第25話 気持ち



 罵倒の応酬は一瞬で終わり、すぐさま死闘は再開される。


 シスターが、メガネさんへ手のひらを向けた。

 きっと、吸血魔術で作った血の凶器を飛ばしてくるんだと、あたしは思った。

 だが、彼女が何かをする前に、胸の中央を正確に狙った弾丸が、シスターの体に雷撃を走らせた。

 もちろん、これが何か、あたしは見たことがある。


 三級魔弾「雲龍うんりゅう」。電気の特殊効果をまとった魔弾だ。

 並の人間なら即死するほどの電撃。耐久力に優れた異世界人でも、麻痺の効果が見込めるという付加効果がある。

 攻撃力も高いが、この魔弾のもっとも効果的な使用方法は、敵の動きを一時的に止めることにより、相棒である異世界人をサポートできることだ。


「かっ……」


 シスターは、その可愛らしい外見に似合わない呻き声をあげる。

 あたしたちの足を拘束していた血溜まりは、スッと引いて消え去った。


 片目を失ったあたしには、ここしかなかった。


 あたしがやるしかない。

 誰も助けにはこない。

 ここには鈴木さんも、タマキもいない。

 ミノルもいな──くてもあいつはどうせ役には立たんだろうが。

  

 あたしが死ねば、メガネさんも死ぬ。

 父さんの仇を討つことも──……   

 と、感情的になり始めて、自分を諌める。片目を失った教訓を、絶対に無駄にするわけにはいかなかった。


 土壇場で最善の結果を出すコツは無心。それは「今」のこと以外なにも考えないことだ。

 どれだけ大きなものが賭けられていようとも、勝った後のこと、負けた後のことを考えるのは、戦っている最中には何の意味も成さない。

 凄まじいプレッシャーに押し潰されそうな時ほど、無。そして集中。


 ふうっ、と息を吐いた時には、いつものあたし。 

 全精力を込めて斬りかかり、魔力のガードを誘ってシスターの腕を狙いに行く。  


 しかし、赤髪シスターも、二度同じ手には乗ってこなかった。 

 今度は腰を落として、回避を重視した構えをとっている。

 明らかに、魔蝕剣が自分を殺す凶器だと、真剣に認識していた。


 奴の体捌きの中心となるのは、足で動いて体ごと回避するバックステップ・サイドステップ。

 だが、それだけで回避し続けられるほど、あたしの攻撃は甘くない。魔剣の切先は少しずつシスターとの距離を詰め、真横になびく真っ赤な髪を散らせ始めた。


 手応えを感じ始めた矢先、徐々にシスターの動きが変化する。


 上体を反らして躱すスウェー。

 顔面を横薙ぎで狙った斬撃には、Uの字を描くように屈んで回避するウィービング。

 突きには、頭を捻って最小限の動きで回避するヘッドスリップ……。

 まるでボクシングでも学んでいるかのように、華麗な動きで被弾を避ける。


「やるなぁ。くく……絶対にお兄ちゃんのタイプだ」


 それでも、形勢はあたしにあった。

 魔力を削り取る魔蝕剣を使うあたしの攻撃を、シスターは回避し続けるしかない。


 敵に隙を与えない連続攻撃こそ、魔術を使う相手を追い込む重要な手技。時間を掛けて習得してきた、あたしの得意技なんだ。

 回避がギリギリ、という程度の余裕しか与えていないはず──。


 目論見どおり、とうとう回避できないと思われるタイミングが訪れた。

 あたしが魔剣を振った直後、シスターの体から真っ赤な血が噴き出す。

 だから、一瞬、あたしの攻撃が入ったのだと勘違いした。


 だが、「入った手応えが全く無いのに、こんなに血が溢れるのはおかしい」と気づく。

 魔力を無効化するこの魔剣で敵を斬った場合、敵の魔力を斬った手応えはないはずだが、物質を斬った手応えくらいはあるのが普通だからだ。


 気づいた時には遅かった。三日月型の刃と化した大量の血液が、「隙あり」と言わんばかりに、あたしの命をろうと飛んできた。


 咄嗟に後方へ回避したが、全身をザクザクに切られてしまう。

 あたしを傷つけた刃は、そのまま石やコンクリで造られた壁や天井へと衝突し、まるで豆腐を斬るかのように切れ目を入れた。


 痛みで体を縮こませたい気持ちを必死に振り払い、敵を睨みつける。

 シスターは、体の周りに、無数の血球を浮かばせていた。

  

 あっ、と思う間もなく、まるで弾丸のように飛んでくる。

 真横から吹く雨のように、血の弾が叩きつけられた。


 横っ飛びして回避したが、腕や足を貫通させられ、腹にも二、三発くらってしまう。

 赤髪シスターの表情からはさっきまでの真剣さが薄れ、殺し合いに王手をかけた余裕感が漂っていた。

 

「さあ──どんなものでも切れるお前の剣を、もっと味わわせてくれよ!」


 是非ともそうしてやりたいところだが、腕と足がやられて、もう思うような動きはできないだろう。

 それに、さっきの血球弾は内臓を貫いた。この痛みは感じたことのないものだ。


 口から垂れる血を、片手で受け止めとうとする。  

 受け止めきれずに、石の床に垂れ落ちた。

 溢れる血が止まる様子はない。

  

 初めての経験だな……と考えて、それはそうかと納得する。

 死は一度しか訪れないから、死ぬ時がどんな気持ちなのかを真の意味で味わうのは、常に初めての経験なのだ。


 こんな仕事をしていてこう思うのは自覚がないとのそしりを受けるだろうか。

 現実として、成し遂げなけらばならないことも成し遂げられず、こんなところで死に絶えるとは思っていなかった。


 これではダメだと自心を制する。

 最善の結果を手繰り寄せるコツは無心。

 冷静にならなきゃならない。何度も習ったじゃないか。

 そして実践してきた。まさにその通りだったはずだ。

 

 シスターは、またもや無数の血球を宙に出現させ、勝ち誇ったように下卑た笑みを浮かべていた。


 あんなふうに笑いながら命を奪われるとなると、まるで自分の生きてきた軌跡全てに泥を被せられた気分になる。


 あたしだけでなく、お父さんが生き、残してきた全てのこともだ。

 さらには、お父さんだけでなく、悲しみの底に叩き落とされて涙したお母さんの涙も。

 そのお母さんと一緒に二人で味わった、全ての感情も。

  

 血が喪失されて力が抜けていた拳が、何故か動いた。

 その原動力は、無心とは対極にある「気持ち」とかいう根性論もいいところの……戦闘においては実力を下げるしか能はなく、何の頼りにもならない、消去しなければならないものだと断じていたはずの感情。


 終われない。

 このままじゃ──



「あああああああああああ!!!」



 靴底が石の床とグリップする感覚を確かに感じながら、敵の瞳を見据えて一直線に駆けていく。


 流れ出る血が増したが、それを気にするのはそれこそ何の意味もないことだ。

 いずれにしてもあたしの命は、栓を抜いた風呂の水と同じ。

 ものの数分、ともすれば数秒で消えて散る。それをどう使うかだけが、今のあたしに許された選択肢なんだから。


 真正面から撃たれた血球の弾幕を紙一重で回避し、敵が血液で具現化したブーメランのような形の刃を、魔蝕剣で粉々に打ち砕いて迎撃する。

 気迫を込めてぶつかっていくあたしを懐に入れるのは危険と判断したのか、奴は、反撃ではなくバックステップでの回避を選択した。つまり、ビビったのだ。

 あたしは、残された全ての力をここで使った。全力で踏み込んで追い、自分の足を内側からシスターの足へ引っ掛けて刈る。

 シスターが後ろにバランスを崩したところへ、剣撃一閃──……

  

 ……という素振りを見せた。

 このタイミングなら、きっと腹の辺りから血の青龍刀を出して、さっきのようにあたしを殺しにくるはず。


 足を刈られたシスターは、背中から床に倒れ落ちようとしながらも、ずずず、と血液を尖らせてあたしの心臓へ血槍を突き立てる。

 体勢の立て直しよりも、反撃が優先だと判断したらしい。

  

 伸びてきた血の槍は想定通りの動きであり、だから驚くほどの速度には感じない。

 体を捻って下方から襲う凶撃を回避し、あたしは、今度こそ首を刈りにいった。


 狙いの通り、首に切れ込みを入れた魔蝕剣は、抵抗感も少なくそのままスッと入る。

 シスターの頭部は、ボーリングの球のようにドシンと音を立てて床で鈍く弾み、コロコロと転がった。

 首から噴き出す血液は、今度は吸血魔術で変形することはなかった。ただ溢れて、またもや牢の床を染めていく。


 首が飛んだ。これで生きている生物なんて居やしない。

 これで死ね。死んでくれ。

 これで死ななければ終わり……。


 メガネさんは「やったか!」と掠れ声をあげる。

 だが、薄暗い地下水路の奥からやってきた新たなヴァンパイア集団を目に留めて、表情をこわばらせた。


 床に転がったシスターの頭部を、ヴァンパイアのうちの一人が拾いあげる。

 シスターの頭部は、仲間の腕に抱き抱えられたまま、高らかに笑い始めた。あたしたちの敗北を決定づける甲高い笑い声は、誰に止められることもなく、地下水路に反響し続けた。 


 下がっていく体温が鈍らせた思考で、答えの出ない謎を考える。

 どうして効かないのか。

 首を切断されて、生きているとは──


「お兄ちゃんに献上しようかと思ったけど、お前はなかなかに面白い。気に入ったよ。私の友達になって欲しいな」

 

 シスターの配下は、切断された彼女の首へ、喋る頭部を乗せた。

 瞬間的に首を接合し、シスターは血の弾丸を指先から発射した。それは、なおも立ちあがろうとしたあたしの両大腿部を貫通させた。

 ひざまづき、正座するように座り込んだあたしを、シスターは真正面から抱きしめる。


「さあ。私たちの仲間になろう」


 意識は揺らぎ、痛みは遠ざかっていく。

 感覚が鈍すぎる。魔蝕剣を握っているのかどうかすら、もうわからない。

 もう振れない。目の前にいるのに。

 今振れば、刺せるのに……。


 やはり一人では無理だったのか、と考えて、ふと可愛い顔をしたエルフの笑顔が思い浮かんだ。


 ああ、そんな奴も居たな。

 ったく、どうしようもない奴だったけど……あんな奴でも、道連れにしてしまうよりはマシか。

 

 首筋に突き立てられようとする牙。

 ひやっとした感覚が走ったから、てっきり奴の牙が刺さり込んだものと思った。  


 もはや視界は狭まりつつあったが、そんなあたしの目でもわかる。

 さっきまであたしを抱きしめていたはずのシスターは、いなくなっていた。

 代わりに、轟々と渦巻く風が、いつの間にかあたしの周りを吹き荒んでいて──……


「誰だ!? この──」


 シスターの声に気づいて視線を床に移す。

 何故かザクザクに斬られ、全身がバラバラになったシスターの頭部が、床に転がっていた。彼女は、また首だけになっていたのだ。


 怒りのままに口を動かすシスターの視線の先。

 そこには、死の世界にはあまりにも不似合いな、B系ファッションをした鮮やかな水色髪のエルフが立っていた。



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