第4話 可愛い

 「私の弟になって」

 俺のネクタイを掴み、拳一個分くらいの距離で真矢先輩は言う。

「あーの、近いですよ」

「そうかな」

 真矢はさらに顔を近付ける。

 少し動けば唇に当たってしまう。これはピンチだ、今逃げることはできない、それにこの状況はなんだ!?

 よく、ラノベではムフフな展開なのかこれは。

 いや、絶対に違う。これはムフフな展開ではない、犯罪になる展開だ。

 俺はどこにも触れないように壁に手を当てる。

 その時、ドアが開く。

「え?」

 俺の顔を見つめ数秒固まる女子生徒。

 入ってきた女子生徒は叫びながら生徒会室を出て行く。

 真矢先輩はそんなことお構いなしに、俺の耳元に顔を近付ける。

「ご・め・ん」

 耳元で優しく囁く。

 うん、許そう、許そう――ってなる訳ないだろ。

 絶対に変な噂流れるし、俺の立場を失ったぞ今。たった今失ったんだぞ。

 真矢は椅子に向かって歩き始める。トコトコと歩きながら。

 あら、歩くのは可愛いですね! ってそんなこと考えてる暇はないんだよ。

 なんだよ、弟にならないかって。

 そんなの普通に――オッケーするに決まってるだろ。

 逆に俺で良いのか? ムフフを超えたムヘへだろこれ。

「さっきはすまない」

 椅子に座り、頭を下げる真矢先輩。

 「その、なんでこんなことしたんですか?」

 真矢先輩は視線を下に向ける、唇を尖らし拗ねた子どもみたいな表情をする。

「なんとなく」

 可愛い。

 真矢の言葉は耳を通さなくて、通すのはただ可愛い表情をしている顔だった。

 いけない、危なかった。

 首を振り、我に返る。

「なんとなくで、こんなことしたら駄目だと思いますよ!?」

「ごめん」

 何故か立場が逆転していた。

 それより、あの体育館で見た真矢先輩は何だったんだよ。これが本当の顔なのか? それとも体育館で挨拶をしてるのが本当の顔なのか?

 分からない、分からないけど、これだけは分かる。

 可愛い。

「その、時間なので戻ります!」

 俺は元気よく言い、生徒会室を出ようとする。これ以上ここに居たら、魔法にかかってしまう。

「明日も来てね」

 体を揺らしながら手を振る。

「明日?」

 あ、明日? 明日も来ないといけないのか?

「うん、続きしよ」

「失礼しました!!」

 俺は急いでドアを閉める。

 よし、何も聞かなかった。いいな何も聞いていない。俺はただ生徒会室で指導された。それだけ、それだけだ。

 斗真は頭を押さえながら廊下を歩き教室に戻った。




「ねぇ、さっきからニヤニヤしてない?」

 沙也加は俺の顔を見つめながら言う。

 お昼休み。俺は沙也加と水樹に捕まっていた。

 何で捕まっているかって? それは、もちろん分からない。

「別に、二人が可愛くてニヤニヤしてる」

「変態だ――」

 まるで小学生の煽りのような煽りをする水樹。

 そして、水樹はカロリーカットのパンを開け、食べ始める。

「それで、俺に何の用なんだ?」

 水樹と沙也加二人は顔を合わせ一緒に言う。

「生徒会長の真矢先輩どうだった?」

 意図の読めない質問に驚く。なんでこの二人が真矢先輩のことが気になっているんだ?

「別になんも――なかった」

 まぁ、何もなかった。本当に何もなかった。多分。

「嘘つき!」

 水樹は叫びなが机を叩く。

 あら、怖い。

「斗真さっきから鼻のしたがキリンになっているよ」

 沙也加は炭水化物がとんでもなく入っている弁当を食べながら、言う。

 「それは、ツッコムべきか?」

 鼻のしたがキリンって、まるで明日生徒会室に行くのが楽しみ、みたいじゃないか。

 やめてくれよ。

 絶対に行かないから、本当に、うそ、多分行かないから。

 水樹はパンを机に置き、真剣な表情を浮かべる。

 今から何を言うんだ。俺は唾をゴクリと呑む。

「斗真」

「はい」

「今日の放課後予定ある?」

「ないけど」

 水樹は何度も視線を下に向け、可愛い仕草を繰り返す。

 なんだこの可愛いさは。まるで天使だ。

「そしたら今日遊びに行かない」

 まさか、デートするのか。

 ツクモ高校に入学してから二日でデートとかありえるのか? 普通は絶対にない。

 今日まで町のゴミ拾いしていてよかった。

 ちなみに斗真は一度もボランティア活動をしたことはない。

「うん、でもどこに行くの?」

 気になって尋ねてみると水樹はさらに恥ずかしそうにする。

 どこに行くんだ。

 楽しみで緊張している心臓は一向に落ち着かない。それに今日の水樹はいつもと違って可愛い。

「それはね、こんにゃく食べ放題」

 そこに行くのか、そこに、え? 今何って言った? こんにゃく? 食べ放題? へ?

「斗真しか誘えなかった」

 なるほど、そうか。

 斗真は背もたれに背中を預ける。

 そして、視線を天井に向ける。

 なんだよ、こんにゃく食べ放題って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る