7月20日(土) 休日

 翌日の20日(土)の午前中はのんびりとした時間を過ごした。千尋は理沙と露光家で遊ぶと言い、10時頃に家を出て行った。


 12時過ぎになっても千尋が帰ってこなかったので、露光家に向かおうと立ち上がった。昼食をいただくのは迷惑であり、今なら親御さんもいるかもしれないと思った。


 弘志が玄関を出ようとしたときにチャイムが鳴った。弘志はインターホンに出ることなく、そのまま玄関を開けた。


 扉の前には鼓芽が立っていた。飴色のショートパンツに黒のポロシャツ。半ズボンなのに子供っぽくなく着こなしているが、ポロシャツは伸びていてだらしなく、鼓芽らしさが出ている。


「はやくない?」


 約束は昼過ぎだから間違ってはないが、まだ12時になったばかりだ。


「いいだろ」


 鼓芽は自分の家に上がるように軽快に弘志の横を通り中に入ってくる。


 妻もだれか来たことに気づき、玄関に出てくる。


「鼓芽さん。お久しぶりです」


「あ、どうも。ご無沙汰してます」


 頭を下げる。いつも適当な態度だが、こういうところはしっかりしている。


「僕は千尋のむかい行ってくるから」


「はい」


 妻は鼓芽から紙袋を受け取り、リビングに案内しながら返事をした。


 玄関を開けたときから気づいていたが、外は強い日差しが降り注ぎ、熱帯かと思わせるほど暑い。天気予報では8月の中旬まで、この気温以上だといっていた。


 平田家の前を通り、二度右に曲がり、墨田家の前を通れば露光家だ。露光家の正面につくと庭に3人いるのが見えた。白のワンピースを着た千尋と昨日と同じく真っ黒コーデの理沙。そして肩や首回りが全て露わになっているキャミワンピースの下に白のTシャツを着た斉藤知香。露出を抑えているのが斉藤らしい。


「なんで斉藤がここにいるんだ?」


 丸くなって話し合っていた3人の後ろから近づいて声をかけた。斉藤は振り向き、弘志を見てあたふたした。


 斉藤が狼狽してる姿も私服姿も初めて見た。斉藤は出勤の時、夏の暑い今でもきっちりとスーツで、仕事の時も一切着崩したりすることがない。最近は鼓芽に文句を言ったりしているが、少し前までは仕事だけをしていた。


「どうしてここに?」


 斉藤は前髪を整えた。


「娘の迎えに来たんだよ。斉藤はここでなにしてるんだ?」


 視線を千尋の方に向けた。千尋と理沙は小声で何か話している。


 いつもハキハキ話す斉藤が、言いにくそうに口ごもる。


「えっと……はやく着きすぎたのでここらへんを散歩してたんです。そしたら二人に遊びに誘われて……」


「それなら家に来てくれれば良かったのに。もう鼓芽も来てるから」


「え! そうなんですか」


 弘志は頷き、千尋たちの元に行き、しゃがんで視線を合わせる。コンクリートの地面に近づくほど暑く感じる。


「千尋帰るよ。りさちゃん。家にご両親はいるかな?」


「いないでありんす。また今度来てもらってよいでありんすか?」


「分かったよ。じゃあ千尋も挨拶して帰ろうか」


 千尋はいきなり腕を引っ張って、弘志を道路のアスファルトのところまで誘導した。「どうしたの?」と聞く前に止まった。アスファルトの隙間にはしぼんだツユクサがあった。


「あれ? さっきまで咲いてたのに」


「ツユクサは朝しか咲かないんだよ。午後にはこうやってしぼんでしまうんだ」


「そうなの?」


「うん。それと、りさちゃんにしっかり挨拶しようね」


 千尋は頷いて、理沙のところに走って行き、お辞儀して戻ってきた。


 斉藤はさっきの位置から動いてなく、ポカンとしていた。


「斉藤。いくよ」


「あ、はい」


 3人で家まで歩いた。隣を歩く千尋は今日も笑顔で楽しそうだ。


 後ろを歩く斉藤はまだ上の空のようだ。暑さにやられたのか、それとも他に何かあったのか気になった。


「斉藤、何かあったか?」


「いや、特に何もないです」


 初めて会ったときのようなしゃべり方に戻った。なんだか他人行儀だった。


「本当に大丈夫か?」


「大丈夫です」


 真面目な本人が言うなら大丈夫かと思い、弘志は前を向いた。


 家に到着して、リビングに入ると鼓芽と千代子が楽しそうに会話していた。千代子は一定の距離を保った上での接し方だったが、ほとんどの人は気づかないだろう。弘志も好きになってずっと目で追っていたから気づいたことである。


 千尋は恥ずかしいのか千代子の足下に避難した。鼓芽とは小さいときに会っているが、覚えていないかもしれない。


「おかえりなさい」


「こんにちは。柳岡先輩……弘志先輩? えっと、」


「どっちでもいいよ」


 一度、咳払いをして仕切り直す。


「じゃあわかりやすいように弘志先輩と鼓芽さんの後輩の斉藤知香です。よろしくお願いします」


「弘志の妻の柳岡千代子です。こちらこそお願いします」


「千尋です。お願いしますの」


 千代子に頭を優しくノックされ千尋が挨拶する。その後、千代子の耳元で何かを言って、リビングを出て行った。階段を上る音が聞こえたので自分の部屋にいったのだと分かった。


 一通り挨拶が終わり、全員が椅子に座る。弘志の隣には千代子が、正面には鼓芽、妻の正面に斉藤が座った。


「これ新居祝いです。香水のセットで何種類か入っているので良ければ使ってみてください」


「俺からもどうぞ。普通のカトラリーセットですけど」


 鼓芽はネットの新居祝いのランキング上位を買ったと分かるようなものだった。斉藤のはかなり高級そうな入れ物に入った香水だった。真面目な斉藤に香水のイメージはなかったが、女子は全員お洒落に気を遣うのだと改めて思った。


 千代子が椅子から立ち、受け取った。


「ありがとうございます。大切に使わせてもらいますね」


「ありがとう、二人とも」


 それからは最近あった酔っぱらい同士の喧嘩や落とし物が多くて困ってるなどの警察官の仕事について話したり、妻の教師の仕事について話したりした。

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