第4話 仇討ち女子の真骨頂と、破格の魔女と、妙な動きをするエルフと



 あたしの宣戦布告を聞いた悪魔族のゴリラは、部屋の奥へおもむろに近づき、裏拳で軽くコンクリの壁を殴る。

 壁は、まるで爆弾でも使われたかのように爆ぜ、大穴が空いた。

 奴はあたしに視線を戻し、口元を緩めながら、腹に響く低い声をこの部屋に轟かせる。


「誰が俺の相手をするって?」


 一発でも喰らえば終わる。だが感傷に浸っている暇はない。

 土壇場で自分の力を余すことなく発揮させるコツは「無心」だ。「よく考えろ」というジジィのアドバイスと矛盾するように聞こえるかもしれないがそうではない。緊張感で頭が真っ白になるのと無心とは違う。


 感情と雑念の消去が、最大限に対応力を広げる。 

 今、この場面だけは、間違いなくあたしがずっと心血を注いできた土俵。それは恐らく、ジジィでも到達していない領域のはずだ。


 あたしは、深く呼吸した。


 最悪、懐へ入るまでに攻撃魔術を撃たれたとしても、全てこの愛刀で斬り裂き、無効化することができる。


 そして距離さえ詰めてしまえば、魔術を使おうと抵抗は不可。

魔蝕剣エクリプス」はダガーの一種でブレードが短く、近接戦闘で力を発揮する。

 悪魔族の体であろうとドラゴンの装甲であろうと、魔素で強化されたものは、すべからく無効化するのだから。


 ゴリラは、人差し指をクイクイっとやって挑発してきた。

 こちらもつい口元が緩む。

 

 いいじゃないか……そういうのは嫌いじゃない。


 ふうっと息を吐いた時には、すべての感情を頭の中から消し去っていた。

 毛の一本一本まで神経が通っているかのように集中する。


 無心となって逆手で剣を抜き、全開ダッシュで敵との距離を詰めにかかった。

 と、ゴリラはニヤつきを堪えきれずに、隠し持っていた拳銃をあたしへ向ける。 


 ……照準は頭部。

 今だ!


 音が鳴った時には、被弾想定点よりも一歩斜め前へ。 

 強化された神経は、弾線とタイミングをあたしに教えてくれる。ここで問題となるのは、恐怖心を克服する「心」なんだ。

 そのための無心──……

 

 しかしゴリラも焦りはしなかった。数発撃った拳銃を投げ捨てると、両腕を体の前で構え、ドシッと音が鳴りそうな動作で腰の重心を落とす。

 続いて、こちらの恐怖心を呼び覚ますため、衝撃さえ感じるような雄叫びをあげた。


 ビリビリと肌を震わせる威嚇は、心を閉じたあたしには通じない。

 無心を維持したまま、迷うことなく速度を上げて突っ込んでいく。


 鉄筋コンクリートすら余裕で破壊する敵の拳があたしの頬をかすめた時点で、戦いは超近接戦闘クロスレンジへ突入。

 魔蝕剣エクリプスが敵の大腿部を突き刺す。


 それが囮だったというわけではないだろうが、敵は怯むことなく、あたしが剣を引き抜くまでの隙を狙ってボディブローを打ってきた。


 かすっただけで即死の豪打。少しでも恐怖心が残っていたなら、体が硬直して、きっとこの二撃目で仕留められていただろう。

 しかしあたしの体は、こいつが期待しているようには止まってやらなかった。


 水平回転しながら回避と同時に剣を引き抜き、視認する前に、振り向きざま敵の腹を斬りつける。


 二撃目のボディブローから流れるように繰り出された三撃目の回し蹴りは、敵の目の前で後転宙返りしながら、ふわりと躱してやった。

 着地際を狙いたいという敵の思惑を裏切るように、滞空中に敵の胸を斜めに一刀。


 グアアっという低い悲鳴が、手応えを知らせる。

 それを合図にして天井へ向かって美しく伸ばした魔剣の一閃は、敵の腕を肩から斬り落とす。

 あたしは、ゴリラが驚愕の表情を見せた隙を見逃さなかった。間髪入れずに、勢いをつけた回転斬撃で、もう一方の腕を肘から斬り飛ばした。


 呻いている場合ではないことを悟ったらしいゴリラは、両腕を失ったまま部屋の奥にある出口へと駆け出した。

 閉まっているドアを乱暴に蹴って破壊する。勢いよく噴き出す動脈血を撒き散らしながら、敵は必死に戦線離脱を図った。

 

 どうだよ。ちょっと本気を出せばこんなもんなんだよ!

 ……という思いを込めて、ジジィとエルフにアイサインを送ってやる。


 ジジィは肩をすくめた。

 クソエルフは……なんと、また欠伸をしているじゃないか!


 よーし。このまま一気に追い込んでやる。

 よく見とけよ、お前ら!


「だめだシゲル、行かせるな!」


「待て! 月島──」


 ジジィとタマキの声が後ろから飛んできたが、あたしは構わず敵を追った。

 人間如きに両腕を斬り落とされるなんて絶対に想定外だ。

 これが罠であるはずがない。チャンスなんだ、ここで仕留める!


 小型ライトを取り出しながら、敵に続いて廊下へ出た。

 真っ暗な廊下を限られた光量で照らしながらも、速度を落とさずに敵を追う。

 走り、逃げようとするゴリラの奥──廊下の突き当たりに、痩せ細った弱々しい男が姿を見せた。


 灰色の肌、遠くからでもわかる真っ赤な瞳、頭に生えたツノ。

 間違いなく二人目だろう。

 ターゲットを追い込んだあたしの心に、ずっと抑えていたはずの殺意が戻ってきた。


 六六人だと……

 ふざけやがって──!!!


 視界がピカっとフラッシュした。

 鼓膜を麻痺させるゴワアっ、という爆燃音。

 



 あっ…………



 

 気づけば、あたしの周囲には半径二メートル程度と思われるドーム状の安全空間。

 魔力が具現化したシールドは、水色から黄金色へと美しくグラデーションを描いて変化する。

 体に痛みは無い。今度はすぐに状況を理解した。


「大馬鹿が。その場で待機だ一年生。タマキ、行け」


 タバコを投げ捨てた鈴木さんが命令を下す。

 タマキは、相変わらず悠然と歩いて近づいてきた。

 消えかけた燃焼音の奥から、悪魔の笑い声が響いてくる。


「カカカカカカッ」


「兄貴!」


「よくも可愛い弟の腕を落としてくれたなこの餓鬼どもが。精密な回復魔術を使える闇医者は高えんだぞ? お前らを焼死体マニアに売っぱらっても、端金しか残らねえなぁ」


 こういう挑発をされたら、タマキは受け流さない気がした。

 案の定、若作りしたハリのある肌に、キュッとシワが刻まれる。

 彼女は、ペタンと座るあたしを一瞥すらせず追い越した。


 次の瞬間、体がビクッと反射反応する爆発音。


 あたしを襲ったのと同じやつ──こうして見ると、床からも天井からも壁からも、骨も残らないんじゃないかと思えるほどの炎が噴き出し、タマキを襲っていた。


 目も眩む光の中、タマキの影は、回避する素振りもなく真正面から歩いて行く。

 渦を巻いて燃え盛る爆炎魔術の連発をまともに受けながらも、まるで海を割ったモーゼの如く、金色の魔法陣が作る安全空間で、敵の炎を退けて道を作っていく。

 

「ば……かな」


 動揺を露わにした細身悪魔の呟き。

 ここぞとばかりに敵を罵倒するのかと思いきや、どうやらタマキは敵を認めているようだった。


「赤龍炎術『えんろう』か。なかなかの炎。お前ほどの使い手、つまらぬ術で死なせるのは不憫。手向けとして良いものを見せてやる。さあ……討伐の時間だ」


 タマキの手のひらに、小さな火の玉が出現する。


「煌々と燃え盛る紅球よ──……」


 無詠唱でシールド魔術を使っていたタマキは、ここで初めて呪文を詠唱した。

 確か……無詠唱は高等魔術師の証だが、同じ魔術師が行使するなら、言霊の効力と、犠牲にする時間のぶん、威力は詠唱したほうが上がるはず──


「これよりわれが求め召喚せしめるのは熾烈なる獄炎『灼熱連球イグニクス』。母なる大地ガイアの深淵より魔力を引き寄せ顕現し、が言葉に応えて敵を焼き尽くせ!!」


 目を開けていられないほどの光。続いて、一面の朱色。

 しかしシールドのせいで熱は感じない。それが、この魔術の威力を実感できないものにしていた。

 

 突然、胃がふわっと浮いたようになる。

 全く対応できなかったこの現象は、床が崩落し、下の階に落とされたことによるものだった。


 同じく、着地でバランスを崩したらしい鈴木さんは、よっこらせ……と呟いて立ち上がると、あたしの隣に来て、次のタバコに火をつけた。

 スーツの埃を手で払って、また指導的質問をする。


「今、タマキがいくつ魔術を使ったか、わかるかよ?」


「一つ。……いや、二つか。このシールドがありますよね」


「四つだ。火炎魔術『灼熱連球イグニクス』、熱に特化した結界魔術『銀の盾アルギュロス』、酸欠や一酸化炭素中毒から俺たちを護る風の魔術『気流の盾アエリオス』、天井コンクリートや床の崩落から俺たちを護る結界魔術『聖なる盾クストディア』。常識で考えりゃ納得できるだろ?」


 唖然とするしかなかった。


 任務完了、と顔色ひとつ変えずに宣言したタマキの頭頂部が、上方から注ぐ柔らかい光で照らされている。一瞬、ここが屋上だったかと錯覚した。

 炎と煙は収まり、あたしたちの頭上には月が見えていた。 

 

「相性が良けりゃ、相棒に頼らなくても問題ないかもな。しかし、今回みたいな場合は?」


「…………」


「分かったならいい。おい、そんなシケた面すんなよ、仕事が終わったら飲みに行くぞ! 命を懸けた討伐のあとは、スカッと飲むのが一番だからよ」

 

 ジジィがあたしの背中を陽気にバンバン叩く。 

 それとは対照的に、余裕で敵を一掃したはずのタマキは、なぜかあたしを睨みつける。戦いの最中と変わらない、厳しい眼光だ。


 この上、まだあたしに何か説教でもあるのかよ……と、あたしは心の中で毒づいていた。

 中学生魔女は、ツカツカとあたしのところへやってきて、あたしの全身を疑わしげに観察した。


「……なんだよ」


「間に合ったのか。タイミング的に無理だと思ったが」


 タマキは、厳しさと疑惑が混ざった視線を、流し目気味にエルフへ移す。

 それを受けたエルフは、小首を傾げて可愛く微笑み返す。


 マジで理解不能なこのやりとりを、あたしは無言で眺めるしかない。

 目を細めたタマキは、独り言のように漏らした。


「……まさかな」


 


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