で……あの神社で、あの路地裏で、見ていたものと同じだったから。


 いや。聞いていて清々しい、勝ちたい意欲に満ち溢れた、負け惜しみだ。


{生憎だけど、どんな装備でも状況でも、対戦は対戦。次のために、受け止めとこうか}

{——ちっくしょう。他人のじゃない、自分事の敗北って——こんな悔しいんですねえ!}


 振るわれた剣が、抵抗を受けながらも胴を真っ二つに両断する。

 分霊を破壊され、彼女はその場で元の姿に……戻るかと思ったら、極彩色のそれとは違う別の光に包まれ、そのまま扉の向こうへ飛んでいってしまった。


「——今の。まるで、結界から弾き出されるみたいな——」


 呟きながら気付く。

 声の感じが、戻っている。そして……フィールドの変異も、元通りになっていく。

 空が、海が、青い。


「……ふう。ともあれ、よかった、よか」


 った、と、言い終わる前に、倒れ込んだ。


「あ、れ——」


 どうやら。彼女の繰り出した魔法の直撃を食らわずとも、この空間に留まる事自体が悪影響だったらしい。手足がうまく動かず……しかも。

 足場にしていた鯨までぼろぼろと崩壊を始め、俺は、海へと投げ出されている。


(うーわ。うわわわー……)


 迂闊にも俺は、エンブレムを持ったままでフィールドへ入ってしまっていた。その程度の、当たり前の対処も忘れていた。


 つまり。

 今使っている、頑丈で強力な身体が壊れた時。

 普通に弱くて普通に死ぬ元の自分に戻るのは、今と変わらぬ同じ座標、この空間の、海の底。


(やばい。やばいやばいやばいやばい——)


 もがきも出来ず沈んでいく。身体より先に意識の限界が来て気が遠のく。

 その、点灯と消失の間の刹那。

 俺の頭にあったのは、『まあ褒められる事は出来たかな』という納得——よりも。


 ——ちっくしょう。他人のじゃない、自分事の敗北って——こんな悔しいんですねえ!


 あの熱い眼差しに、勝ち逃げをする申し訳なさと。

 心からの同意の方が、何より強くて、大切だった。


 やれやれ。

 まったく、こんなタイミングで思い知るとか、しょうもなすぎるんだけど。

 我ながら、意地と義務を一皮剥けば……その下は、笑えるほどのファンフェス馬鹿で——


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