壊れた世界の住人 ⑶
少しずつ凜の身体を操れる時間が増えていった。
まずやることは両親を殺すことだ。
両親は家の中で私をいない存在とした。そして海外に飛ばした。その飛行機で私は死んだ。
両親に殺されたといっても良い。親は一番子供を守らなくてはいけない存在なのに。
しかし、すぐに殺すわけにはいかない。殺したことがバレてはいけない。バレれば私は保護される。それでは自由にこの壊れた世界で踊ることができない。
まず父に仕事を辞めさせ、社会とのつながりを絶たなければいけない。
親戚とのつながりはあまり無いから問題ないが、近所づきあいはそこそこある。特に平田家とは仲が良い。平田家は他の近所とも仲が良い。
つまり近所とのつながりも切らなければいけない。だが、そうなると平田家が繋がっている親戚、友人とかとの関係も切らなくてはいけなくなる。それでは無限に人を殺さなくてはいけない。
もちろん全ての人類が壊れているから殺すのは問題ないが、その前に捕まってしまう。
両親を殺すことは確定事項だ。
そうなると平田家には協力者になってもらうしかない。他人の感情が読み取れる私なら人を支配することが可能かもしれない。いや、可能にする。そうしなければ両親を殺せない。自由になれない。
第一計画は立った。
まず私が凜の身体に乗り移ったときには、あきらかに凜ではない行動をする。そして凜は姉がいなくなったショックで二重人格のようになってしまったことを演出する。きっと我が子を愛する両親は心配するだろう。
どんな行動をするか悩んだ。私、理沙のように行動しようかと初めは思ったが、それでは再び両親に見捨てられ、居ないものとして扱われる可能性があった。
その時、偶然流れていたアニメを見た。そのキャラは自分が世界の中心だと思い込み、自由に振る舞うキャラだった。私も壊れた世界で自由に踊ろうと考えていたため、コンセプトがあった。そのキャラになりきろうと思った。そのキャラの服装は真っ黒のドレスで他の装飾品も黒だった。世間ではゴスロリ衣装と呼ばれているらしい。口調も少し変だったが、その方が両親には心配してもらえると思った。
服は母に頼むとすぐに買ってくれた。私には一切買ってくれなかったのに。
それから私はそのキャラになりきった。
初めは両親もおままごとの延長上のものだと思っていたが、性格も変化したことと、1ヶ月近く続けることで異常だと思うようになってきた。
この時には凜と1日交換くらいで身体を使っていた。たぶんだが、理沙ではなく凜本人が身体を操っているときに、凜は両親に前日の記憶がないことなどを話していたのだと思う。
両親は私を病院に連れて行くようになった。医者の心を覗いたが、困惑していた。ほとんどが理解不能といった感じだったのだろう。私も医学の書を何冊か読んだことがあるが、二重人格の原因は精神的なもののため、治療が難しいらしい。
いろいろな病院に連れて行かれた。
2ヶ月くらい経ち、近くの病院には全て行った。それでも解決法は見つからず、父は仕事を辞めた。私は稀に凜の真似をして、父に怖いから家族3人で一緒に居たいなどということを何度も言っていた。それが影響したのだろう。
平行して平田家にもこっそり行っていた。夜中や早朝に。
何度か家に凜がいないということで両親が騒いだこともあった。これも両親が心配する原因になった。
平田家は、子供は独り立ちしたようで、昌二、恵子、勇(昌二の父)の3人暮らしだった。
平田家に行くとかわいがってもらえた。私がどんなことをすれば喜ぶかが手に取るように分かったため当然だ。どんどんと仲良くなっていった。
そして姉(自分)を失った過去を話した。とても共感してくれた。
家族にひどい扱いを受けていると言ったら、怒りの感情を持ってくれた。
このときには家族のような関係になっていた。
ある日、勇がトラックでひかれた。その前日に私は昌二たちに勇を外に出さないように警告しておいた。これは本当にただの偶然だった。なんとなく嫌な予感がして言っただけ。飛行機事故で死んだからか、交通事故への危機察知能力が上がったのかもしれない。
まあ理由なんてのはどうでもよい。昌二たちに私を神のような存在だと思い込ませるのに十分だった。少しでも神だと思わせれば、後は彼らが望むことを言ってあげるだけ。それは私には容易いことだった。
平田夫妻は私の思い通りに動く駒になった。ずっと笑顔で私だけを慕ってくれる。
準備は整った。
私は両親が寝ている間に紐でしばった。平田夫妻にも手伝ってもらった。
布団が3枚敷かれている。真ん中は私、というか凜が寝る場所だ。ここ数ヶ月ずっと両親と一緒に居るのが苦痛でしょうがなかった。まあ、大好きな娘の凜が可笑しくなっていくのを見て、苦しむ両親を見るのは少し楽しかったが、それでも苦痛の方が大きかった。
でもそれも今日で終わる。この日のために苦痛に耐えてきた。やっと私は自由になれる。
「ママ。パパ。おはよう」
気弱な少女である凜を演じた。声も小さく、震えさせた。呼び方も凜が呼ぶように。
「なにこれ?」などと言い、両親は起きた。必死に縄をほどこうとしている。
両親は両手を後ろで結ばれ、足は膝を折ったまま縄でぐるぐる巻きにされ、うつ伏せの状態だった。部屋は薄暗い、カーテンの隙間から月光が入ってくるだけ。ずっと目を開けていた理沙はしっかりと全体が見えていた。
「ねえ。ママ。お姉ちゃんはどこに行ったの?」
「りんちゃん。今はそれよりこれ解いてくれない?」
「そうだぞ。りん。これは誰がやったんだ?」
まったく凜がやったとは疑っていなかった。未だに愛情などの良い感情しか凜に向けていない。
私は顎で奥を指すようなポーズをした。
両親は首だけを動かして後ろを見て、何度か瞬きをする。
両親もこの暗さに目が慣れたようだ。
「平田さん。どうして?」
「お前らがやったのか! はやく解け」
困惑する母。怒鳴る父。
私は後ろを向いている父の背中に力一杯包丁を刺した。血が大量に出てきた。
「り、ん? う、なにやってるんだ?」
父は私が持っている血のついた包丁を見てから、視線を私の顔に動かした。
それでも父は凜に負の感情を向けない。
血の臭いが鼻をくすぐる。ただ鉄臭いだけで、緊張感は生まれない。まだ何が起きたか理解できないようなフワフワとした空気感が部屋を覆っている。
理沙は母の方に近づく。母の顔には恐怖が映ったが、その恐怖は凜ではなく、包丁の血に向けられている。
「りんちゃん。どうしたの? 命令されてるんだよね?」
なぜこんなにも親のふりをできるんだ。一人の娘を殺しておいて。記憶から消そうとして。娘は凜ひとりだと思い込もうとして。どうしてそれでまともな親を演じることができる。理解できない。
いや、理由は単純だ。壊れているからだ。
包丁から血が滴る。白いシーツを赤く汚す。
理沙は母から視線をずらす。まるで向けられている愛情から目をそらすように。父は背筋をそり、痛みに耐えようと呻いている。
一歩進むと視界に再び母が現れる。足に母の息が当たる。吐く息は一定ではなく、荒れている。焦っている、恐怖していることが息の強さから伝わっていくる。
それなのに母は未だに凜に対して恐怖を抱いていない。包丁から視線を外し、私を見ている。その目は慈愛に満ちていた。私に向けなくなった目を、今私に向けている。
心臓がドクンと震えた。
理沙はとっさに左胸に右手を置く。自分の感情が分からない。でも理沙は自分の心に目を向けることはしなかった。
理沙は自分の感情を知るために、自分ではなく母の心を深くまで覗こうとした。心の中にはいろいろな色が存在している。明るい色がある。一方で黒などの暗い色もある。母の心の奥には赤黒く染まったものがあった。今はその色が表面に表れないほど奥深くにしまわれていた。封印、なかったものにされていた。それが本来の私、理沙に向けられていたもの。
やっぱり壊れているんだ。
私はこの女を憎み、殺したいと思っているんだと再認識できた。
同じく母の背中にも包丁を刺した。勢いよく出てきた血は顔にかかった。
顔に付着した血を腕で拭き取りながら、女から一歩下がる。
「私は凜じゃなくて理沙だよ」
弱々しい声ではなく、はっきりとした口調でいった。理沙として生きていたときのように。
一瞬で両親の目から光は消え、負の感情が放出された。奥深くに封印されていた暗い感情が溢れて、体の外にまで出てきた。
血の臭いが充満している暗い部屋は、まるで拷問部屋のような息ができないほど圧迫された空間へと成り果てた。目の前の娘が、もう一人の娘だと言っただけでここまで変わるものだろうか。どちらも愛すべき対象ではないのか。それが親というものだろう。
二人は口を動かして何か言っていたが、理沙の脳には届いていなかった。
私の嫌った醜い両親が戻ってきた。壊れた両親が。
元々そこにいた。ただ、人間のうっすい皮で隠れていただけ。それが表面に現れただけ。理沙には初めから見えていたものが他の人にも見える形で現れただけ。
安堵を含んだ深い溜め息を吐く。
視線で合図を送ると、平田夫妻は息苦しさを感じさせない笑顔のまま、両親を仰向けにする。必死に暴れているが手足を固定され、背中から大量の血を流している二人は抵抗できるはずもない。
憎しみ、苦しみ、怒り、不満あらゆる負の感情が詰まっている目を見つめる。理沙として生きていた人生を思い出す。怒鳴られていたことを思い出す。殴られた痛みも思い出す。
これだ。
これが見たかった。
心の中に隠している感情。まともな人間ではないことを証明する感情。醜い感情。壊れた人間の証である感情。
その感情が表面上に出ている。私だけに見えていたものが表面上に姿を現した。
安心できた。この世界の人間はやっぱり壊れているのだと。今、目の前で証明してくれた。
私は自由に生きる。壊れたおもちゃがどうなっても誰も文句を言わない。言わせない。
寝室に置いてある写真が目に入った。リビングに置いてある写真同様、私は映っていない。そこには凜と両親の3人が映っている。
理沙の体は一瞬硬直した。
「壊れたおもちゃを壊しても誰にも文句を言わせない!」
理沙は心の中で思っていたことを叫んでいた。そして、止まった体を再起動させる。
これからが私の人生だ。
心臓にゆっくりと包丁を差し込んでいく。肌を突き破ると血が出てくる。口からも血を吐き出す。その全てが私にかかる。
心地よい。ほどよく温かい血が冷えていた体を温める。
男からは殺気が放たれる。まるで皮が破けて、隠していたものが飛び出してくるように。
包丁を進めていく。何かに当たった感触が手に伝わった。
ドクドクドクと凄い速さで振動している。父だった男も私と同じく心臓が動いているのだと分かった。知識では理解していたが、異常な私と本当に同じなのだと実感した。
壊れている私と同じ。
最後は両手に力をこめて一気に押し込んだ。
大量の血が噴き出してくる。まるで私の門出をお祝いしてくれているようだ。
男は動かなくなった。私に向けられた憎しみの感情もなくなった。心の中には何もなくなっていた。死んだのだと分かった。
女も背中からの出血が多かったせいかすでに動かなくなっていた。だが心臓に一刺しした。けじめみたいなものだ。
近くにある化粧台の鏡に映る自分の顔には平田夫妻のような笑顔が張り付いていた。さらに頬が落ちてしまいそうなほどとろけていた。
今までに感じたことのない幸福感が溢れていることがその姿から分かった。
このときにはほとんどの時間、私が凜の身体を支配していた。
その後、佐藤家を恐怖で支配した。平田家に運んだ両親の死体を見せ、少し傷つけたらすぐに従順になった。正確には佐藤忠文以外の忠文の妻、両親の3人は心が壊れてしまった。3人は無気力になり、生きた屍となった。生命保険に入らせた。
墨田家も同様に恐怖で支配した。そして死体を保管させた。一人暮らしで、家族ともあまり連絡をとらない引きこもりで都合が良かった。
それから1年ほどして和田家が引っ越してきた。和田春樹、美希の目の前で佐藤忠文の両親に自殺をさせた。心が壊れていたため、死んでもいいよと言ったら喜んで死んでくれた。そして生命保険で得たお金は露光家の生活費になった。この頃までは平田家にお金を出していてもらった。両親の通帳からはパスワードが分からず、お金を下ろせなかった。
さらに和田春樹と美希を痛めつけることで支配しようとした。春樹が壊れているか確かめるために何度か美希を監禁した。春樹には身代わりになるなら美希は解放してもよいと伝えた。春樹は身代わりになることも、助けに来ることもなかった。
近所は完全に支配していたため、佐藤家の自殺の調査も口裏を合わせて無事にやり遂げた。
近所を支配して分かったことがある。理沙は壊れていない人間はいないと信じ切っていた。まずそれが正しかったと分かった。そして壊れ具合に違いがあることにも気づいた。
ただの子供が神様のわけがない。最愛の人を助けようとするのは当然のことだ。悪は悪で、許容すべきものでは無い。…………。陰口。生徒を見捨てる先生。イヤホン自転車。…………。これらのことは全て当たり前のことだ。誰もができて当然であり、できていなければ何かが欠落しているのだ。つまり壊れているのだ。
やはりこの世界は壊れていると改めて思った。
小さな少女を神だと信じる平田夫妻。
最愛の妻の心が壊れたのに、これ以上悪くならないようにと言い訳をして何の行動も起こさない佐藤忠文。最愛の妻が苦しんでいるのに、原因は自分ではないと言い訳をして自分が身代わりになろうとしない和田春樹。
自分に危害がないからといって悪を許容する墨田光都。
…………
それでも、ここまではまだぶっ壊れてはいない。ただ壊れているだけ。ほとんどの人間はこの類いに分類される。最愛の人を助けない、陰口を叩いたり、ポイ捨てしたり、……、など原因が他者にある、もしくは他者に直接的に危害を加えていない者たち。しかし皆、悪いことと分かってやっているクズ、当たり前のことを当たり前にできないクズ、つまり壊れていることに変わりはない。
だが、本当にどうしようもないほど壊れている、ぶっ壊れているのは私や私の両親みたいなやつだ。
私の両親は私を守らなかった。それどころか自ら殺した。この原因は外的なものではない。完全に両親自身にある。
私もだ。両親を殺したのは両親に殺された復讐だが、他の人を巻き込んでいる理由は自分自身の中にある。ただの欲求だけで動いているのだから。
そう、ぶっ壊れている者は原因が自分自身にあり、他人に危害を加えるヤツだ。
こういうヤツらはもう手に負えないクズの中のクズだ。
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