第3話 それは思いがけず

「おら!」


 闘気をまとった彼女の右拳が氷魔ひょうまの腹部に打ち込まると、そこから大きなひびが広がっていき、手足の末端まで達した瞬間、自壊するように砕け散った。


 顔のない角ばった人型の氷魔であったが、彼女の一撃で魔物としての存在は消え、無害な氷となって路面にかれた。


「先生、終わったぜ」


「うん、ご苦労様」


 振り向いて報告する彼女に答える私。


 雪深い山村に現れた氷魔は、その名のとおり全身が氷でできた魔物である。


 移動のさいに自身の周囲三メートルくらいを凍結させるため、路面や家屋を凍結せて生活に支障をきたすほか、場合によっては人間の命も奪ってしまう。


 悪意はないのだが、人間にとっては害となるため、排除しなければならない。


 依頼内容は一体だったし、これで山間を通る隣町までの道路は安心して通行できるようになった。


「なんか腹減ったな。先生、帰りにラーメンでもおご──」


 こちらへ歩きかけて、彼女は豪快に転倒した。


「いてて、なんだよこれ」


「氷魔の破片が溶けて水に戻ったんだ。大丈夫かい豪美たけみくん」


「ああ、なんとか」


 そう言って慎重に立ち上がる彼女。


 今日は曇り空で気温はマイナスになっているため、路面はもともと凍っていた。


 そこへ大量の水が撒かれたことで特に滑りやすくなったのだ。


 しかも、水たまりができやすいところでの転倒だったため、ジャンパーにデニム姿の彼女はずぶ濡れになった。


「あーあ。服、どうすんだよ。着替えなんて持ってきてねえよ」


「私のがある。車に戻って着替えるといいよ」


「ああ、すまねえ先生──、っくし! さぶ……」


 いかん。


 これでは風邪をひいてしまう。


 着替えといってもその場しのぎの物だし、自動車の暖房を最高にして急いだところで家への到着は一時間ほどかかる。


 ましてや冬道だ。


 もっと時間がかかるかもしれない。


 ……。


 そうだ。


「豪美くん。明日、予定が空いてると言ってたね」


「?」



 ──二時間後。


 私と彼女は浴衣姿になっていた。


 じつは依頼の中心人物である民宿の女将おかみさんから、氷魔を退治したら一泊どうですかと言われていた。


 当初、私はいつ現れるか分かりませんからと断ったのだが、倒したのが予想より早い夕方だったこともあって、ダメもとで電話したところ、聞き入れてくれた。


 ここは温泉を引いているため、身体からだを温めるのは最適だし、夜になって泊まることに問題がなければ泊まった方がいい。


 それだけの時間があれば、彼女の服も洗濯できて乾くだろう。


 しかも女将さんのご厚意で無料だ。


 だが、一度断っているため新たに客が入って二部屋はとれず、私と彼女は同じ部屋で泊まることになった。


 そんなわけでいま、二人だけの部屋で豪勢に振る舞われた海鮮鍋料理をいただいている。


「先生、ビール」


「ああ、ありがとう」


 彼女に酌をしてもらい、大好きなビールを喉に流し込む。


「ほら先生、カニだぜ」


「ああ、すまないね」


 そして彼女がよそってくれたカニをほおばる。


「どうだ先生」


「うん、うまい!」


「そいつは良かったぜ」


 私の言葉ににっこりと微笑む彼女。


 美肌の効果もある温泉につかり、すっかり身体が温まっている。


 そのため、彼女の肌はほんのり上気して艶やかであり、その唇はなまめかしく、やや無防備な胸元は男性の心を刺激する。


 いちおう、間違いが起きぬよう私の下半身だんせいに五重の呪術的封印をしているのだが、仮に私が襲ったところで武神の巫女である彼女にブッ飛ばされるのは目に見えている。


「あ!」


 すると彼女は何かに気づいて声をあげた。


「ど、どうしたんだい?」


 まさか、わずかでもいやらしく考えたことに気づかれてしまったのだろうか。


「先生、これって新婚旅行みたいじゃね?」


「う、うん、そうだね」


 やや軽い感じで答える私。


 健全なお泊りデートをイメージしていたが、彼女はさらに上をいっていた。


「でも、先生とならいいかもな」


「え?」


「ほら先生、コップ、空いてるぜ」


「あ、ああ」


 ……。


 彼女が私のコップにビールを注ぐのをじっと見つめる。


 私は彼女が好きだ。


 彼女を抱きしめ、いずれは結ばれたいと思う。


 仕事のときだけでなく、毎日そばにいてくれたら、それはどんなに幸せなことだろう。


 ……。


 気がつけば、鍋のぐつぐつという音が部屋に響いていた。

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