第13話 動く歯車


[side: セリス]


 今日もサマンサさんとベッドの上で体を動かす練習をしている。リハビリっていうらしい。今では少し重いものを持ち上げるのは難しいけれど、大分自由に動かすことができるようになった。


 だんだんと自分の体を動かせるようになっていくのは自分の体を取り戻していくような感覚だ。


「カイル殿下、来て頂きましてありがとうございます。」


 サマンサさんとのリハビリを終えると殿下が執務を終えるといつも会いにきてくれる。扉から顔を見せた殿下の顔はどこかいつもと違って真剣な色が見えた。


「今日、王太子の地位を剥奪され、ロータス公爵として封爵された。だから私はもう殿下じゃないよ。カイルと呼んでくれないかな?」


一瞬、何を言われたのか理解できなかった。王族から封爵されるというのは、国王になる資格を失うことを意味していた。


 殿下でなくなる。それはつまり、私がカイルと結婚することはできないことを表していた。野心家の父が、王位を継げない彼との婚約を許すはずがない。


 そう思うと、カイルへの恋心が痛んだ。婚約破棄を宣言された日、私は恋心を心の奥底に放置して忘れようとした。


 それなのにカイルは何度も私のところに赴き、昔のようにたわいもない会話をした。毒で気が弱くなって当たってしまった時も優しい言葉で包み込んでくれた。


 私が傷つくことがないように気を遣ってくれているのが嫌でもわかってしまった。今では婚約破棄をされる前より恋心膨らんでいることを実感した。


 せっかく、クレマチス嬢がいなくなったのに、今度は親が私の恋路の邪魔をする。クレマチス嬢が処刑されて喜ぶ自分に気付きまた胸に暗い嫌悪感が湧いた。


 けれど、今目の前のカイルの状況を理解することで、改めて彼の言葉の意味を噛みしめた。


「どこかの領地を賜ることになったのですか?」


「ああ、元クレマチス公爵領のエシル平原不毛な土地アスハル領紛争地域クレイヴァルト港闇組織の影響が大きいと王家直轄領のモランデル山廃坑とまあ、他にも統治するには癖の多い地域ばかりだったよ。」


 カイルは困ったように笑っている。とにかく統治するのがめんどくさい、旨味のない場所ばかりに何故か私が頭を抱えることになった。なんで私が頭を抱えないといけないんだ。胃がムカムカしてくる。


 そんな場所ばかりじゃ、父を説得できないじゃない!こんなに、こんなにカイルのことを想っているのに!


「笑っている場合ではないでしょう!これからどうするの!」


  その後、彼とどう治めていくかについて話し合った。話が一段落したところで、カイルは突然こう切り出した。


「セリスさえ良ければもう一度、私と婚約してくれませんか?」


突然の言葉に胸が跳ねる。それでも、すぐに冷静さを取り戻した。


 ホオズキ家の現状を考えれば、カイルとの婚約は何の利益ももたらさない。それどころか、問題だらけの土地ばかりを抱えた彼と再び婚約することは、父が許すはずがない。

 それに、一度婚約を破棄されたという事実がどうしても引っかかる。クレマチス嬢との婚約が破談になったから私に戻ってきたように感じられるのが、どうしても許せない。


 それでも――もし一緒なら、泥舟に乗るのも悪くない気がする自分がいるのも事実だった。


 それでも、なんか馬鹿にされたような気がしてきて無性に腹が立った。


「お断りさせていただきます。」


 笑顔で言い切った。今はこれが自分の答えだと思えたからだ。きっと後で後悔するのだろうけれど。


「分かったよ。精神的に落ち着いたようだし、後でこの手紙を読んでおいてくれないかな?」


 納得したような顔でそういうと手紙を置いた。……断られたのに納得した顔?少しくらい残念そうにして欲しかった。モヤモヤと心の中が曇っていくように感じた。


 カイルは部屋の隅に行ってこっちを見ている。手紙を読めということだろう。


 手紙には2週間も前の日付が書かれていた。


 ――――――――――――――――――――

 親愛なるセリスへ


 今、私たちは事業に失敗し、苦しい状況に置かれている。私たちのためにこれまで頑張ってくれていたセリスに負担を強いることはホオズキ侯爵家当主として情けなく思う。


 私のこと嫌っていることを私は気づいていた。この程度の苦難、自力で越えてみせるから心配するな。


 セリス、お前をホオズキ家から除籍する。どうか自由に過ごして欲しい。これまで負担を強いて悪かった。今後のことはカイル殿下に任せてあるから心配する必要はない。


          ヴァール・ホオズキ

 ――――――――――――――――――――


 なんだかとても気持ち悪いことが書いてあった。父は私のことを自分の出世の駒としか見ていなかった。


 それが手紙では今までのことを謝罪している。さらには自尊心の塊のような父なのに情けなく思うとか書いてある。


 そのことがホオズキ家から除籍されたことよりも何か自分の知らないところで取引がされたような気味悪さを覚えて、短い手紙なのに理解するのに時間がかかった。


 ん?除籍された?


 その事実の本当の意味を今更、理解して混乱した。


 除籍されて平民になっている私がまだ王城の一室にいることに戸惑いを覚えた。かといってこちらを見ているカイルに今更、敬語を使うのも嫌だ。


 平民になった私は今までのように暮らすことができない。貴族が平民になってうまく生きていけないことはよく理解している。


 手紙から視線を上げると、カイルが静かに部屋を出ていこうとしている。思わず声が出た。


「カイル!」


 振り返った彼の顔には、驚きと安堵が同居していた。自分でも信じられないくらい、強い声だった。


「私も……一緒に行きます。」


 その言葉を口にした瞬間、自分の中で何かが弾けた気がした。これまで言われて行動していた私が、誘導されているような気がして気に食わないけれど、自分の意思で行動を起こそうとしている。そのことに心臓が大きく脈打ち息が少ししづらい。


「いいのかい?」カイルは少し目を細めて聞いてきた。


「こうなることは分かっていたくせに。私にはもう何もありません。ですが、あなたには……私の脳が必要なはずです。」


 カイルの口元が柔らかくほころぶ。それがどこか安堵したように見えたのは気のせいだろうか。



「セリス様、明後日には領地の方へ出立しますので必要なものがあればお申し付けください。」


 カイルが去った後、サマンサさんがそう言った。


 「は?」


 日程の急さに驚き、思わず呆けてしまう。明日は準備だけで終わってしまうではないか。

 カイル、どうして貴方はこんな急なタイミングで話を持ってくるの!もう少し余裕を持って教えてよ!


 父からの手紙に感じた気味の悪さや、これまでの悩みがどこかに吹き飛んでいた。


 ……結局、私はまた彼と共にいることを選んだのだ。そこに気づくと、少しだけ可笑しくなった。


「やれやれ、また振り回される日々が始まりそうね。」


 そうつぶやきながら、私は次に備える準備を始めた。

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