第26話 〝頭上に気を付けろ!〟

「無理です、我が姫……〝アレ〟は、災厄です」


 反抗でも意地でも蛮勇ばんゆうでもなく、はっきりとした諦観が滲んだ声。


「登録名称〝黒き流体の四本腕ナイトメア・ナイト〟――最低推奨ランクは2桁上位50位以内、正真正銘の化け物と言っていいでしょう。不定形の流体で全身が構成され、耐性はあらゆる魔物の中でもトップクラス。物理攻撃は完全無効、魔法も足止めにしかなりません。さらに厄介なのが不定形ゆえの分裂性能で、短時間だけなら本体から切り離した流体の一部を自由に操ることも可能です。加えて、剣術の腕は【剣】の第四次解放到達レベル4を凌ぎます」


「えぇ!? そ、そんなに強いの、あれ……!?」


「はい。我が姫などあっという間に三枚おろし、さらには微塵みじん切りです」


 硬い声で告げるダフネ。


「…………」


 出会うのは無論のこと初めてだが、カルムにも知識はあった。黒き流体の四本腕ナイトメア・ナイトは確かに化け物だ。倒すことよりも〝かわす〟ことを第一目標にすべき凶悪な魔物。どんな冒険小説でも、大抵は〝見かけたら逃げろ〟と説かれている。


(しかし、逃げろと言われても……)


 ちらりと後ろの扉を見遣みやるカルム。……扉は、どす黒い流体でガチガチに固められていた。どうやら、逃がしてくれるつもりはないようだ。


「最後尾のメア様が部屋へ入った時には既になっていました」


 悔やむような声音でダフネが言う。


「極めて高い耐性を持つ黒き流体の四本腕ナイトメア・ナイトですが、唯一〝雷属性〟の攻撃だけは明確な弱点となっています。まともにぶつければ本体も分体も余すことなく蒸発するでしょう。だからこそ、雷地帯への誘導を遮ってきたものかと」


「そこまで知能があるのか?」


「おそらくはカルム様の想像以上に。最低推奨ランク2桁上位50位以内と言いますが、準備がない状態ならばそれこそミリューのトップ3を連れてきてようやく〝話になる〟レベルの相手です。何しろ〝雷魔法〟などという技能系統は現代に存在しませんので」


 絶望的な情報ばかりが紡がれる。


『――――――』


 くだん黒き流体の四本腕ナイトメア・ナイトは微動だにせずカルムたちの動きを窺っている。特に仕掛けてくるつもりはないようだが、だからと言って隙があるわけでもない。悠然とした構えは圧倒的な〝強者〟のオーラを感じさせる。


「……我が姫、それにメア様」


 短剣クナイを仕舞ったダフネがくるりと後ろを振り返った。


「時間だけはあるようですので……最期さいごに、でさせていただけないでしょうか? すべすべと、むにむにと、あんなところやこんなところも――」


「……待て、ダフネ」


「なんですか、カルム様? 今生こんじょうの別れなのですから、少しくらい我が儘を言ってもいいではありませんか。ちなみに、カルム様は見てはいけません」


「今生の別れにする必要がない、と言っている」


 唇を尖らせるダフネに小さく首を振ってみせる。


 そうしてカルムが指差したのは、正方形の部屋の奥……黒き流体の四本腕ナイトメア・ナイトを超えたさらに先にある壁だ。あまりに大きすぎて最初は気付かなかったが、そこには見上げるほど巨大な二重の円が描かれている。


 この〈天雷の小路〉ではあまりに見慣れた図形――。


 すなわち、あれはだ。


「んむぅ? ……って、あ! 分かりました、カルムさんっ!!」


 それを見たメアが、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらはしゃいだ声を上げた。


です! あそこに大きな丸が描かれていて、わたくしの手元には完成した裏ダンジョンの探索図マップ……! わたくし、名推理です! あれだけ大きな魔法陣なら天まで届く階段が作れるかもしれません! みんなで無事に逃げられますっ!」


「良い発想だが、少し違う。……地図を貸してくれ、メア」


 詳しい説明はすっ飛ばしてメアから探索図マップを借り受けるカルム。


 そして、


「――スクレ」


 傍らに立つ司書に、あるいはミリューの姫に声を掛けた。


「君の【鍛魔法】で僕の身体能力を可能な限り引き上げて欲しいのだが……その前に、一つだけ確認しておきたいことがある」


「? なぁに、メガネくん?」


「先ほど、魔王の話が出ただろう。僕は昨日、メアにそれを教えられた――かつての魔王が、人間を素体にして現代へ蘇ったのだと。スクレがどこまで知っているのかは分からないが、その〝素体〟は僕の幼馴染みだ。そして僕は、メアの持つ【祓魔ふつま】の力で魔王の魂だけを祓い、幼馴染みを……フィーユを救いたいと考えている」


「!」


「その場合……スクレは、僕の敵になるのだろうか?」


 問うと同時に、わずかな緊張が全身を支配したのが分かる。


 七年近くミリュー王立図書館に入り浸っていたカルムにとって、スクレは馴染みの司書であると同時に最も身近な人物だ。正体を考えれば〝身近〟とは程遠いが、それでも感情は変わらない。カルムなりに、最大限の信頼を抱いている。


(返答がイエスなら……それは、少し嫌だな)


 眼鏡の下で微かに表情を曇らせるカルム。


 けれど――そんなカルムの懸念は、極めて良い意味で、あっさりと裏切られた。


「なぁんだ、そんなことかぁ。【祓魔】の力で魔王を……なるほどね、だからメガネくんがメアちゃんに選ばれたのかも」


「……? それは、どういう……」


「ごめんごめん、こっちの話。……安心していいよ、メガネくん。【祓魔】の力で魔王が祓えるなら何の文句もない。!」


「……そうか」


 ならば、良かった。


 後顧こうこの憂いなく、安心して〈天雷の小路・裏〉を完全攻略することができる。


「ふむ……」


 メアを背後に隠し、カルムは一歩だけ前に踏み出す。


 平然と足が動いたのは、ダフネと違って実感がないからだ。黒き流体の四本腕ナイトメア・ナイトが強いことは知っているが、戦闘能力を持たないカルムにとっては雷光コウモリと変わらない。どちらも手も足も出ないから。


 ……だが、裏ダンジョンの作法に則れば。


 この場所でなら――カルム・リーヴルは、あらゆる冒険者を凌駕りょうがする。


「ちなみに、メガネくん?」


 スクレの声が背後から耳朶じだを打った。


「【鍛魔法】で身体能力を上げるのはいいけど、万能ってわけじゃないんだよ? メガネくんが格好よくアイツを倒すのはちょっと難しいんじゃないかなぁ」


「構わない。単純に、僕の体力では作戦を遂行し切れないというだけの話だ」


「そう? まぁ、それならいいけど……」


 納得したようにそう言って、とんっとカルムの背中に触れるスクレ。


 瞬間、カルムは思いきり床を蹴り飛ばした――【鍛魔法】系統技能・第一次解放【付強和音エンハンス】。スクレによって引き上げられた身体能力をフル活用し、普段では考えられないほどの速度で風を切る。


「っ……!」


 もちろん、ただ闇雲に駆けているわけではない。


 高い知能と分裂性能を併せ持つ災厄級の魔物・黒き流体の四本腕ナイトメア・ナイト。そんな化け物の動きを【解析アナライズ】でリアルタイム観測しながら【鋭敏ハイセンス】を併用して死角からの攻撃もケアし、複数の選択肢が発生する場合は【先見デジャビュ】で予め悪手をっておく。


 いっそ曲芸じみた無理やりな進軍だが。


魔法陣あそこへ辿り着くだけなら……僕にも、できる!)


『――――――!』


 ゴウッ、と振り下ろされた剣をすんでで躱す。


「ぬ、抜きましたぁ!? 凄いです、凄いですカルムさんっ!」


 メアの実況が少し遅れて追い付いてきた。


 そうしてカルムが辿り着いたのは部屋の対岸、壁際だ。壁いっぱいに描かれた巨大な魔法陣がまさしく目の前にある。


(……メアの発想は、良いところまで行っていた)


 ここ〈天雷の小路〉における共通のルールを思い出す――。


 二重円の魔法陣に何かしらの図形マークを重ねると、それが直ちに召喚される。目の前の模様は外枠だけで中身などないが、手元には完成した〈天雷の小路〉の探索図マップがある。これが裏ダンジョンへ繋がる〝階段〟を生み出したのは、確かに記憶に新しい。


 だが。


 そもそも階段の図形マークというのは、ジグザグと交互に折れる線のことを指す。それは、はずだ。表ダンジョンの天井に刻まれていた〝雷〟のマーク。それは、手元にある探索図マップだけで完璧に再現できる。


「但し書きを読まなかったのか? 四本腕」


 ……よって。


 壁に描かれた魔法陣に〈天雷の小路・裏〉の地図をカルムは、跳ね上がった身体能力でその場を離れながら、かちゃりと眼鏡に指を遣って言い放つ。


「このダンジョンでは……〝頭上に気を付けろ〟」


『――――――』


 ……ギミック攻略、完了。


 どぐしゃぁ、と激しい落雷が流体の魔物を貫いたのは、その直後のことだった。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜~~

次話は【12/27(金)20時】更新予定です!

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