第26話 絶望する仇討ち女子と、超弩級の相棒エルフ



 絶望的な状況下で現れたのは、ミノルだった。

 ようやく腰まで復元が進んだ赤髪シスターは、怒号を飛ばす。


「誰だと言ってるんだ! お前ら、そいつを殺れ!」


「誰だなんて失礼な」


 目だけでなく、もはや耳も満足には聞こえなくなっていたあたしに、正確な状況把握は困難だった。

 唸るような暴風の音だけが耳に響くが、これはおそらく耳鳴りだろう。


 何が起こったのか全く分からない。

 ただ、シスターの命令を実行できた子ヴァンパイアが一人もいないことだけは分かったが。

 

 不意に、自分が光の中にいるかのように、視界が明るくなっていく。 

 柔らかく、優しい光。

 ここが死と隣り合わせの戦場であることを忘れさせてくれる、安らかな気持ちになれる光……。


 そんな光に包まれる気持ち良さに浸っていると、体はどこも痛くないことに気づく。深刻なダメージで麻痺しているのではなかった。体の傷が、治っている。

 しかも、潰されたはずの右目までもが見えている。あたしの上半身を抱き起こしているミノルの鮮明な姿が、それを自覚させてくれた。


 あたしは混乱していた。それもそうだ。


 通常、「治癒の光ヒーリング」と呼ばれる、魔医なんかが使う回復魔術は、「欠損した臓器の機能を回復させることは困難」とされている。


 筋肉、骨、血管などを再生させるのとは訳が違う。複雑な構造をもった臓器の機能の全回復フル・リカバリーを、意図的に行うのはほぼ不可能。


 本人の回復力や魔術師の施術が、奇跡的に最高レベルで発揮された場合のみ実現するもの。本来は不可能と言っても過言ではない。

 さらに言うなら、仮に回復が実現した場合でも、長時間の施術を必要とする。


 しかも、あたしが損傷したのは眼球だ。潰されて見えなくなった目を見えるように回復させた症例など聞いたことがない。


 それを……今の一瞬で?

 

「そっちのお兄ちゃんは、大丈夫?」


「俺は大丈夫だ」 


 メガネさんからあたしへ視線を戻し、真上から見つめるミノルと目が合う。

 事態がまるで飲み込めないあたしは、ろくなセリフが吐けなかった。


「ミノル……?」


「伊織。遅れてごめんね」


「どうしてここが」


「ま、色々ねー」


 頭を掻きながら軽く言う。

 その軽い語調が気に食わなかったのだろう。再生が完了しているにもかかわらず無視され、場から完全に置き去りにされていた赤髪シスターは、怒りで肩を震わせながら、吐き捨てるように言った。


「今の回復魔術は何だ。お前……何者だ」


「さあー。試してみれば」

 

 無数に具現化される血の青龍刀を中心として、大量の三日月刃と血球弾がまたもや宙に浮く。

 それらは、躊躇なくミノルとあたしへ向けて発射された。

 だが、赤髪シスターが繰り出す全ての攻撃は、まるで竜巻のようにあたしたちを囲んで吹き荒ぶ暴風によって、全て弾き返される。


 強烈な風の音だけが、聴覚を支配していた。

 先ほどの暴風音は、あたしの耳が変調をきたしていただけではなかったということだ。

 あたしは、自分を救ったものの正体を、ようやく目の当たりにすることができた。

 

「ミノル。これは」


「もちろん魔術だよ。エルフは風の精だからね」


 あたしたちを護るバリアとなった竜巻は、高さによって左右の回転方向が異なっていた。

 それによって、ヴァンパイアたちの体は、力づくで引き千切ぎられてミンチになる。果物を入れたミキサーと同じ状態だ。

 あたしたちへ襲い掛かろうとしていた配下のヴァンパイアたちは、一瞬にして無惨な姿へと変化した。

 

 そして、遠心力によって全て外側へ飛ばされる。地下水路の壁は、ビシャっという気持ちの悪い音とともに、ヴァンパイアたちの血肉によって、ペンキで塗られたかのようにその色を赤く変えた。


 たまたま離れた場所まで下がっていたシスターは、死の風を運よく回避していた。

 仲間の血肉を浴びた可愛らしい顔は驚愕で歪み、捨て台詞すら満足に吐けずに敗走していく。


 だが、どちらかというと、唖然としている度合いとしては、あたしのほうが上だったと思う。

 ミノルは、あたしから手を離した。


「もう! 僕を頼ってって言ったでしょ。どうして一人で行っちゃうかな」


「……急がないと手遅れになる。時間がなかったんだ」


「でも、こんなことばっかりしてると、ほんとに死んじゃうよ?」

 

「なんとかしなきゃ、と思ったんだ……でも、首を切断したのに死ななかった。あいつは、不死身なんだ」


 床を見つめる視界が滲む。

 たまらず涙が頬を伝った。

 泣くところなんて見せたくない。

 特に、こんな奴の前では。


 いや……誰の前でも同じこと。

 長い間、あたしには泣いている時間なんて無かった。

 ずっと全力でやってきた。全てを注ぎ込んで、やってきたんだ。


「伊織?」


「ずっと磨いてきた技が通用しなかった。あたしじゃ、異世界人を倒せない。あたしじゃ、お父さんの、仇を、討てない」

 

 抑えていたものが溢れ出た。

 嗚咽を漏らすほどに泣いてしまう。これほど泣いたのは、きっと、お父さんが亡くなったことを知ったあの日以来だろう。


「そっか。だからなんだね。君が異世界人を嫌いなのは」


 そうだ。だから異世界人など嫌いだった。必ずこの手で仇を討つと誓った。

 なのに、命を馬鹿にされたのと同義のこの状況で、血反吐を吐くほど全てを注ぎ込んで積み上げた力が、あんなふうに下卑た笑いを浮かべる敵に、まるで歯が立たなかったんだ。

 

 折れた心の戻し方を見つけられないあたしの前で、こいつは、相も変わらずニコニコ微笑む。

 そういや、タマキに歯が立たなくても、こいつはいつものままだったな……。


「こぉーんなに可愛くて大好きな相棒ちゃんの涙を見て、僕が何もしないとでも思ってるの? 任せてよ」


「可愛いとか好きとか……お前はよくもそんな軽口ばっかり叩くよな。どうせ何か企んでたんだろ」


「……あはは。でもね、めちゃくちゃ気合い入ったよ? 元気出しなって。君はこの僕を使い魔にしたじゃないか。僕を従えたことも、君の立派な能力の一つだと思うよ」


 人を従えることを能力だと思ったことはないが、いずれにしても言うことが偉そうだ。

 ったく、こいつはこんな時でも。

 

「仇を討てなけりゃ、意味がないんだ」


「そういう意味で言ってるんだよ。君の剣が届かないなら、僕が君の剣になる」


 随分年下の、高校生みたいな姿をしたエルフは、あたしの頭をナデナデ……というか、ガシガシやった。

 んだ、こいつ。生意気なことしやがって。


「ま、そういう話は後にしようよ。せっかく追い詰めたのに、逃げられちゃうからさー」

 

 追い詰めた、と軽々しく口にするミノルに肌が粟立つ。

 殺意を微塵も感じない。

 まるで今はティータイム、って感じだ。あたしの家で焼き飯を食っていた時となんら変わらないのだ。

 あたしに手を貸して立たせたミノルは、あたしのお尻をパンっ! と手で叩く。


「ほれ、急いで」


「叩くな!」


 ミノルに急かされて走り出す、あたしとメガネさん。

 と、どこからともなく突然吹いた風が、あたしたち全員を宙に浮かせた。

 ひゅうっ、と一陣の風が地下水路を走り、あたしたちの体をはやての如く飛ばしてゆく。


「走る必要なんてないよ。僕は風の精なんだから」


「じゃあなんで叩いたんだよ!」


「あはは」


「あははじゃねえっ」

  

 ミノルの態度は、家にいる時と全く同じ。可愛い笑顔であたしを見つめるんだ。

 調子狂うんだよ。ここは、命をかけた死闘の場なんだ……。


「そんなことより、あいつはどこに逃げたんだ。ミノル、わかってるのか? ってか、そもそもどうしてここがわかったんだ?」


「どっちも結界だよー。奴は地上の大聖堂に戻ってる。そこには『始まりのヴァンパイア』が二体いるね。どうやら僕らを待ってくれてるらしい」


 ……この場所を、結界で把握?


 鈴木さんの相棒、異世界人・タマキは敵のアジトに向かっている途中で結界領域を展開した。

 おそらく数百メートル級の半径を持っていただろう。それでも規格外のサイズなんだ。

 それが……

  

 東京郊外にあるこの人隠市まで、都心からどれほどの距離があると思ってんの?

 一〇キロじゃ済まない。恐らく二〇キロ弱はあるはずだ。

 

 いや、そもそもあたしが人隠市にいることすら、こいつは分かっていなかったはず。

 そう、こいつはパチンコ屋にいたはずだ。あたしが電話しなけりゃ、ずっとやっていただろう。


 ……そうだ! きっと、GPSでも服に付けられていたんだ! それであたしの居場所が。

 うん。そうに違いないよ。同居者にそんなもの付けるなんてサイテーなヤローだ。

 だって、そうじゃなきゃ、東京都全域を覆うレベルの──……


 あたしの真横で、寄り添うようにして飛ぶエルフの横顔を見つめる。


 あたしは、あのベリアルに対面してから、奴のことを調べた。一般には公にされていないが、あらゆる異世界人と戦ってきた魔特には、戦いの記録が残されているのだ。

 それによると、奴は半径五キロを超える特大結界領域を展開し、魔特隊員たちの逃げ場をことごとく潰した、と記されていた。全ての魔特隊員は、ベリアルに有利な特殊効果を付された結界の中で戦わざるを得なかった、と。


 ベリアルでさえ、五キロなんだ。

 もし今回のことが事実なら、このエルフは、現時点において間違いなく世界最強の異世界人……ということになる。


 こいつが!? 

 うそだろ。

 

 あたしが見ていることに気づいたミノルは、パチンと綺麗にウインクする。ほっぺたが瞬間沸騰したあたしは、慌てて視線を迷わせた。

 だからふざけてる場合じゃないっての。あんな強さのヴァンパイアが二体も居るんだろが!

 ……ん?


「二体だって!?」


「反応遅っそ! そうだよ。そっちのほうが強いね。さっきの奴は手下かな」


「そんな……」


「大丈夫だよ。ってか何回言わせんの?」


「一回も言ってないけど」


「あはは。そういうところは冷静にツッコむんだねぇ。そんなとこ好き」


「くっ……場を弁えろっての!」 

  

 なんとなくだけど、嘘じゃない、って思った。


 数え切れないほど叩きつけられた血の弾丸や槍を軽々と弾き飛ばし、あれほどの実力を備えた始まりのヴァンパイアをいとも簡単に退けた。そしてこの平常心。

 超弩級の結界領域も頷ける……というか、もはや頷くしかないのか。


 帰ってから、ちゃんとGPS発信機がないか、一応調べとこ……。   




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