第3話 サボりがちな美人司書

「はい、どーぞ。……相変わらず早いね? もう読み終わったんだ、そんな分厚いの」


 と――。


 微かに腰を浮かせたカルムの動きを遮る正確無比なタイミングで、机の上に一冊の本が置かれた。それは、紛れもなく『槍使いノエルの武勇録』第八巻。カルムが探しに立とうとしていた冒険小説の続き、そのものである。


「む……よく分かったな、スクレ?」


「そりゃね。だってわたし、曲がりなりにも司書だもん。千里眼だって使えるのだよ」


 適当な調子でうそぶきながらカルムの隣に腰掛ける一人の女性。


 彼女は、ここミリュー王立図書館に務める司書だった。


 肩の辺りで内側に巻いたボブカットの金糸、やや童顔であどけないながらも可愛らしい顔立ち。制服代わりのエプロンには〝スクレ〟と名札が掛かっている。具体的な年齢は知らないが、体感としてはカルムより一つか二つ年上だろう。


 カルムがここへ通い始めた頃からの知り合いであり、最も馴染み深い職員と言える。


「よっと……はふぅ」


 さっそく本を手にするカルムの隣で椅子を引き、次いで流れるように腰を下ろし、さらには両手を机に投げ出すような格好で「う~~ん」と伸びをするスクレ。


 さながら実家でのくつろぎ方。


 とてもではないが、仕事中の司書とは思えない。


「……なぜ座る?」


「何故って、そんなの決まってるじゃないか――おサボりだよ、メガネくん」


 片側の頬をぺたりと机に触れさせたまま、不真面目な司書がカルムを見上げた。


「わたしは優秀な司書だから、キミが探している本をすぐに見つけられた。つまり時間が浮いたんだよ。浮いた時間をどう使うかはわたしの勝手だから、サボったって全然OKってことになるよね。キミもそう思うでしょ?」


「? まあ、好きにすれば良いとは思うが……」


「うんうん、話が分かるじゃないかメガネくん」


 満足げに頷いて、司書――ではなくサボリ中のスクレが再び机に突っ伏す。エプロンに包まれた大きな胸が机との間でぎゅむっと形を変えるのが分かった。


「ふむ……」


 カルムの知る限り、この司書は仕事時間の大半をこうして過ごしている。……が、言った通りだ。真面目に仕事をしろと文句を付けるつもりはないし、そんなことは最初から思ってもいない。文字通り、好きにすれば良いと思う。


「っと、そういえば……」


 そうしてカルムが本の表紙をめくろうとした刹那、ふとスクレが声を上げた。


「また悪口言われてたみたいだけど。ほっといていいのかな、メガネくん?」


「……悪口?」


「なんだよぅ、誤魔化すことないじゃないか。さっきのアレだよ、アレ」


 くいくい、と顎を突き出すようなジェスチャーをするスクレ。


 彼女が示した先には既に誰もいない――が、そこは先ほどまで二人の冒険者が陣取っていた場所だ。となれば〝悪口〟の内容にも見当は付く。


「あの子たち、言ってたよね? ほら、キミが持ってる【知識】系統は最弱で、《謎解き担当》役職は役立たずで、あとカルムくんはメガネだって」


「最後のは言われていないが?」


「あれ、そうだっけ? じゃあわたしが心の中で思ってたやつかも」


 しれっと付け加えるスクレ。とはいえカルムが眼鏡を掛けているのは何も間違っていないため、少なくともそれは悪口の類ではない。


 というよりも、だ。


「確かにさげすまれていたかもしれないが、言い返す理由は何もないだろう」


 手元にある本の装丁そうていを撫でながら、カルムは静かに首を横に振った。


「冒険者とは、すなわち魔物を倒すものだ。たとえば『槍使いノエルの武勇録』の主人公ノエルは【槍】系統の使い手。巨大な槍でどんな魔物も一突きにする。『楽天家シャンスは眠らない』の主人公シャンスは、周囲には隠しているが実は【闇魔法】の系統に強力な適性を持つ《悪魔神官》役職だ。魔物に弱体化デバフをばら撒き、瞬く間に殲滅せんめつしてしまう」


「派手だよねぇ。魔物って、この図書館くらい大きいのもいるんでしょ?」


「ああ、秘宝を狙うならば避けられないだろう。……その点で言うと〝【知識】系統は弱い〟や〝《謎解き担当》役職は無能ブランクの代名詞〟という認識は事実だ。仮に僕がダンジョンになど放り出されたら、探索するどころか最初に出遭った魔物に殺される」


 何故なら――


 カルム・リーヴルは大陸共通冒険者ギルドの中央国家王都支部ミリュー第1に籍を置く、正式な冒険者だ。ただし先ほどの彼らが口々に言っていた通り、カルムの有する【知識】系統はいわゆる補助技能。いくら鍛えても魔物を倒す術を一切持たない。


 だから、事実なのだ。


 役立たずのカルムがダンジョンを避けて図書館に引き籠もっているというのは、紛れもない事実なのだ。


「ふ~ん?」


 どこか不服そうな声が上がる。声の主は、もちろんスクレだ。


「その話なら前にも聞いたけど……関係なくない? 悪口は悪口、良くないことだよ。メガネくんには言い返す権利があると思うけど」


「何故だ? 謂れのない誹謗中傷ひぼうちゅうしょうなら正すべきかもしれないが、事実ならば正しようがないだろう。……それに」


「? それに、どしたの?」


「親しい人間に言われるのならともかく、見ず知らずの他人に貶されたところで僕には何の支障もない。つまり、どうでもいい」


「うわぁ……またメガネくんの屁理屈へりくつ劇場が始まっちゃったよぅ」


 呆れたような声を零すスクレ。


「可愛くないなぁ、もう。そこは『僕を馬鹿にするなんて何事だ! ミリュー王国の法を総動員して一生ごくに閉じ込めてやる!』くらい騒いでくれないと」


「図書館は大声禁止、何なら私語厳禁だったはずだが? 二階に他の利用者が一人でもいれば、僕はこの会話すら無視している」


「えぇ~? いいじゃないかぁ、ちょっとくらい付き合ってくれたって。わたし、こう見えても美人司書って言われてるんだよ? 果報者かほうものじゃないか、キミ」


 突っ伏した顔を半分だけカルムの方へ向けて、口端を釣り上げたスクレは人差し指の先端でツンツンと(ろくに鍛えていない)カルムの二の腕をつつく。


「美人司書……?」


 容姿が抜群に整っていて誰に対しても気さくなスクレが図書館利用者の間で密かな人気を博しているのはカルムも知るところだが、果報者と言われてもよく分からない。二の腕を突かれるのがご褒美だとでもいうのだろうか。


「とりあえず、本を持ってきてくれたことには感謝する。……が、司書に容姿は関係ないだろう。スクレが仮に目を覆うような化け物でも、同じ仕事をしてくれるなら僕にとっては等しく感謝の対象だ」


「……それ、褒めてる? 貶してる?」


「どちらでもない」


 言及を避けていよいよ本の世界へ入り込もうとするカルム。


「んもう、メガネくんは薄情だなぁ……いいよ、わたしはお仕事に戻るから」


 そんなカルムの姿を見て、しばしの休憩を終えた司書は微かに唇を尖らせながら席を立った。彼女が伸びをすると同時にさらさらと揺れる薄い金色のボブカット。鼻歌交じりに去っていこうとしたスクレが、途中で「あ」と上半身をひるがえす。


「一つだけ言い忘れてたよ、メガネくん」


 透き通るような緑色の――あえて言うなら翡翠ひすいの瞳がカルムを見つめる。


「さっきの話。確かに、今のキミはちっとも戦えないかもしれないけど……弱いとか、役立たずとか。そういうのは、もしかしたらかもしれないよ?」


「……? それは、どういう――」


「教えてあげない。……だって、図書館は私語厳禁だってメガネくんが言うからさ」


 人差し指を口元で立て、片目を瞑って悪戯いたずらっぽいウインクを決めるスクレ。


「……まあ、いいか」


 去っていく司書の背を見送ってから、カルムは改めて手元の本を開くことにした。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜~~

次話は【12/4(水)20時】更新予定です!

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