受注すべきは、どの依頼か



「はい、チィズ」


 パシャリ。

 地上から遠い、三階の窓の桟に……制服ではなく私服姿でしゃがんでいるセンパイが、スマホで室内を撮影した音が鳴る。

 呆然としている俺たちを置いて、彼は画面を眺めると獰猛に口を裂いた。


「ホレ、新城ォ」

「ぉわっ!?」


 ぶん、と急に下手で投げ渡された端末をなんとかキャッチ。あっぶな!


「な、何するんですかセンパイ!? ってか、なんでここに!? どっから!? 今日、学校休んだんじゃ」

「それが答えだ」


 受け取った端末を指差され、視線が誘導される。

 そこには……何も、写っていなかった。

 たった今室内を撮ったはずの写真、その全体が酷いノイズと原色の出鱈目な砂嵐が走るようになって、見ているとただ、目が痛い。


「例の祭り荒らしはな、写真でもビデオでも、肉眼以外で捉えようとしたら全部そうなる。だから、マスクかなんかで顔を隠しゃ後から人相も割れない——ンだが。そォんな分かりやすい特徴、もう一個の顔も同然だろ。写真に撮ってそういうふうになったファンフェスフリークが、不審者の正体だ」

「————っ」

「そいつはご丁寧に、顔を隠す道具も全身を隠す服装も毎回変えてやがった。それで映像が残らないとなりゃ、変装は盤石だ。しっかし、昨日ばかりはちぃとマズったなァ!」


 部屋に入ってきたセンパイが、長い腕を伸ばし、敵意を向けられて固まってしまっていたネリズエンさんの首を捕らえる。


「切り貼りのチラシを覆面にしてたわけだが、それらがポスティングされた地域、配られてたスーパー、ついでにクソだっせえジャージを売ってた古着屋、昨日の夜から辿って辿って聞き込んで——容疑者が、大樹ウチに通ってる魔人だって割れたのがついさっきだ。そんで坂ァ登ってきたら、ハ、おったまげたぜ。探しにきた犯人が窓から顔ォ出してると来たもんだ」


「でかした。お手柄だぜ、新城ォ」と言われ、一瞬、頭が真っ白になった。


「……え?」

「こっちの動き、連絡の時点で察してフォローしたんだろ? 密室に誘き寄せて、ここに居るぞと外に晒させ、出口までそうやって押さえるたァ、気ィ効きすぎだ。どうやったかまでは知らねェが、口八丁手八丁——敵も味方も一緒くたな、不意打ち裏切りの手練手管、健在どころか研ぎ澄まされてんじゃァねえかよ、なあオイ、!」


 ——誤解を。

 あっちも、こっちも、解かなければならない、のに。

 首を掴まれて喋れないネリズエンさんの、怯えと苦しみの混ざった顔……俺に向けられた呆然の眼差し、それだって、決して黙って見過ごせるものでもないのに。


 センパイに言われたことが。

 彼が知っていた、俺が蓋をしてきた事実が、動くべき口を縫い合わせている。


「気付いてたんですか。そっちも。……いつから?」

「教室で一目見た瞬間、だ。このダァホ。初対面っぽくしたがってたのはわかったからな、合わせてやってたに決まってンだろ。ま、そっちの話は後だ後。先にこいつとナシつけてくっからよ、お前とはまた放課後にでも」

「彼女に」


 自分の事を度外視したら、どうにか舌が回ってくれた。


「何をするつもりですか」

「落とし前」


 そんなことはいけない、と続けようとして。

 自分が彼女のことを、何も知らないという当たり前の事実にぶつかる。


 都合のいい解釈で、踏み込み浅く、事情に関わるのを避けたから。

 意志も。動機も。その源泉を何一つ、語れもしないし、庇えない。


「こいつァ今まで、さんざっぱらほざいてきた。『幻想闘祭で勝てるようにしてあげる』? ッハ、そんなら、まずは腕前見せてもらおうか。それだけの大口叩く奴が、実戦はロクにれねェ雑魚なわきャァねェよな」


 私服のセンパイが、空いている手で胸ポケットから取り出したのは、海面から顔を出す鯱を象った板。

 それは、シンボル・エンブレム——幻想闘祭プレイヤーの所属を示す証であり、同時に、ゲームに必要な装備のケースだ。


 即ち。

 センパイは今、彼女に宣戦布告した。


「安心しろ。レンタル装備も用意してきてやったから、エンブレムの持ち合わせがなくて無理だの泣き言は言わせねェ。泣いて謝って心の底から反省するまで、千回だろうと万回だろうと齧り散らかす。さァ、やろうぜ闘い祭り——引退試合になるかもしれねェけどな!」

「センパイ、そんな、強引な……!」

「依頼だ。黙って見てろ、新城ォ」


 有無を言わせぬ声。殊更な威圧の意図を含まず、ただ本気を示す響き。


「理由はどうであろうとも。ファンフェスのプレイヤーが、パーティで重ねた努力を……絞った頭を、紡いだ連帯を、こいつは『それじゃ勝てない』の一言で切り捨てた。『可哀想』と憐れんだ。俺はそれに、怒ると決めた。侮られた敗者の痛みに、報いると約束した」

「…………ッ!」

「それとも。お前はまだ今も、のお前なのか?」


 伸ばしかけた手が、踏み出しかけた足が、それ以上進まない。 

 状況に混じれず、かといって無関係でもいられず、半端な位置で立ち止まる。


「フィールドは海洋C。お相手はブルーバイトの[戦士/双剣]ヴォルケンノタスだ。対戦ヨロだぜ、魔人女!」


 そして。

 センパイは——ネリズエンさんを掴んだまま、窓から大きく、飛び跳ねた。


「え——えぇっ!?」


 慌てて窓辺に駆け寄り、身を乗り出して顛末を追う。

 凄まじきは、普段の日常生活では、周囲に危険が及ばぬように抑えられている鯱人の膂力。春の青空に美しい放物線を描き、彼が落ちゆく先は……両生種族の生徒用に、一年通して水の張られている屋外プール。


 ……いや、違う。

 いつのまに仕込んでいたのか。プールの水面に、水平に開かれていた扉の中へ、二人は入っていった。

 あれは、幻想闘祭を行う試合場の空間へと続く入り口だ。


「……ネリズエンさんは、プレイヤーじゃ、ないって、言ってたのに」


 それでも、センパイはお構いなしだろう。実際のプレイ経験がないならば尚のこと、知ったふうに偉そうな助言をしようとしたエアプを痛めつけるに違いない。

 扉の上に、窓は出てこない。もっとも、“自分の映るデータを破壊してしまう”というネリズエンさんの体質では、出したくても出せないのだろうが。


「……今、どうなってんのかな。あの中」


 ごちゃごちゃな頭で、現実から逃避するように考える。

 闘祭の、一対一。

 変数が極めて少ないこの形式では、勝負はある意味、始まる前に決まっている。

 相手が何をするかの想定と対策。瞬間でのアドリブ。手が割れているほうが不利、隠している方が優位。それを加味すれば、番狂わせは如何様にでも起こり得る。片や、戦法まで有名な強豪パーティのエース。片や、全ての情報が未知の無名。何度も通用することはないにせよ、研究次第ではもしかしたら、初見で初戦の一回くらいは……。

 

「やめろ。何考えてるんだ、馬鹿千尋」


 触れるな。近づくな。通り過ぎろ。幻想闘祭は、もうお前の祭りじゃない。

 そう戒めながら、目を背けようとした寸前、俺は、それを見た。


 先ほど二人が入った扉、そこから、ゆらめき、溢れ出す……極彩色の、揺らめく光の帯。


「……なんだ」


 光帯は徐々に、その量を増していく。枝葉を、翼を、広げるように、伸びていく。

 知らない。こんなものは、見た事がない。何が起こっているのかわからない。


「なんだよ、あれ」


 向こうで一体、何と、何が闘っている?


「…………ッ!?」


 突然ポケットの中で端末が振動し、反射的に確認する。

 取り出した画面には、メッセージの着信。

 差出人は、センパイ。

 文面は、


『たすけて』


 その意味を、理解する前に。スマホのロックを外す前に。

 メッセージが、もう一件。


『このひとをたすけてしんじょうさん』


 何も。

 何もかも、わからない。

 わからないまま、窓の桟へ、足をかけた。


 光の帯は拡大している。

 扉が見えなくなりかけている。


「————ああ、くそ」


 了解している話などない。ただ、状況に背を押されていると承知する。

 何をやったら善いのか。やってはならないのか。俺にはよくわからない。だから、だから、だからいつも、それに縋る。


 依頼。

 誰かの求め。

 正しさの許可。

 喜ぶ誰かがいるという最低保証。

 これまでは、言い訳に足りなかったモノ。


 ——しかし。けれど

 今、この時は。


「それ。受けるよ、ネリズエンさん」


 頭に浮かんだ菖蒲色の笑顔が、二年の惑いを越えさせた。

 手を伸ばした制服の内ポケット。

 肌身離せなかったお守りは、今日も変わらずそこにある。俺がどれだけ逃げても、目を背けても、変わらぬ手触りのままで。


 桟にかけた足に、力を籠め、踏み出し、乗り越え、そして跳ぶ。

 何も描かれていない無地の板を取り出し、握りしめ——こんなふうに、叫びながら。 



「【みんなの祭りを始めよう! スターティング・いつでも楽しく何度でも!ファンタフェスタ】」



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