第5話

 閉店後、セシルは明かりを落とした店内でテーブルについていた。いつの間にか眠りに落ちていたらしく、ドアのノックを耳にして覚醒した。


(不審人物……)


 だったらどうしよう、と思いながら席を立ってドアへと向かう。誰何をする前に、向こう側から、「エリオットだ」と名乗られた。

 鍵を外してドアを開けると、夜の暗がりに星明かりを背負ったエリオットが立っていて「遅くなって申し訳ない」と深々と頭を下げてくる。動きに沿って肩に流した黒髪がさらりとこぼれた。


「大丈夫、待つと言ったのは私です。約束通りに来てくれたんですから、それで十分ですよ。お腹は空いていますか?」

「とても」


 顔を上げたエリオットは、表情はさして変わらないのに目だけが切実に空腹を訴えていて、セシルは噴き出した。


「入って。ドアには内側から鍵をかけて。酔っ払いが入ってきても面倒です。客席に明かりをつけると外から見えるから、調理場までどうぞ。食べたいものはありますか?」

「君が作る料理ならなんでも。昨日は支払いをさせてもらえなかったが、今日はきちんと請求して欲しい。財布は持っている。君の料理を食べに来たんだ」


 先を行くセシルの背を、エリオットの低い声が追いかける。顔に、血がのぼってくるのを感じて、セシルは振り返ることができない。


(わぁぁぁ、料理を褒められることはあったけど……。エリオットさんの褒め方は、まっすぐすぎる。あんな小さなきっかけで知り合っただけで、こんなにも守ろうとしてくれるし。私が人並みの女の人だったら、好きになっちゃったかも)


 もちろん、セシルは自分が人並みではない自覚はある。身長が高くなり、ドレスがどれもこれも似合わなくなったときから、女性であることを諦めた。社交界では可愛い女性が好まれていて、身の置所がなかったせいだ。

 そうこうしているうちに、シャーリーに末娘の立ち位置を取って代わられ、実家での居場所も無くした。無くしたと言っても、それはセシルの被害妄想でしかなく、戻ろうと思えば戻れたのも知っている。実際に、何度となく父や兄から声をかけられていたのだ。嫁いだシャーリーからも。それでも、戻らなかった。選んだのはセシル自身。

 そして現在、この国の女性としては完全に行き遅れの三十歳手前。料理の腕は上がったが、それは貴族の娘に必要とされる技能とはほど遠い。もう本当に、家族は自分の存在を闇に葬り、二度と思い出さないで欲しいと切に願っているくらいだ。

 女性としての引け目が影を落としたきらいはあるが、恋愛にも興味がないまま生きてきた。過去、良い出会いがあればとほのかに憧れもしたものの、それなりに自由な環境にもかかわらず、仕事に明け暮れているうちにそんな気もなくなったのだ。

 だから、昨日知り合ったばかりのエリオットに、恋心など抱かない。そう信じていたのに。


 調理場の一部にだけ明かりを灯し、あらかじめ運び込んであった椅子をすすめる。行儀よく待つエリオットに、セシルは手際よく料理を作って運んだ。


「スープはマリガタニーです。香辛料多めの野菜のスープ。野菜の切れ端全部使って、カリカリに焼いたベーコンと固茹で卵を刻んだのをのせてます。あの……。普段余り野菜を使った料理なんて召し上がらないかもしれないんですけど」


 見たこともない料理かもしれないと説明をしたものの、食欲を無くさないだろうか、と気にしてセシルの声は段々と小さくなる。

 エリオットは気にした様子もなく、スパイシーな香りのする湯気を楽しそうな表情で吸い込み「匂いだけで好きなのがわかる」と破顔した。間近で見て、息が止まりかけた。


(うわ……、いまの表情。私がひとりで見て良かった? 見たい人いるよね?)


 エリオットは、騎士の中でもエリートの黒騎士にして、この容姿。そしてこの人柄。絶対に、ファンは多いはず。そこで、セシルはすうっと腹の底が冷えるのを感じた。

 彼はセシルとほとんど変わらぬ年齢に見える。であればすでに結婚していると考えるのが妥当だ。セシルを守るというその好意に甘えて、こんな夜に二人きりで会うのはまずいのでは? と思い至った。


「すごく美味しい。今まで食べたことのない変わった味だけど、いくらでも食べられそうだ。これ、メニューにはのせてる? 正規の時間帯に食べられる料理?」

「はい。スープは日替わりですけど、マリガタニーを出している日もありますよ。事前に言ってくれれば用意もできますし」


 興味津々とばかりに尋ねられ、セシルも料理人として嬉しくなり、考える前にすらっと答えてしまう。それからほんのり、自己嫌悪。


(だめだ、料理の話になると私は図に乗ってしまう。だけど、この店に通うように誘導しちゃいけない。エリオットさんは気づいていないけど、私は女性だし、奥様がいらしたらこれはまかり間違えると不倫の一形態……)


 あの、エリオットさん。思い余って、セシルはそう声をかけようとした。そのとき、エリオットの方が先に口を開いた。


「用心棒を置かなくなったのは、何故?」

「それは、あまり商会に頼りたくなくて……。お願い事をすると、他にも口出しをされるので」


 セシルが濁しながら言うと、エリオットは深く追求こそしなかったが、切々と訴えかけてきた。


「俺は君の料理が好きだ。この店に出会えて良かった。あとは君の無事を願うばかりだよ。誰にも傷つけさせたくない。俺のこの気持ちは君には重いだろうし、他の不審者とどう違うんだって思っているかもしれないが、守らせて欲しいんだ。他意は無い、本当だ」


 ほとんど、熱烈な口説き文句。セシルは曖昧に笑ってごまかすこともできず、エリオットを見つめた。


「気持ちは本当にありがたいんですけど……。エリオットさんはご家庭があるのではないでしょうか。この店に足繁く通うのはあまり外聞も良くないのでは。その、あなたのような立場の方が使うような、高級店でもないですし」


「家庭はない。俺は女性がどうも苦手で、縁談を避けているうちにずるずると……。あっ、そうは言っても、男性を好むという意味ではないので、安心して欲しい。君の護衛を買って出ているのは、純粋に料理に惚れたからであって、断じて下心ではない。それでも、もし二人きりの状況に身の危険を感じるなら、いっそこの手を縛ってくれても」


「手を縛ったら、料理は食べられないですよ。それとも私に食べさせて欲しいんですか?」


 セシルが冗談めかして言うと、エリオットは「む」と言って困り顔になった。精悍な美貌が台無しで、セシルは明るく声を立てて笑った。


(そっか。結婚してないのか。それならひとまず密会は不義にあたらず……。だけど、女性が苦手ってどういうことだろう。私は苦手にされている気がしないけど、それは男性だと思いこんでいるから? もし女性だと知られたら……)


 こうして一緒に楽しく食事をすることは、できないに違いない。

 ふと、「この関係において性別はさして意味を持たないのだし、敢えて言う必要もないだろう」という考えがもたげる。一方で、セシルはそれではだめなのだと知っていた。それはかつて、シャーリーが伯爵家の末娘に成り代わったときと同じ考え方だ。相手の勘違いを敢えて正さず、嘘は言っていないと逃げ道を作る。

 言わないわけにはいかない――。

 そう決意して、セシルはエリオットにさりげなく切り出す。


「エリオットさんでしたら、すごく女性にモテそうだと思うんですが。苦手というのはどういうことですか」

「近寄られると蕁麻疹が出る。接触すると失神する。原因はわからない。子どもの頃女性にひどい目に合わされたのでは? と言われたこともあるが、記憶にある限りそんな思い出はない。ただもう、生理的にだめなんだ。……とんでもない弱点なので、もちろん極力知られないようには気をつけている。すまない、どうしていま俺は素直に答えてしまったのかわからないが、内密に」


(な、何を言っているんだエリオットさん。どういう意味だ?)


 そんなことあるんだろうか、と不思議に思いながら、セシルはエリオットの前に手を差し出した。きょとん、とエリオットはその手を見て、セシルを見る。


「これは?」

「触れるかなって思いまして。私が女性だったら、蕁麻疹が出て失神するんですよね?」


 セシルが言い終えるのとほぼ同時に、エリオットはその手に手を重ねた。固く、乾いた、指の長い、大きな手。


「不思議なことを言う。触れるに決まっているだろう。君は手まで綺麗だな」

「……………………ッ!!」


 ばくばくと、いまだかつてないくらい心臓が鳴った。顔が真っ赤になるのが自分でもわかる。

死ぬ。


「セシル? どうした、君こそ色恋沙汰には慣れていそうなものなのに、触れただけでそんな反応をされると俺も困るよ。男に惑わされたことなど無いのに、どうしたものかな。あまり可愛い顔をしないでくれ。君を、ずっと見ていたくなる」


 これは、悪い男だ。

 絶対に、絶対に。


「料理……、あの、しゃべってないで早く食べたらどうです? 私も次の料理作りますので。忙しいので!」


 自分が何を言っているのかわからないまま、セシルはばっと手を引いて、弾かれるようにその場から離れた。


(なんだあのひと……! 女性が苦手なんて絶対に嘘だ。触らせなければ良かった。手を洗わないと仕事にならないのに! 手を、洗わないと……)


 エリオットの死角になる位置まで逃げ込み、触られた手を胸の位置まで上げて、もう一方の手で包み込む。セシルはそこで目を瞑り、かすれ声で呟いた。


「うそ……、なにこれ」


 死ぬかと思った。

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