第2話

 ――三食まかない付き。給金とはべつに、お仕着せ等必要なものは支給あり。なんといっても一番の目玉は「温泉入り放題」これよ。


 ――やります! やらせてください!!


 卒業間際の女学校で、春風に紹介されたその仕事。

 勤務地は人里離れた山奥、雇い主が没落気味の名家の子息で、職業は売れない作家であると言われても。

 衣食住完備でいま住んでいる街から離れられる、それだけで春風には十分すぎるほど魅力的な条件であった。


(いつまでも伯父様の家にはいられない。下働きを続けたあげく、どこかのめかけにとていよく追い払われてしまう前に、自分の足で出ていく)


 両親を早くに亡くした春風は、伯父の家で暮らしていた。そこでは「置いてやっているだけありがたいと思え」と頭ごなしに言われ、家族ではなく下働きとして扱われてきた。

 同じ年の従姉妹で、一緒の家で育った留奈ルナには、家でも学校でもずっと目の敵にされており、逃げ場はなかった。


 たとえば学校で。

 あるときは、くすくすと笑い、目配せしながら同級生への聞こえよがしな悪口で盛り上がる留奈とその友人たち。

 居合わせた春風は思わず言ってしまう。「留奈、それはいじめよ。だめよ」

 留奈やその取り巻きの「楽しい遊び」に水を差し、場を白けさせる。そのときの、留奈の激烈に苛ついた眼差し。


 家に帰れば「春風がいじめるの。私が、友達の前で恥をかかされたわ」と伯父や伯母にあることないこと涙ながらに言いつけるのだ。

 真に受けた二人から、春風は「どうしてお前はそう、留奈の気持ちも考えずに嫌がることばかりするのだ」と反論すら許されず罵倒され、食事を抜かれたり、折檻すら受けていた。


「学校に行かせてやってるのに、この恩知らずが」「生意気な口をきくな」「黙って受け入れろ」「なぜなんて聞くな」「反抗的な目をしている」「少しくらい見目が良いからとつけあがって、浅ましい女」「身の程を知れ」


 いつも布団に入って、その日一日の会話を思い出す。腫れた頰や打ち付けられた手足より、胸がじくじくと痛んだ。


(せめて学校では、留奈に追従して、一緒に誰かの悪口で笑えばいいの……? そんなことできない)


 やがて、卒業が間近となった頃。

 同級生たちの多くは在学中に見合いをし、婚約を決め、卒業と同時に結婚する運びになっていた。

 留奈もまた例にもれず、大きな呉服屋の次男との結婚話が進んでいた。縁談としては非常に恵まれた内容で、同級生たちからの羨望の的、留奈も鼻高々でいまや飛ぶ鳥を落とす勢い。

 家に帰ればいつも通りに丈の合わないお下がりを着て、下働きをしている春風のもとにきて言うのだ。


「春風はずっとうちにいなさいよ。そうやって俯いて、汚い服を着て雑巾がけをしているのがお似合いよ」


 嘲笑う留奈を前に何も言い返せないでいたときに、女学校の教師より紹介されたのがくだんの仕事。

 春風は即断即決をして、家を飛び出した。


 * * *


 

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