第6話
「エリオットさん、もうこの店の二階で暮らしたらどうですか。用心棒が常駐でシェフは安心でしょうし、エリオットさんはシェフの料理食べたい放題ですよ」
出会いから日が浅い間、エリオットは三日おき程度の、節度ある頻度で来店していた。それがだんだん間隔が狭まって、今ではだいたい、朝か、昼か、夜には顔を見せている。ほとんど毎日。たまに姿を見ない日があると、従業員のみならず客の間でも「何かあったのか」と話題になるほどの通い詰めぶり。
もちろん、同僚にもその入れ込みは広く知れ渡っているとのことだった。そのせいか、最近は騎士やその連れと思われる貴族令嬢らしきカップルの来店も多い。セシルを見て「あれか!」と小声とは到底思えぬ会話を耳にすることもしばしば。それもひっくるめて、慣れた。
今日も今日とて閉店間際にエリオットが現れたところ、帰ろうとしていたニコラが気安く声をかける。エリオットもその手の冗談には慣れたもので、調理場から顔を出したセシルに、何食わぬ様子で「部屋余ってる?」と声をかけてきた。
「生憎、騎士さまがお使いになるような部屋はありません」
「それは残念」
さして残念がった様子もなく、エリオットは言葉の上でだけそんなことを言う。ニコラはそれをどう受け止めたのか「まあ、いまはそういうことで良いんですかね。ではお先」とにやにや笑いながら出て行った。
他の従業員もすべて帰っており、エリオットは手慣れた様子でドアに鍵をしめると、灯りの灯る調理場へと足を踏み入れる。
「今日の晩ごはんはなんだろう」
「シェパーズパイです。お好きでしたよね」
「君が作るのが一番好きだ」
少しも気取らず、さらりと言う。「君が」「好き」耳が勝手に拾う単語。セシルはすぐに「君が作る料理が好き」と脳内の文章を書き直す。勘違い、してはいけない。
(このひとはどうしてこんなに私の料理に入れ込んでいるんだろう。最初の出会いが空腹のときだったから、「ものすごく美味しい」と、大げさに記憶しちゃったのかな)
エリオットに目の前で料理を美味しそうに食べてもらえると、心がぽかぽかしてくる。
彼は格別表情が豊かなわけではなかったし、語彙を駆使してくるわけでもない。だが、誠実そのものの様子で惜しげもなく「美味しい」と言う。セシルは、エリオットのそういうところがとにかく好きだった。
とはいえ、その「好き」には自分の中で明確な線引きをしている。
良き友人であり、決して男女の恋愛ではないのだ、と。
実際、いまの関係が続いているのは、エリオットがすっかりセシルを誤解しているせいだ。女性が苦手というのは作り話ではなく、セシルも以前目の当たりにしたことがある。
店の女性客が偶然を装ってつまずき、大胆にもエリオットの胸元に飛び込んだときのこと。受け止めて、支える動作まではしたが、エリオットはそこで硬直していた。まさか、と思いながらたまたま客席に出ていたセシルが手を差し伸べ、女性をエリオットから引き剥がした。それから「大丈夫?」と小声で尋ねたときに、エリオットは涙目になっていた。
(泣いていたんだよね、せっかくの男前が儚く感じるくらいに。「体の内側にも蕁麻疹が出て喉の粘膜が膨れ上がって呼吸もできなくなるんだ……」って、言ってたけど。それもう命に関わるでしょう。女性が駄目って本当なんだよな)
この期に及んで、何らかのきっかけでセシルが女性と知ってしまい、まかり間違えて料理も食べられなくなったらどうするのだろう。そう思えばこそ、セシルから真実を言い出すことができない。打ち明ければ、「自分は彼に嘘をついていない」という意味では心が晴れるだろう。しかしこの嘘が消えることで、エリオットは得るものより失うものが多いのだ。
「これはなんだろう。見たことがない」
セシルの手元が見える位置まで近づいてきたエリオットが、作業台に置かれた皿に気づく。そこに、こんもりと盛られた茶褐色の固形物。
「からあげといいます」
「からあげ? 初めて聞いた」
瞳が、きらきらと輝いている。セシルはもったいぶること無く「そこにフォークがあるから、食べてみて。きっと好きだよ」と言った。エリオットはその言葉に従順に、フォークを手にしてひと塊、刺す。口元まで運んで、ぱくりとひとくち。
「……ッ、なんだこれは。未知の味だ。うまい。鶏肉か?」
「そうそう、鶏肉です。冷めていても美味しいでしょう? 交易品の調味料で下味をつけて、粉をまぶして油で揚げているんです。にんにくと生姜も効かせているから、味がしっかり感じられるはず。そのままでも良いんですが、柑橘系の果汁をかけるのもおすすめ。さっぱりとした味わいになって、食べやすくなります。あの……食べて良いですよ? それはすべてエリオットさんの分です」
「ありがたく。君は本当に天才だな。俺が童話の中の悪しき王なら、今頃君を囲って家にでも閉じ込めて、自分のためだけに料理を作らせている。からあげ最高。いったい、どうしてこんな料理を思いつくんだ」
「思いついたわけじゃないんです。お客様に聞いたんですよ。シェフが私に代替わりする前の前くらいに、こういう料理があったって。そのときのシェフ
(いけない、口がすべりかけた)
セシルは不自然に話を切り上げたが、エリオットは特に気にした様子もなく、からあげをいくつも平らげていた。がつがつとしていないのに、品の良さを保ったまま速やかに駆逐していく光景は、壮観ですらあった。
残りが少なくなってくると、さすがに手の動きが鈍る。もったいないらしい。
「きっと気に入ると思っていたけど、良かった。また今度作りますよ」
「俺はこの先の人生で何羽鶏を殺してしまうかわかったものではないな。しかし美味しい」
(変な感動の仕方するんだよね、エリオットさん。黙っていればたいていの女性を骨抜きなり腰砕けにできちゃうだろうに。触れるのはだめで、話すとこれで)
こんなエリオットさんを知っている女性は、世界に自分ひとり。そこに優越感など抱いても浅ましいだけなのに、心の底には喜びがある。自分は彼の前では絶対に「女」にはならないから、この関係だけは壊れないでいてほしい。
セシルのその願いは、脆く崩れ去る。他ならぬ彼自身の言葉によって。
「そうだ。近いうちに、見合いをすることになったんだ。その……断れない筋からの申し入れで、相手の女性と会うだけでも、と」
(藪から棒に何を言い出すのだ、このひとは)
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