第12話 歴史に記されぬ真実



 タマキとミノルの試闘が終わったところで、鈴木のおっさんはあたしたちへ「案内するところがある」と告げた。

 鈴木は、夢の島・魔術総合術科センターの中央にある広い訓練場を再び横切り、魔特の事務所のほうへと戻った。


 魔特の事務所が入っている「本館」は、五階建ての鉄筋コンクリート造だ。

 魔力測定室、魔弾射撃訓練場、結界訓練室、雷撃魔術用の絶縁訓練室など、様々な魔術系訓練施設がある。

 それ以外にも、施設管理部署の事務所や休憩室、食堂などと一体になっているので、かなり大きい建物だ。


 この術科センターは、全周を高い壁で囲われている。

 初めて来た者は、まるで刑務所のようだと感じるだろう。


 時折、その壁の上部には、まるでオーロラのような緑色の幕が見える。

 何となくだが、これは結界の類ではないかと思った。なので、初日にあたしは、施設を案内してくれた職員に質問した。

 説明では、「訓練中に放った魔術が外に出ないようにするため」とのことだった。


 だが、なんとなく、それだけではないような気がした。

 あまりにも大仰すぎるのだ。天界まで区切っているのではないかと思われるオーロラは、この敷地内の何もかもを絶対に外へは出さない、という確固たる意志を感じた。


 しかし、そうなると疑問が生じる。

 この中にいるのは、警察官と、専属、そのほかは施設管理系の職員たちだけのはずなのだ。


 本館に入り、二人の屈強そうな警備員が守る通路へと辿り着く。

 確か、勤務初日には「魔特の各当番責任者の許可がないと入れない」と説明された場所だ。


 鈴木が手を挙げて挨拶すると、彼らは頭を下げてスッと左右へ分かれた。

 通路を進むと、紺色の壁で作られたエレベーターホールが現れる。

 

 天井、壁、床、そこら中に細かく紋様が描かれている。

 普段目にするものとはデザインが異なるが、きっとこれは魔法陣の一種だという印象をあたしは持った。


 その紋様は、近代の建物の中だとは思えないほどに、呪術的な雰囲気を醸し出している。

 奥には、魔法陣に彩られた一つのエレベーターがあった。

 

「このエレベーターには、普通の職員は乗れねえ。セキュリティは、魔特隊員及びその相棒である異世界人が二組以上揃った上で、生体認証と魔力紋認証が同時に行われた場合にのみ解除される」


 しばらくすると、エレベーターの扉の横にあるインジケーターが、赤から緑に変化した。

 あたしたちは、鈴木に促されてエレベーターに乗る。


「凶悪犯罪者ってのは、俺たち魔特が来ても絶対に降参しねえ。つまり大人しく逮捕される奴なんて一人も居ねえってことで、大抵の奴は討伐に至る。だが、ここには異世界人専用の檻がある」


 これは警察学校で習ったことがある話だった。

 強力な魔術を使う異世界人でも脱出不可能な牢獄がこの国にはある、と。

 ただ、その詳細については学校では教えてくれなかったし、世に出ているどんな書籍でも正確には語られていなかった。

 

 ある本では、百人の名だたる魔術師が一年間休まず魔力を込め続けた牢獄だとか。

 ある雑誌では、牢獄の全てが魔力を宿す「賢者の石」で作られているだとか。


 様々な憶測が飛び交ってはいるが、どれも確定情報には至らないというのが本当のところだった。

 その答えが、この先にあるというのだ。


「誰も逮捕されないなら、ガラガラの閑古鳥ですかね。実際どういう仕組みなんですか? 普通の牢では魔術師なんて閉じ込められないでしょう。誰かが結界を張っているとか」


 鈴木は、あたしの問いには答えなかった。


「新たに魔特隊員となった奴には、必ず最初にこの先を見せることにしている。なぜだと思う?」


「なぜも何も、そりゃあ、捕えた犯罪者をブチ込む場所なわけですから──」


「そうじゃねえ。ここで逃げ出すようなら、失格だからだ」


 静かに地下へと滑っていくエレベーターの中、あたしは歯噛みしながら鈴木さんの背中を睨みつける。


 逃げ出すだって? 


 捕まっている犯罪者如きを見て、警察官──その中でも、魔術を使う凶悪犯と最前線で向き合う魔特のあたしが逃げ出すわけがない。

 こんな言い方をされるのは心外だ。やはりこいつは、あたしのことをガキ扱いしているのだろう。


 足に強めの重力が掛かる。

 エレベーターが目的階へ到着したようだ。

 扉が開くと、まるで洞窟のような、ひんやりと湿った空気が流れ込んできた。


 扉の先にあるのは、エレベーターの周囲と同じような紋様がそこかしこに描かれた、どこを見ても紺色の通路だ。

 鈴木とタマキはエレベーターを降りて歩き始める。あたしとミノルも、そのあとに続いた。


「その昔、初めて異世界転移が確認された時、この世界はめちゃくちゃになった」


 鈴木さんは、歩きながら歴史を語り始める。

 これは、そのまんま歴史の教科書に記載されていることだ。

 中学校くらいになれば習う。つまり、一般人でも知っている。


「魔術を使う奴らを、先人たちは近代兵器で迎え撃った。

 だが、大勢の人間が死んだ。ミサイルや様々な爆弾、戦車、戦闘機、ガス兵器、火砲、重火器。

 ありとあらゆる武器を使ったが、人間が絶滅させられる道筋がもう目の前に見えていた。有効な対策が立てられないまま推移すれば、人間は死滅するのではないかと思われた」


「ええ。そこで異世界人を味方につけて戦わせるという形に落ち着いた」


「最終的にはそうだ。だが、そうなるまでの経緯には、教科書には書かれていないことが色々あってな」


「はあ」


 幅三、四メートルほどの広い通路の左右には牢獄がある。

 牢の柱を形作る鉄格子には、ときおり帯電したようにピリピリと電気が走っている。

 牢の中には、誰の姿も見当たらない。

 鈴木さんは話を続ける。


「もはや異世界人の奴隷と化すしか絶滅を免れる道はないと思われた人間の前に、一人の女が現れた」


「女?」


「俺たちの間では、『聖女』と呼ばれている」


「…………」


「聖女は、人間の武器である銃火器でも魔術を使える異世界人を倒せるように、聖なる力を込めた弾丸『聖玉』を作って与えた。そして、倒せないまでも弱らせることができた異世界人は、二度と外へ出られないよう幽閉できる牢獄を作った」


「…………」


一般的な凶悪犯・・・・・・・は、今お前が目にしているこの廊下に設置された牢獄、聖女が施した封印魔術『聖なる牢獄セイント・プリズン』に投獄されている」


「……まるで、一般的じゃない凶悪犯がいるみたいな言い方ですね」 


「これから会わせるのは、その常軌を逸した凶悪犯だ」


 牢獄には、徐々に投獄者が現れ始めた。

 比較的暗めの色合いをした紺色の壁を背にしているのに、どいつもこいつも瞳だけがギラギラと光っていやがる。


 通路の奥が見えた。

 それはまるで光の塊。時を同じくして、パリパリと電気がスパークするような音が聞こえ始める。

 ひときわ大仰な魔法陣が描かれている牢獄。もはや描かれていない場所はないほどに紋様で埋めつくされていた。


 近づくにつれ、電気音は大きくなっていく。

 鈴木さんは、牢から距離をとって立ち止まった。


 まるで雷撃でできたかのような格子で囲われた牢。 

 光で作られたバリアの隙間から、中にいる人物が見える。

 影のようにしか見えないそいつの大きさは、小学生くらいに思えた。


「この世を滅ぼす大災厄級ディザスタークラスであっても一体までなら封印できる、世界最強の封印魔術『聖櫃アーク』。今、聖女が維持するこの特別な牢に囚われているのは、人間界で公式に確認されている異世界人の中でも最も世に放ってはならない怪物、かつて魔王とも呼ばれたことがある悪魔、堕天『ベリアル』だ」


 牢の中にいる子供の目は、紅蓮の瞳の中に黒の魔法陣が描かれた異様な瞳。

 見つめるうち、眩暈か立ち眩みのようなものに襲われた。


 飲み過ぎたのがまだ残ってたのかな……とか考え始めた時点で、現実逃避を始めたのは明らかだった。

 さっきまで普通だったのだ。なのに、まるでフェーズが変わってしまった。


 胃の内容物が上がってくるのがわかる。

 手の指が、ピリピリと痺れて震える。

 あたしは、光の牢に閉じ込められている子供から目を逸らした。

 

 原因が牢の中の奴だと明らかにわかっているからこそ、直視するのがためらわれた。

 目を見続けて、果たして正気を保てるのか判断に迷ってしまう。


 これは魔力なのだろうか。

 しかしそれなら、この「聖櫃アーク」とかいう封印魔術が通用していないことにならないか? 


 仮にこの封印魔術が確実に魔力を遮断しているのならば、体を芯から冷やすようなこの寒気は、あたしがビビっているからだということになる。

 そんなことは、断じて認めるわけにはいかなかった。

 あたしは唇を噛み締め、拳を強く握って視線を子供に戻す。


「この堕天使は、月島隼人はやととその相棒が捕えた。この意味はわかるな?」


「…………!!」


 もちろん、あたしにはわかっていた。

 月島隼人は、あたしのお父さんなのだ。


 この世で最も強力だと言われる魔術で閉じ込められながらも、凄まじい圧力を放つこのベリアルは、鈴木さんの話が本当なら、お父さんが捕えたらしい。


 だが、ベリアルを捕えたはずのお父さんは、何者かに殺された。


 すなわち、あたしが追っている仇は、こいつよりもさらに強いということだ。

 ベリアルは、あくまで公式に確認されている異世界人の中での最重要危険種。

 この世には、こいつより強い奴が、なんら拘束されることなく野放しになっているのだ。


 さっきまで冷えていたはずの体の芯が、燃えるように熱くたぎる。

 自分が追う仇の怪物さ加減を思い知らされたからではない。

 

 これほどの怪物を、お父さんは封印したのだ。

 誇りに思う。

 そして、改めて意志は固くなった。

 

 聖櫃アークの役目はこのベリアルを封ずるために譲る。あたしが追う仇に、聖櫃は必要ない。

 あたしは、絶対に、お父さんの仇をこの手でぶち殺してやるんだからな。


「……ハッ。諦めるつもりは毛頭なさそうだな」


「なんの話ですか?」


「そっちの坊やはどうだよ」


「あはは。伊織がやるって言うなら、もちろんやるよー。ってか、『月島隼人』って誰なの。また僕のこと仲間外れなの?」 


「またって何だよ。お前は知らんでいい」


「うわ。ひどっ」


 こんな化け物を前にしても、ミノルと話すとついついこんな感じになってしまうという……。

 真剣味が足りないんだよマジで。

 

 あたしはムッとしていたのだが、鈴木のジジィは突然大声で笑い出す。

 どうした? 気でも触れたか? まあこいつも不真面目の塊だからな。


「ったくよー。いいぜお前ら。気に入った」


 涙を浮かべるほど笑った鈴木は、世界最強と称される化物の前で、心底愉快そうに微笑む。

 ミノルはミノルで、こんな化物を目の前にしているのに、いつも通りあははと微笑む。


 改めて見ると、どっちも気持ち悪い。

 敢えて呆れた顔を作ったあたしの頭には、そんな軽蔑心がよぎったが。

 しかし同時に、もう一つ頭をよぎったことがある。


 大魔力を計測できる魔力計は、現認されているうち最高魔力を有する異世界人であっても計測可能と言われている。つまり、それはこの「ベリアル」のことだろう。

 にもかかわらず、ミノルの魔力は、その魔力計の針を振り切ったというのだ。


「もう一つ、教えておいてやる。お前が望む敵は、紫色の瞳の中にこいつと同じような黒い魔法陣が描かれた、黒髪の少女の姿をしていたそうだ」


 鈴木さんの言葉であたしは息を呑む。

 こんなに早く、喉から手が出るほど欲した手掛かりが手に入るとは思っていなかったのだ。

 目撃者がいなければ、どんな奴かもわからない。最悪は、手当たり次第に異世界人と戦わなければならないと覚悟していた。


 だが、引っかかるところもある。

 今の情報は、実際にその敵と対面しなければ得られないのではないか。


「……どうしてそんなことがわかるんですか」


「こういう強力な異世界人を相手にする時は、事前に分かっていれば単独で対応することはない」


 それを聞いて、あたしは得心がいく。

 すなわち、お父さんを見捨てて逃げた奴がいるということだ。

 あたしは、そいつらのことも、絶対に、許さない。


 今すぐにでも殺してやるという殺意を込めて、あたしはベリアルを睨みつける。

 檻の中にいる子供は、ビビったというよりは興味を失ったかのような感じで、プイッとあたしから目を逸らした。


「期待してんぜ、若者ども」


 鈴木さんの激励を最後に、あたしたちは聖櫃を後にする。


 ベリアルから遠ざかるにつれ、嘘のように体調が回復していく。

 さっきはテンションが上がって恐怖心を無理やり吹き飛ばしていたが、世界最強の封印魔術ですら、完全にはその影響を封じ込められないという事実に、今更ながら戦慄する。

 

 しかし、あのベリアルであっても、お父さんの形見である魔蝕剣は絶対に効くはずだ。

 

 この剣は、ありとあらゆる魔力を切り裂き、無効化する剣。

 ならば、どれほど高位の悪魔であれ、この魔剣の脅威から逃れることはできない。 

 まあ、聖女とやらが奴を封印する限り、奴がここから逃げ出すことはないわけだが──


「そういや。さっきの牢獄、『魔術』だって言ってましたよね。それって、今もなお、その聖女が封印魔術をかけ続けているってことですか?」


 このおっさんがどこまで知っているのかはわからないが、少なくともこの牢獄エリアには魔特隊員しか入れないのだ。

 鈴木さんはその魔特の第二係の責任者。異世界人のことに関して言えば、現在、この国のトップが知りうるほとんどのことを知っているのではないかと思った。


「その通りだ。だが、正体は誰も知らない」


「……そんなアホな」


「聖女の存在は人類の要だ。彼女が死ねばベリアルは復活する。仮にベリアルに仲間がいるなら、聖女が狙われるのは必然だ。魔術には色々なものがある。頭の中を覗き見るようなものや、催眠魔術などは、既に存在することが判明している。だから聖女の正体も居場所も、誰にも教えられていないのさ」


 一人で孤独に魔物を捕らえ続ける聖女、か──。


 まあ、いずれにしてもあたしには直接関係のないことだ。 

 あたしが追うのは、お父さんの仇、ただ一人。

 だが、あたしはまだ、仇を討てるレベルには到達していない。このタマキにすら簡単に殺される程度の存在なのだ。


 近づいたと思っていた目標が、また遠ざかったような感覚。

 だが、決して諦めはしない。

 

 必ずこの手で仇を討つ。 

 心に固く誓いながら、地下深くに設置された聖なる牢獄を、あたしたちは後にした。




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