第10話 1000年越しの契約

『あなたの他に、適任なんていないんです』


 どんな楽器でもかなわない綺麗な声音で、メアが真っ直ぐに告げる。


『わたしは――メイユールは、かつて勇者様と契約を交わしていた精霊です。自分で言うのもなんですが、少しだけ特別な存在なんです。そのため〈祓魔の大図書館ここ〉は侵入方法も攻略条件も非常に難しく、資質も才能も技量も全て兼ね備えた方にしか突破することができません。それでもあなたは、わたしを見付けてくれました』


「…………」


『わたしが1000年間待ち続けたのは――きっと、あなたに間違いありません』


「いや……そうは言っても、だな」


『……まだ、信じてくださらないのですか?』


 ほんの少し寂しげに眉を寄せるメア。……整った容姿故か清純な性質故か、カルムの心がきゅっと罪悪感で握られる。


「信じていないわけではないが、しかし――」


 かされるように言い訳を述べようとした、その時だった。


「っ!?」


『――――』


 ふわり、とカルムを包む白の衣。


 不思議な力で前に進んだメアが、両手を優しくカルムの頬に添え、額をこつんと触れ合わせてきた。互いの存在を間近に、どころか一体になって感じられるゼロ距離。甘い果実のような香りときめ細やかな肌の感触に息を呑んだ刹那せつな、重なり合った部分を通じて、がカルムの脳内に流れ込んできた。




 ――深々とフードをかぶった一人の少女が、身の丈を超える禍々まがまがしい剣でダンジョンを破壊し尽くし、か細く震える精霊の命をあっさりと絶つ。


 一目で分かった。彼女が魔王だと。現代に蘇った災厄の象徴なのだと。


 フードの下から覗くのは凄惨せいさんな笑みと、不吉な眼光。


 そして全身を包む黒いコートの胸元には、とある刺繍ししゅうがあしらわれている。


 それは、……カルムにとって、ひどく見覚えのある隊章シンボルだった。




「フィーユ……!?」


 ようやく、自覚した。


 メアの言う資質とは、適任とはそういうことだったのだ。カルムがミリュー王立図書館に通い始めて約七年になるが、ここで例の夢を見たのは今日が初めて。それによってカルムは〈祓魔の大図書館〉とやらへの侵入条件を満たしたのだろう。


 何しろ……世界を支配せんとする魔王。


 その素体になっているのは、


「……っ……」


 ぎゅっと右の拳を強く握る。


 大切な幼馴染みが魔王に〝使われて〟いるというのは、当然ながら度し難い事態だ。フィーユを失って、魔王が蘇った。最悪の上に最悪が重なっている。


 ただ、それでも。


(朗報だ。……


 カルムの思考回路は普通ではなかった。


 もう二度と会えないと思っていた幼馴染み、フィーユ。彼女はまだ世界のどこかで生きている。そして、彼女の苦境を救えるかもしれない力が――目の前にある。


「……メア、君に一つ訊きたいことがある」


 ごくり、と唾を呑み込んだ。


「【祓魔】の大精霊メイユール……君の属性は、きっと〝魔をはらう〟と書くのだろう。単に魔王を殺すのではなく、その魂だけを滅ぼすことは可能か?」


『可能です。そうでなければ、あなたを〝選ぶ〟ことはできませんから』


「……なるほど」


 最後の確認は終わった。……正確に言えば、覚悟のための時間が欲しかっただけだ。フィーユの現状を知った時点で、答えはとっくに決まっていた。


 だからこそ。


 真正面にある瑠璃色の瞳を覗き込んだカルムは、自らの意思ではっきりと告げる。



「ならば……僕に力を貸してくれるか、メア」


『はい、もちろんです。だって、わたしは――1000年間、あなたがここに来てくれるのを、ずっと待ち焦がれていたんですから』



 混じりっ気のない笑み。


 感じられるのは信頼と、それから前向きなこころざしだ。カルムと共に歩き出そうとする確かな意思。その輝きは、幼馴染みを失って図書館に縛り付けられていた少年カルムの足を――動かした。


「『…………』」


 どちらからともなく、静かに両手の指を絡める。


 カルムが知るお伽噺とぎばなしの中に精霊との〝契約〟に関しての記述はなかったが……手を繋いだ美しい少女と何をすべきかは、促されるまでもなく分かっていた。


 自分を信頼して目をつむってくれている少女。


 わずかに背伸びをしている精霊に顔を近付けて、そっと短い口づけを交わす。


『ん……』


(……甘い、んだな)


 ぼうっとした頭で感触を反芻はんすうするカルム。


 

 ――これは、今のカルムには知る由もないことだが。


 ダンジョン攻略とは、本来、そのダンジョンが有する〝裏〟のギミックを全て突破し精霊の力を借りることを指す。各ダンジョンを管理する精霊の心を読み解き、攻略し、契約を交わす。それが〝ダンジョン〟の真なる存在価値だ。


 つまりはギミックを攻略することで、


 カルム・リーヴル――彼は、無名の《謎解き担当》。


 それは〝表〟のダンジョンでは《無能ブランク》と侮られた、しかして、唯一無二の役職だ。



 ◆〈祓魔の大図書館・裏〉――第一層・攻略完了◆




 ♭♭ ――《side:魔王》――


「ま、まままままま魔王様ァ!!」


 ――深夜、大陸某所。


 上等なスーツを着こなした骨姿の紳士が、大慌てで主の居室に飛び込んだ。


「ご快眠中のところ恐れ入ります! ですが、緊急のご報告が……ッ!!」


「……申せ」


!!」


 カカッ、と全身の骨が一斉に音を鳴らす。


「信じられません……有り得ません! 特級ダンジョンの攻略はこの1000年で初めての事態! この私、骨身にも関わらず鳥肌が立ってしまいましたぞ!」


「…………」


「1000年前に魔王様を滅ぼした忌まわしき精霊メイユール……あの者が、よもや再び人間と契りを交わすなど! はらわた(※ない)が煮えくり返る思いです! あれは、魔王様の覇道を阻みかねません!」


 手にした錫杖しゃくじょうで力強く床を叩く男。


「動じるな、ジルウェットよ」


 そんな男――元魔王軍四天王・アンデットキングの称号を冠する配下に向けて、ベッドの上で身体を起こした少女が、もとい〝魔王〟が短く告げた。


ほうが我に施した転生の術式には、失った力を過去より取り戻す再帰の術も備わっている。1000年もの時が経っている故、回復には時間が掛かりそうだが……幸いなことに、そこら中に〝にえ〟が転がっているのでな」


 ――ダンジョンの管理精霊。


 魔王は知っていた。かの勇者が魔王かれの復活に備え、精霊たちの力を保存するためにダンジョンを用意していたことを。その嗅覚と行動力には感服を抱くところだが、しかし精霊の力を吸収することで魔王自身の完全復活も近くなる。異質な力を取り込むのに多少の休息は要するものの、1000年前の力を移送するよりはよほど早い。


 中でも、重要なのは〈祓魔の大図書館〉を始めとする七つの特級ダンジョン。


 そこに封印されているのは、かつて魔王軍を苦しめた勇者一行の精霊だ。1000年前、彼女たちと魔王軍の力はほとんど拮抗していた。


 ……では。


 特級ダンジョンに眠る精霊のうち、


 1000年前の大戦以来、新たな精霊は生まれていない。あれが人間側の最大戦力なのだとすれば、もう魔王を滅ぼすことなど不可能となるだろう。


 つまり。


。……身体を休めろ、ジルウェット。じきに忙しくなる」


「はッ! 魔王様の寛大な計らい、五臓六腑(※ない)に染み渡ります……!」


 感涙にむせびながら部屋を後にする骨身の紳士。


「…………」


 それを見送ってから、魔王は取り込んだ精霊の力を慣らすべく再び目を閉じた。……およそ七年前に施された転生の術式はすっかり定着している。最初はうるさいくらいに聞こえていた〝素体〟の声も、もうほとんど聞こえなくなってきた。


 ……だからこそ。



(お願い、カルム――早く、魔王わたしを殺しにきて)



 そんな少女の悲痛な願いは、誰にも届くことはなかった。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜~~

次話は【12/11(水)20時】更新予定です!

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