彼と彼女の相似形
■
さて、如何でしたでしょうか。
これが、春の夕暮れ逃走劇の経緯。
話はいよいよここから先へと進むのです。未知の領域突入です。
「……したいような、したくないような……」
落ち着くためにここまでの経緯を思い返したら、自然と溜息が漏れた。十割自業自得なんだけど。
「とんだ八方美人だよなあ……そりゃ、まだ正式には、ぎりぎり、受ける返事をしてなかったとはいえ……あ」
がこん。自販機の取り出し口に、ペットボトルが落ちる音を聞いて気づいた。いやこれ、買ってもどうしようもなくない?
……ま、いっか。渡すだけ渡して、後はご自由にで。今の俺の立場と同じにね!
「おつかれー。ほい」
ん、と差し出すが、反応なし。そいつは石段に座って、さっき渡したブツ……俺が喫茶おーしゃんびゅうの店長からもらい、そして約束通り差し上げたステッカーを、背中をくの字に曲げ、顔……紙袋の覗き穴に近づけている。
とりあえず、座ってる横に水を置き、それを挟んだ隣で自分のを飲む。
路地裏から始まり、商店街を抜け、川縁を走って走ってやってきたのは、この辺りが田と畑の農村だったころの名残である神社の境内だ。
昔は河の神を祀るそれなりに大きな神社だったが、ここのあるじの
今となっては、いくらかの木々に囲まれて、溝のようなサイズの水路が流れる、閑散とした神社。社務所もなく、参拝客は別の場所に行くようになり滅多に訪れなくなったここは、俺には勝手知ったるところで、こういう時に逃げ込む場所にもちょうどいい。
「ひゅふふふ、ぐゅふ、どほほほほほほほ……ぬほほへへへへ……」
——いちおう、ペーパーバッグジャージマンは女の子っぽい、ということは判明した。
しかし、ここまで来る際のダッシュといい、恍惚の声といい、男女というより怪人のカテゴリに近いと思う。というか実際入ってる。少なくとも既に、世間的には。
「無理もうマジ無理……ふはぁぁぁぁ……これ絶対、まだまだ全然世間の評価も足りとらんよ……来るから、こっから更に来るから、もっと上がるから……業界の宝、いや、世界の宝になるってぇ……もっと気付いてみんな気付いて、ブルバのポテンシャル舐めんなし……」
……今更なんだけど、俺がやったこと、よかったのかなあ。
——よし。確かめとこうか、一応。
「それってそんなにイイの? ただの、ファンフェスパーティの自主制作グッズだよね?」
「は?」
紙袋が凄まじい速度でこっちを向いた。
「設問を確認しましょう。『ブルーバイトの最初期ヴィンテージモデルステッカーがイイものか?』と尋ねたんですか? だとすれば答えは『勿論』『当然です』『ご存知無い!?』をそれぞれ
大波の勢いで怒涛の解答。
わかりやすくて苦笑する。
「ははは、いやゴメン、冗談冗談。知ってるよ、それがどんなものかくらいは。……うん。君がそれ、大切にしてくれそうでよかった。特に——レアさとかより、好きなパーティのグッズだから絶対大事にする、って思ってるのがいい」
「おや! あなた、わかっているじゃないですか! そうです、レア=価値があるというのは結局比較と相対であって、それがたとえ大量生産のありふれた一個でも、推しとの繋がり・結びつきと思うかがファン活動には何より肝心な希望への想像力! そして彼らは、全身全霊でファン活するに相応しい、本当に素晴らしいパーティで——」
熱の入った長広舌が、突然止まった。
紙袋は、体を戻して俯く。
「——やっぱり、好きだなあ、ブルーバイト。推しパーティの一押しプレイヤーさんに、嫌われちゃっても」
紙袋越しでは、表情なんてわからない。声だってくぐもっている。
それでも、ありありと——今、どういう顔をしていて、どういう思いをしているかくらいは、想像がついた。あと、この人が何なのかについても。
——ところで。
路地裏に、紙袋頭を探しにきた四人組は……おーしゃんびゅうの中継が一度途切れる直前に見ていたファンフェスのパーティだった。
「君が一体何処の誰で、何してあの人らに追われてたか……どうしてそんなことをやってるのかは、聞かないでおくよ」
著名パーティのステッカーをくれた、喫茶店の店長。その店をホームにするセンパイが、捕らえるべく飛び出した相手と……嫌われた、と悲しむ誰か。
これらの点はまだぎりぎり曖昧で、結ばれてはいない。なのにそこのところを本人が確定させてしまったら、ちょっと立場が複雑になる。成立しかけた先約を、放っておけなくなる。
明日には変わるとしても。
少なくとも、今日だけでも。
彼女との関係を、めでたしのままに、しておきたい。
「これでお別れだけど、最後のおまけに一言。整理がつかない気持ちはさ、折り合いつけてやっていけばいいよ。どっちかにだって決めつけず、いいトコどりをしたっていい。そういうのも、世暦的でしょ?」
飲み干したペットボトルをカバンにしまって立ち上がる。
「——あの。あなたは。どうして私に、力を貸してくれたんですか?」
「ああ。そりゃあ、そっちと同じ」
「……え?」
「俺もさ。困ってる人には手を貸して、勝ってもらいたい、って思うんだ」
もう二度とは交わらないだろう奇縁の相手に、手を振ってサヨナラの意思表示。
そうして一人、夕焼け小焼けの帰り道、さっきの自分を思い出して苦笑する。
「よくもまあ、恥ずかしげもなく言ったなあ。図々しいぞ、新城千尋」
“困ってる相手を勝たせたい”。
その意味も、意図も——お前とあの子じゃ、異世界ほどに違ったろうに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます