第3話

「うちの店は、料理を適正価格で提供しています。従業員がお客様に対して色目を使う、つまり情に訴えかけて再来店を促し、お金を落とさせようともしていない。店外での付き合いまでは関知していませんが、私自身に関して言えば、誓ってそういった付き合いはありません。普段はこの店の二階で生活していますが、そこに誰かを引き込んだこともないです」


 昼下がり、客がすべて退店し、夜に向けて一度戸締まりをした店内にて。

 黒髪に黒衣の騎士を前に、セシルは淡々と現状を説明した。


 すでに暴漢は巡回中の警邏に引き渡されている。目撃証言がいずれも「シェフが絡まれた」であったため、どちらに非があるかは疑う余地もないといった展開であった。

 黒髪の騎士はといえば、その場に残った。

 本人によると非番でたまたま通りかかっただけとのこと。「こういうことはいつもあるのか?」と聞かれ、「ごくまれによくあります」とセシルが答えたところ、考え込んでしまったのだ。まだ何か言いたいようだ、と気付いたセシルが「非番なのでしたら、お礼にお茶でも」と店内に招き入れると素直についてきた。

 隅の席で茶を飲んでいたが、こうしてセシルの仕事が落ち着いたところで、ようやく会話をする余裕ができた。


「ところで、私は今から食事なんですが、騎士さんは? もしよければ二人分ありますよ」


 出会った時間帯的に、昼食はまだなのではないかと、気にしていたのだ。騎士の手元のカップはすでに空。少し待たせてしまった。騎士はがらんとした店内を見回してから、セシルを見上げてきた。


「他の従業員は、みんな出ているようだが」

「だいたい近所に住んでいるから、休憩時間は自宅に帰って昼寝しているんです。今はここにあなたと私しかいません」

「大勢の目があるときならまだしも、こういった時間帯に襲撃を受けたらまずいのでは? それでなくても、君はこの建物で一人暮らしをしていると」

「そうですね……。経営の大元は貴族の商会で、以前は用心棒を置いてもらっていたんですけど最近は断っていたんです。やっぱり必要かな……。それで、食事は?」

「用意があるのであれば是非。『銀の鈴亭』は料理が美味だと、私のような噂に疎い男の耳にもその評判が」


 言いかけて、言い過ぎたとでも言わんばかりに騎士は唐突に口をつぐんだ。セシルは目を何度か瞬いてから、ふっと唇に笑みを浮かべる。


(もしかして……、もとから店に食事目的で来ようとしていたのかな?)


「用意しているのはまかない料理なんですけど、好き嫌いはありますか? 今日のメニューは鶏肉のソテーにオレンジのソース。スープはクラムチャウダーで、牛尾とトマトで煮込んだパッパルデッレです」

「聞いただけで美味そうだ」

「すぐにご用意します」


 騎士が乗り気になったのを見て、セシルはいそいそと調理場へと足を向ける。途中でふと気づいて振り返り、騎士を見た。


「私はセシルです。一緒に食事するにあたり、お名前を聞いても良いですか」

「……エリオットだ。騎士隊に所属している」


 騎士エリオットは、一瞬、間を置いて答えた。それで、全部を正直に答えたわけではなさそうだ、とセシルは敏感に察したが、構わない。どうせ今この場で一度食事をするだけだ。


 通りに面した窓から午後の日差しが差し込んで、エリオットの座る席を照らしている。そこに、セシルは二人分の料理を運んだ。

 湯気のたつ皿をテーブルに置き、向かい合って座ったところ、エリオットがわずかに身を乗り出した。端正でいてどことなく影のある印象だった黒瞳に、少年のような輝きが宿っている。

 体格に恵まれた長身に、落ち着いた話しぶりの低い声とあって、セシルは彼が自分より年上のように感じていた。だがこのとき、意外に若いのかもしれないと、ふと思った。


「とても……、とても美味しそうだ」

「どうぞ召し上がれ。熱いですよ」


 お腹空いていたんだろうな、とセシルは笑顔で答える。エリオットは品の良い仕草でスプーンを手にして、クラムチャウダーを一口。ぴくっと頬を痙攣させて、何口か食べてから、セシルを見た。


「味が良い。濃いのにくどくなくて、海の匂いがする。ベーコンの塩味もきいてるし、根菜類もごろごろ入っていて食べでがある。手が止まらなくなった。他の料理も食べたいのに」

「あはは、料理は逃げません。そんなにお気に召したなら私の分もどうぞ」

「その申し出はありがたいし、本気で食べたいが、そういうわけにはいかない。君はこの後も夜の営業があるだろうから、お腹をすかせたままでは」

「うん、でも美味しそうに食べてくれるひとに食べて欲しい。私はありあわせでまた何か作れば良いから。パンにガーリックバターを塗って、ハムとチーズとトマト挟んで食べるだけでも十分」

「簡単に言うがなんだそれは。頭が痛くなるほどうまそうだ」

「それ、どういう表現? なんで頭痛くなっちゃうの? 作りましょうか?」


 想像だけで食べたくなってしまったらしく、切ない顔をしたエリオットが面白すぎて。

 セシルが噴き出しながら言うと、エリオットは「もちろんすべて支払いはするので」と答えた。食べたい、という意味だろう。大変に素直だ。セシルはすぐさま席を立つ。


「作ってくるから、そこにあるの全部食べていていいですよ。本当に、遠慮しないでくださいね。冷める前に食べてもらった方が嬉しい。それと、デザートはどうします? 甘いものはお好きですか?」

「好きだがそこまでしてもらっていいものか。食べたいのだが」


 ぶふ、とセシルはまたもや噴き出してしまう。笑いはなかなか収まらず、腹を抱えてひとしきり笑ってから言った。


「初めてお見かけしたとき、とっつきづらそうに見えたんですけど、素直な方ですね。大丈夫、ここはレストランですよ。お腹いっぱいになって帰ってください」

「ありがとう。時間外に働かせて申し訳ない。本当は君を休ませるべきなのに」

「良いです良いです。暴漢に殴られていたら夜の営業どころじゃなかったんだから、助かりました。これはすべて私からのお礼なので、何も気にせず食事を楽しんでください」


 セシルが言うと、ナイフとフォークを手にしていたエリオットはセシルをじっと見つめ、目元をほころばせた。


「もう十分楽しませてもらってる。ありがとう。今日ここに来て良かった」


 滲むような淡い笑みとあいまって、表情がひどく柔らかいものになる。セシルはその瞬間、美貌の黒騎士に目を奪われ、見惚れてしまった。



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