第4話

 晴天の下、高くそびえる木立の間に建っていたのは、赤煉瓦造りに、スレート葺き屋根の異国風建築。一階から二階まで突き抜ける張り出した出窓が左右にあり、玄関のドアはアーチ型で真鍮の取手がついている。

 重厚な見た目のドアが開いて、女性が飛び出してきた。

 藍色の小袖に羽織り、風呂敷包みを手にした白髪の女性で、御用聞きの男性に挨拶をしてから春風に目を向ける。笑い皺の刻まれた頬に笑みをにじませて「待っていたわよ」と声をかけてきた。

 春風は着物の裾をさばきながら荷台から下り、身の回り品を詰め込んだバッグを両手で握りしめて深々と挨拶をした。


「私はスミというの。澄さんで良いと言いたいところだけど、あなたと顔を合わせる機会はあまり無さそうね。夫が風邪をこじらせて麓の街で医者にかかっているから、私もこれから向かうところ。お屋敷でのお仕事と、旦那様のお世話に関しては、すべて書き残してあります。春風さん、文字は」

「読めます。炊事も洗濯も掃除も、一通り」

「素晴らしい。今晩のお夕飯の仕込みは済んでいるから、火を入れて召し上がって、今日はゆっくり休んで」

「旦那様はどちらに?」

「お部屋にこもって書物かきものをしている。大体、いつもそう。お腹が空けば台所に来るし、お風呂は自分で温泉に入るし、部屋の掃除は嫌がる。進んでお世話するようなことはないのよね」

「ご挨拶は……」


 にこにこと感じ良く説明されたものの、春風としては当然、雇い主には会っておきたい。しかし澄は「いいのよ」と即座に言った。


「書物を中断されるのがとにかくだめな方だから、挨拶は気にしなくて大丈夫。他の使用人も、追々顔を合わせるはず。みんな春風さんが来ることは知っているから、会ったときに挨拶をすればいいだけよ。変なはいないから安心して。仕事はこの広さのお屋敷だから、掃除をはじめたくさんあるわ。してもしなくても、旦那様は気づかないけど」

「します! そのために参りました」

「頼もしい。坊っちゃんのこと、お願いね。今から早速お屋敷を案内しようと思っていたのだけれど……」


 澄が、御用聞きの男性の方をちらりと気にする。ここまでの道のりがとても長いものであったのは春風にもよくわかっていたので、自分から「大丈夫です!」と明るく言った。


「書き置きをよく読んで、自分でひとつひとつ確認します。わからないことは、旦那様にお会いしたときに聞くようにします」

「本当にしっかりしているのね。良い人が来てくれたわ。あなた、とても良い目をしている。絶対にうまくやっていける。これで私も安心してここを出ていけます」


 口頭でその他いくつか言い置いてから、じゃあね、と軽やかに言って澄は山を下りて行ってしまった。

 見えなくなるまで見送ってから、一人になった春風は、屋敷へと向かう。重いドアを開いて、中へと足を踏み入れた。


「お邪魔します」


 がらんとした玄関ホールに、声がか細く響く。

 磨き抜かれた板張りの床、彫刻の巡らされた木製の階段。高い天井からはシャンデリアが吊られており、煌々と光を放っていた。


(ローソクの火が灯っている。あのシャンデリアを床に下ろして全部に火を付けるのはかなり大変そうだから、それだけのことができる人手があるということ……よね)


 春風は澄に教えられた通り、脇の廊下を進んだ。


(旦那様のお部屋は二階。わたしの女中部屋は一階、台所の近く。そして……温泉はお屋敷の裏手に)


 通り過ぎるドアの数を数えて、たどり着いた部屋のドアを開ける。春風はそこでハッと目を瞠った。


 窓からの弱い光に照らし出され浮かび上がったのは、花柄の壁紙、厚手のカーテン。寝台は天蓋付きであり、タイルや彫刻で装飾された立派な暖炉や洒落た箪笥や布張りのソファまで。

 部屋が間違いではないかと、ドアから飛び出して廊下を行ったり来たりした。それからようやく、そこが自分のための部屋だと確信した。

 これまでの暮らしでは望むべくもなかった美しい部屋。

 壁際に置かれた吊り箪笥を開けてみると、異国風のお仕着せと、フリルの白いエプロンが吊るされていた。


 * * *


 

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