第29話 不退転の決意
ミノルが使う風の魔術は、まるで荒れ狂う血の暴風だった。閉鎖空間である中央聖堂の大空間は、ヴァンパイアたちの血と肉の混ざった血風で、瞬く間に嵐の真っ只中に陥れられた。
ヴァンパイアたちは、なんの防御措置も取ることができなかった。ある者は斬り刻まれ、ある者は無理やり引き千切られるかのようにバラバラになっていく。
ったく、前触れもなく戦闘に突入しないでよ!
と、あたしはミノルの腕に抱きつきながら、暴風音に負けない声で、尖った耳に向かって叫び倒す。
「ねえ! 市村さんの場所はわかってるの!?」
「うるさっ! エルフの耳はデリケートなんだから、もうちょっと優しく扱ってくれる?
地上も地下も、大聖堂内にはまんべんなくヴァンパイアが配置されてる。結界を張られても、的を絞らせないようにしているね。だけど、一人だけ妙な気配を持つヴァンパイアがいる。きっとそれだと思うよ」
でけー声で言わねえと聞こえねーだろがい!
と、口に出して毒づく暇もなく、ミノルの風で無力にも運ばれてしまうあたしとメガネさん。
カーブでも全く減速している様子が見られない。建物内で出すなんてあり得ないくらいの速度で大聖堂内をすっ飛んで、来た道を戻っていく。
どうやら、行き先はさっきの地下水路のようだ。
これはさすがに追いつかれないだろうと思っていたのだが、あたしの目の前にある血溜まりから、銀髪とシスターの「始まり」二人組がニョキっと
きっと、このアジトのありとあらゆる場所に自分たちの血液を付着させておいて、自由に移動できるようにしているのだ。
しかしそれも、ミノルの魔術の前では無力だった。
弾丸のように鋭く飛んでいく風の群れが、二人のヴァンパイアを斬り刻む。
それは、銀髪とシスターの体を、一瞬にして五つか六つに分断した。
どう見てもただの風ではない。奴らとて、自分の魔力で防御しているはずなのだ。なのに、まるであたしの魔蝕剣で斬ったかのような、防御魔術など無かったかの如き鋭い切れ味。
「かまいたち」という妖怪の存在がこの国では語られているが、目の前にかまいたちがいたとしたなら、まさにこんな感じに見えただろう。
暗い地下水路の先に、とうとう市村さんの姿が映った。
ミノルは、地下水路全体を、結界を使ってレーダーのように探知しているのだろう。なにせこいつは、東京都全域を覆うレベルで結界領域を展開できるのだ。
まあ、あたしはまだ認めてはいないが。
市村さんは、水路を使って逃げられるように、どこかの部屋の中などには入らず、通路に出ていたのかもしれない。
「逃げて!」
血溜まりを使って空間移動してきたシスターは、必死の形相で市村さんへと叫ぶ。
市村さんの中に、シスターの核が隠されているのはほぼ間違いないだろう。
二人を射程に入れたミノルは、凶悪な風を巻き起こす。
だが、あたしは、ギリギリのところで重要なことを思い出した。
親ヴァンパイアが死ねば、子ヴァンパイアも死ぬ。
「ミノル待って! あの女を殺せば、市村さんも、」
あたしは、メガネさんに目配せする。
市村さんの命がかかっているからだ。
他の子ヴァンパイアたちも無実であり、別に市村さんだけが「救われるべき存在」というわけではない。
「親」に操られているのだから、たとえ「子」が生きてる人間に襲いかかったとしても、本人の意思ではないのだから仕方がない。だが、この場合、あたしたちが撃退することもまた仕方がないことだと言える。
だけど、市村さんは、襲いかかってくることなく、あたしたちを逃がそうとした。
それが強靭な精神力によるものなのか、それとも、あのミキとかいうシスターのお気に入りだからなのかはわからない。だけど、確かに市村さんには、他の子ヴァンパイアたちとは一線を画す何かがあった。
あたしは、どうにかして討伐以外に何か良い方法がないのかを探したかった。
あたしの考えていることに察しがついたらしい。
メガネさんは、沈んだ声で答えた。
「月島。お前には一度言ったな。俺たちは、異世界人に関わってしまったことで、何人もの仲間を失ってきたんだ。
だから、普段からこういう時のことを話してきた。もちろん飲みの席での話だが、だからと言って冗談ではない。
もし、互いが異世界人の人質となったらどうするか。俺たちの答えは同じだった。『こちらの命を気にすることなく、被疑者を討伐して欲しい。それが次の犠牲者を減らす』。だからこの場での答えは決まっている」
メガネさんは迷いなく言ったが、自分や自分の身内が人質となった状況で、そんな決断をする人間の気持ちは正直わからない。
綺麗事ではないのか。
仲間を見捨てて被疑者を討伐する? そんなことをしていたら、異世界人犯罪者が蔓延るこの世界で、いったい何人の仲間を犠牲にしなければならないのか。
本当にそれが正しいか?
市村さんが死ななければならない理由はない。
彼もまた一人の人間。ただの犠牲者なんだ。
それでも、迷うあたしの目をまっすぐに見返す青木さんの視線には、確固たる意志が感じられた。
きっと、市村さんが行方不明になってからもずっと、この時のことを考えてきたのだろう。
あたしがどう考えようが、これは彼らが出した結論だ。
「今まで、何人の人間が奴らのせいでヴァンパイアにされてきたかわからない。月島、この状況で凶悪犯を逃すことなどあり得ない」
ヴァンパイアに噛まれた人間は、人格と感情を上書きされるという。
あの市村さんは、もはや生前の市村さんではない。ヴァンパイアに噛まれて、吸血魔術によってアンデッドにされてしまった「ヴァンパイア」だ。
でも……ならばどうして市村さんは、あたしたちを逃がそうとしたのだろうか。
もし、「記憶」は吸血魔術の影響を受けないのだとしたら、もしかすると、市村さんの記憶がそうさせたのだろうか。
こんなふうに考えてしまうあたしに、覚悟が足りないだけなのだろうか。
また迷う。
しかも、こんな肝心な時にだ。
自分で自分が嫌になる。
市村さんと赤髪シスターの目の前で、浮力を落としてゆっくりと下りる。
ミノルは、攻撃するよりも前に、あたしに尋ねた。
「伊織。どうしたの」
「…………」
「エルフ。あのヴァンパイアを……市村を殺してやってくれ。頼む」
青木さんの願いを聞き入れるつもりなのか、ミノルは無言で人差し指をピン、と立てた。
そのタイミングで、赤髪シスターと市村さんの前に、二人の盾になるような形で銀髪ヴァンパイアが立ち塞がる。
だが、そんなことをしてもきっと無駄だろうとあたしは思った。
さっきから見ている限り、この二人は、ミノルの攻撃を一つたりとも防げていない。
あたしが命を投げ捨ててやっとの思いで首を斬った妹のヴァンパイアと、それよりもさらに強いとミノルに言わせた兄のヴァンパイア。
その二人が同時に相手をして、一瞬たりとも持ち堪えることができていないのだから。
ミノルの風は、銀髪が具現化した血の盾に突き刺さっていく。
ザクザクと斬り刻み、幾度となく奴らを刻んだのと同じように苦もなく分断するものと思われたが、あたしの想像に反して、奴が作り出した血のシールドは、今度はミノルの攻撃を全て耐え切った。
「お兄ちゃん」
「……やらせない。もう二度と、誰にも、ミキの幸せを壊させない」
紅蓮の瞳からは、血の涙が一筋垂れ落ちている。
あたしたちには理解できない不退転の決意を述べた始まりのヴァンパイアの、これが本領なのか。
あたしは、ミノルへ視線を向ける。
ミノルの顔から、初めて笑顔が消え去っていた。
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