第9話 【祓魔】の大精霊・メイユール

 #5


「――――――」


 端的に言って、全身の細胞が震えるような思いだった。


 今さら再確認するほどの事でもないが、カルムは大陸一の読書家だ。故に数多の冒険小説の中で天使や女神といった登場人物キャラクターに出会ったことがあり、その度に彼女ら超常の存在が発する声を〝天上の調べ〟だとか〝聖なる福音ふくいん〟だとか、突き抜けた比喩で描写するさまを目の当たりにしてきた。


 そこに実感があったと言えば嘘になる。


 だが、


(こういう……こと、だったのか)


 緊張のせいか、自然と喉の渇きを覚えるカルム。


 少女の声は、美しかった――繊細だった。綺麗だった。可憐だった。それでいて迫力があり、厳かであり、居住まいが正されるものでもあった。


 彼女から目が離せないのと同様に、彼女の声から耳を離せない。不思議な魔法にでも掛けられているようだ。


「……ふぅ」


 どうにか息を吐いて思考をリセットする。


 それからカルムは、薄い羽衣ヴェールのような服に身を包んだ少女に声を投げ掛けた。


「質問を返す形になってすまないが……起こす、というのはどういう意味だ? 君はあくまで自然に目覚めたように思えたが」


『――なるほど、1000年前の伝説は既に途切れてしまっているようですね』


 ほんの少しだけ悲しげに、天上の声を零す少女。


 光に包まれて地面からわずかに浮いている彼女は、改めて瑠璃るり色の瞳をカルムへ向けると、両手をそっと胸元で組みながらこう言った。


『それでは、自己紹介から参りましょう――わたしの名前は、メイユール。【祓魔ふつま】の属性を司る精霊・メイユールと申します。メア、とお呼びください』


「……精霊、だと?」


 その言葉を理解するのにはしばしの時を要した。


 何しろそれは、だ。


 今から1000年ほど前のこと。この大陸の様子は現在とは大きく異なっていた。何せ当時は〝魔物はダンジョンにむもの〟という制約が存在しなかったのだ。魔王と呼ばれる頂点に率いられた魔の軍勢は、大陸を支配するべく人間たちを攻め立てた。


 この際、人間と共に戦ったのが〝精霊〟だ。


 古くからこの大陸に存在していたもう一つの種族。かつて精霊たちは人間と共存関係にあり、人間と手を組むことで強大な力を発揮した。


 そもそもダンジョンに眠る遺物や秘宝は全て〝精霊の加護を受けた旧世代の人間が遺したもの〟だという。1000年前に起こった魔王との大戦争の際も、人間側を勝利に導いたのはまさしく精霊の加護である。


 ただ――少なくとも、現代に精霊は生存していない。


 敗れた魔王による最後の抵抗。これにより、人間と精霊の繋がりリンクは完全に断たれてしまった。つまり、精霊はのだ。そしてその〝残滓ざんし〟だけが、現代の冒険者が技能を行使するためのエネルギー源となっている。


 いずれも子供向けの紙芝居の中で語られているような歴史だが……。


「精霊というのは……あの、精霊か?」


『どの精霊を想定されているかは分かりませんが、おそらくは。かつて人間の皆さんと一緒にこの大陸に棲んでいて、一緒に魔王軍を倒した〝あの〟精霊です』


「……だが、精霊は既にいなくなったと」


『おおむね間違っていません。魔王軍の抵抗により人間の皆さんはわたしたち精霊を感知できなくなり、力の弱い精霊は存在を維持できなくなってしまいました。それ以外の精霊は、こうしてダンジョンの奥に身をひそめていたのです』


 幾重にも揺らめく白の装束をなびかせて頷く少女・メア。


「ふむ……」


 対するカルムはかちゃりと眼鏡を押し上げる。


 細かいことは分からない――というか、分からないことだらけだ。ダンジョンでさえ非現実的だったのに精霊や魔王などと言われても、それを正面から受け入れられるわけがない。呑み込むのに時間がかかる。


 けれど、全容の理解は放棄したうえで、一点だけ引っ掛かる言い回しがあった。


(ダンジョンの奥に身を潜めていた……? 1000年も?)


 じっくりと思考を巡らせる。


 それは、単なる逃避ではないだろう。隠れていなければならない理由が、身を潜めてでも生き続けなければならない理由があったということだ。


 そしてその理由は、過去の大戦を踏まえれば容易に想像ができる。


『お察しの通りです』


 真っ直ぐな瞳でカルムを見つめて、メアがふわりと一つ頷いた。


。……正確には、この時代によみがえっています。一人の人間を素体にして魔王の魂を移す〝転生の秘術〟……早急に討たなければ、この大陸は瞬く間に魔王によって支配されてしまうでしょう』


「な……」


『ですが、ご安心ください。わたしは【祓魔】の大精霊・メイユール――ここまで辿り着いたあなたに、魔王をはらう力を授けましょう』


 宙を泳ぐような格好でカルムに近付いて、そっと両手を差し出してくるメア。どこか儀式的な、献身的な慈愛と荘厳な神々しさを同時に感じる立ち振る舞いだ。


「魔王を……僕が……?」


 けれどカルムは、その手を見つめて呆然と呟く。


 メアの言い分が理解できなかったというわけではない。1000年前の魔王が現代に復活していて、彼女はそれを祓う力を持っている。そしてどういう因果かこのダンジョンに迷い込んだカルムは、メアの力を預かる権利を有している。


(だが……)


 それは〝無能ブランク〟と蔑まれた《謎解き担当》が担っていい責務ではないだろう。


 ダンジョン攻略と同じことだ。魔物の一体すらも相手にできないカルムにとって、魔王をどうにかするなど女神や天使以上に実感がない。さらに根本的な問題として、カルムには死力を尽くしてダンジョンに挑む理由がない。


(もっと言えば……


 だからこそ。


「……すまない、メア」


 俯いたカルムが絞り出したのは謝罪の言葉だった。


 目の前の少女から悪意やそれに類する感情は全く感じられず、瑠璃色の瞳に映っているのはただただ全幅の信頼――なのだが、残念ながら、カルム自身がそれに耐えうる資質を持っていなかった。


「魔王の復活が一大事だというのには同意する。なるほど、確かに討たねばならないのだろう。が……それを果たすべき勇者は、僕でなくてもいいはずだ。僕は戦えないし、戦う意思もない。他に適任がいくらでもいる」


『いいえ、そのようなことはありません』


「……? どういう意味だ?」



 どんな楽器でもかなわない綺麗な声音で、メアが真っ直ぐにそう言った。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜~~

次話は【12/10(火)20時】更新予定です!

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