第4話 司書とメイドと特級ダンジョン
♭♭ ――《side:スクレ》――
「~~~♪」
ミリュー王立図書館に務める司書はさほど多くない。
それは
「よっ、と」
所属を示すエプロンを一気に脱ぎ去る少女・スクレ。
夜、もっと言えば深夜に差し掛かった頃のこと、図書館はようやく閉館時間を迎えていた。利用者は(スクレが合鍵を渡している眼鏡の少年を除いて)全員が退出しており、閉館後の掃除もたったいま終わった。
つまりはお仕事完了、だ。
「それじゃ、わたし帰るからね~! 寂しくても暴れちゃダメだよ~?」
――シン、と分厚い静寂だけが呼び掛けに応えてくれる。
むぅ、とスクレは不服も露わに腕を組んだ。……ミリューきっての美人司書と噂のわたしが声を掛けているのに返事もしないなんて、一体どういう了見なんだろう? まあ、どうせ本に没頭して聞こえていないんだろうけど。
とにもかくにも、スクレは小型のランタンを片手に外へ出る。
ミリュー王都の夜は明るい。秘宝〈
と、そこへ。
「――お待ちしておりました、スクレ様」
涼やかな夜の気配に似た声が見事に薄闇を切り裂いた。
図書館を出たスクレを迎えたのは、すらっと背の高い一人の女性だ。深い紺色のショートヘアに、溜め息が出るほど美しい顔立ち。
「うん。お待たせ、ダフネ」
ダフネ・エトランジェ――。
彼女は幼少期よりスクレに仕えている専属のメイドであり、今この瞬間に限って言うならば、
「寒くなかった? ごめんね、閉館作業が長引いちゃって」
「寒さについては問題ありません」
短く首を横に振るダフネ。
「ですが、その言い分は奇妙ですね。それではまるで、我が主が真面目に仕事をこなしていたかのようですが……」
「ひどくない!? わ、わたしだってたまにはちゃんと働くんだから! ……まぁ、長引いたのは途中でサボり過ぎちゃった分のしわ寄せだけどさぁ」
「…………」
「『ほぅらやっぱり』みたいな顔してる! うぅ、いいじゃないか少しくらい!」
「もちろん大丈夫です、スクレ様。我が主に普通の仕事が務まるとは、そもそもこれっぽっちも思っていませんので」
「フォローのフリして
ぷくぅ、と頬を膨らませながら噛み付く(もちろん比喩だ)スクレと、それをどうどうと適当にいなすダフネ。二人の関係性を知らない者なら和やかな姉妹のやり取りにでも見えたことだろう。……逆に、スクレの身分を知る者なら、ダフネの蛮勇に肝を冷やしたかもしれない。
だが、彼女たち主従にとってはこれが平常運転なのだった。
「それにしても……我が主」
そこで(飽きたかのように)話題を切り替えたのはメイド服の少女だった。彼女は夜空に似た深い紺色のショートヘアを微かに揺らして、王都の端――つまりは目の前にそびえる図書館を見上げる。
「また、ですか」
「へ? あぁ、うん。……よく分かったね、ダフネ?」
「何度も目撃していますので」
す、っと静かに目を細めるダフネ。
彼女の持つ紺色の瞳が捉えているのは、図書館の外壁……などではない。二階の窓からわずかに漏れるランプの光だ。
「全く……」
誰が残っているのか、など、ダフネにとっては聞くまでもなかった。
カルム・リーヴル――誰よりも高い頻度でこの図書館を訪れる冒険者だ。三度の飯よりも、そして睡眠よりも読書を愛する彼は、家との往復時間を嫌って
……まあ、それを可能にしているのはダフネの主が渡した合鍵なのだが。
とはいえダフネも、そこに文句を言うつもりはなかった。カルムという少年が火の扱いを誤るとは思えないし、かれこれ七年以上も
けれど一点だけ、確認しておくべき事柄はあった。
「スクレ様。……良いのですか? あのような危険地帯に、彼を放置してしまって」
この世界には無数のダンジョンがある――。
不思議な力を持つ遺物が、そして世界を飛躍的に進化させる秘宝が眠る旧世代の遺構。大陸全体で数万人に及ぶ冒険者たちはダンジョンに巣食う魔物を
そして、
「今さら言うまでもありませんが。ここ
……特級ダンジョン。
それは、数あるダンジョンの中でも特に〝謎に包まれた〟遺構を指す言葉だ。ギルドの記録にあるのは〈海底神殿〉と〈遥かなる天空の頂〉と〈遍在する悪夢〉の三つのみ。これらに関しても偶然迷い込んでしまった事例があるだけで、侵入方法は明らかになっていない。
そして〈祓魔の大図書館〉に至っては、名前以外の情報など完全に皆無――。
スクレの家に残る伝承がなければ彼女自身もここがダンジョンだったとは思いもよらない。存在すら知られていない、難攻不落の特級ダンジョンなのである。
「んもぅ、ダフネは心配性だなぁ」
渋面を浮かべるメイドの隣で、上機嫌のスクレがくるくると人差し指を回す。
「大丈夫だって。〈祓魔の大図書館〉の〝表〟には魔物なんか出ないんだから。それに、時間外利用なんていつものことだし」
「なるほど。……つまり、もしカルム様が明日の朝ボロ雑巾の如く残忍な死体で発見された場合、我が主が全ての責任を負う覚悟だと」
「そ、そこまでは言ってないけど……え、大丈夫かな? メガネくん、死んじゃう?」
「知りません」
やれやれ、と深い溜め息を吐くダフネ。
実際のところ、何かが起こる可能性は限りなく0に近いだろう。ただし、皆無とは言い切れない。
「……私も、普通ならこのような懸念は掃いて捨ててしまうのですが」
困ったようにダフネが小さく首を横に振る。
「ダンジョンの〝裏〟が関わっているなら、必要なのは戦闘能力ではありません。そして、我が主の話によると……あの少年、他の系統はともかく【知識】の到達レベルだけは異常に高かったはずでは?」
「そうだよ。……鑑定結果、見る? ギルドから借りてきてるけど」
いそいそと懐から一枚の紙を取り出すスクレ。
そこに刻まれた文字列を見て、ダフネが「え」と目を丸くする。
「
「うん。武器も魔法も適性0だから、役職としては〝
「……彼は、その域に到達していると?」
「分かんないよ。分かんないけど、でも……」
七年以上もカルムを見てきた司書、スクレは知っている。
彼が大陸内に存在する全言語どころか、既に失われた古代文字も含めて全て理解していることを。論文も図鑑も資料も余さず好み、特に物語に関しては、ミリュー王立図書館が誇る圧倒的な蔵書の大半を読み尽くしてしまっていることを。『槍使いノエルの武勇録』はミリュー国内では正規流通すらしていない、自費出版の
「……【知識】系統の力を磨く最善の方法は、本を読むことだよ」
王都の夜闇にスクレの声が静かに響く。
「技能の到達レベルは、適性だけじゃなく〝経験〟――たとえば【剣】系統の技能なら剣を使ってどれだけの魔物と渡り合ってきたか――で伸びていく。……それじゃあ、ここで問題!」
声は潜めたまま、スクレがパッと片手を上げた。
「一週間に三回ダンジョンに挑む《筆頭剣士》役職の冒険者は、一ヶ月でどのくらいの経験を積めるでしょう? 自主練は毎日二時間くらいで!」
「……えい」
「ひたいひたい!? にゃんで頬っぺたムニムニするんだよぅ!?」
「我が主がやたら可愛かったので。……そうですね。一回の攻略を六時間程度と見積もるなら、およそ百三十時間でしょうか」
「えぇ~? ダフネ、計算早すぎだよぅ。まだ答え分かってないのに……」
「問題を出すなら予め答えは用意しておいてください、我が主。……それで? この問答に、一体何の意味があったと――」
「メガネくんは、毎日朝から晩まで本を読んでるよ。一ヶ月なら五百時間以上、かな?」
「…………、な」
ダフネが絶句したのは、カルムという少年の執着に呆れたから――ではない。
とんでもない、ということに気付いたからだ。
もし他の技能系統における〝修練〟が【知識】における〝読書〟に相当するなら、カルム・リーヴルは並みの冒険者の四倍近い速度で【知識】系統の到達レベルを引き上げていることになる。
もちろん、ダンジョンで【知識】など役に立たないが……それは、表の常識だ。
「『ダンジョンには魔王を討ち払う鍵が眠り、次なる勇者がその鍵を手に入れる』……」
歌うような声音で〝伝承〟の一節を口にするスクレ。後ろ手を組んでくるりと身体を反転させた彼女は、眩い金糸を揺らめかせながらダフネの瞳を覗き込む。
「ひょっとすると、ひょっとするかもしれないでしょ?」
「……はぁ」
そんな主のワクワクとした瞳を間近で見たメイドは、露骨な溜め息を一つ零して。
「では、ほんのチリ程度には期待しておきます。……我が姫」
自らの主――外出時には〝スクレ〟の名を使い、メイクと技能によって容姿を偽っているミリュー王国の華、リシェス・オルリエール王女殿下にそう答えた。
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次話は【12/5(木)20時】更新予定です!
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