【コミカライズ】龍神秘湯物語~美味しいごはんと猫と温泉があれば~

有沢真尋

第1話

 星月夜。

 繁茂する木立に囲まれた岩場に、いくつもの篝火。

 視界を埋めるほどに立ち上る湯気。


「こ、これが温泉!!」


 水汲みなし、火加減を見る必要なし。

 いつでも入りたいときに入りたいだけ、お湯に浸かれる。

 乳白色のお湯にそーっと片足ずつ入れると、じんわりとしたぬくもりに包まれる。熱すぎず、とろりと肌にまとわりいてきて気持ちが良い。

 すっかり肩まで浸かり、ひびわれた指先で湯をすくいながら空を見上げ、春風ハルカゼは満ち足りた吐息をもらした。


「極楽はここにありましたか……」


 ふと視線を巡らすと、平たい岩の上に小盆があるのが目に入った。

 ウグイスと梅の枝の描かれた角型の徳利に猪口。

 いつ誰がなんのために置いたのだろう。不思議に思って泳ぐように近づく。中身は入っているのだろうか、という単純な疑問から徳利を手にして猪口に注いでみると、煌めく清水が流れ落ちた。


(飲めそう?)


 後にも先にも何故そこでそんな判断になったのか。

 思えば、見知らぬ土地と人生初めての温泉で浮かれていた。

 注いでしまったものを捨てるには忍びないと、両手で猪口を捧げ持ち、唇を寄せる。

 一口飲んだ瞬間、心地よい冷たさと仄かな甘味が口の中に広がり、喉を潤しながら雫が滑り落ちていった。


「美味しい」


 それは一生の不覚。

 春風の意識はそこで一度途絶える。

 夢うつつで耳にしたのは、知らない男性の声。


「またたび酒ここに置いたの誰だよ!? 見たことない女の子がひっかかってるんだけど、この娘さん、こう見えて猫なの!?」

「お館さま。その子、お屋敷の新しい女中さんですよ。お館さまが全部生返事なさっている間に手続き終わってます。今日からスミさんの代わりに住み込みです」


 やや呆れた調子で答えているのは、子供のような高い声。


(私の話……? 「お館さま」は、宇田川ウダガワの旦那様……? ご挨拶しなきゃ)


 目を開けようとしているのに、瞼が持ち上がらない。手足もぴくりとも動かせない。

 意識が完全に、暗闇に落ちた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る