第9話 壊れた未来の修復者

[side: カイル・フォン・エリシア]


 甲高い金属音と共に目を覚ました。そういえば、昨日セリス嬢の様子を急いで見に来てそのまま眠ってしまったことを思い出した。


 すぐに謝って退出しようとした時、セリスの声が聞こえてきた。


「どうして、どうしてなんですか?」


 その声は聞き取るにはとても小さかったが、言葉にできないほどの悲しみと怒りが凝縮されているようだった。今になってセリスに無配慮に会いに行った自分の行動がまずいんじゃないかと思い始めた。セリスに負担をこれ以上かけないようにしようと誓ったばかりなのに。



 ――俺は馬鹿か。


 自分の心を知らぬとばかりに手酷く裏切った男が目の前にいるのだ。どんなに心優しいセリスでも怒るのは当然だろう。


 結局、俺は「セリスのために」と言いながら自分のことばかりを気にして、セリスのことを慮る配慮に欠けている。そのことが堪らなく心苦しい。



「座学が嫌いなのに、王妃教育を頑張ったんです。カイルが王国創世記が好きだと聞いて、理解しようと無理して読んだんですよ。私は……」


 セリスの独白が始まった。彼女の声は徐々に涙にかすれ、言葉が途切れがちになる。それでも、彼女がどれだけ自分のために努力してくれたか、その事実が容赦なく突きつけられた。


 この独白で俺はセリスのことを何も理解できていないこと。その事実が容赦なく突きつけられた。


 いつも、本を読んでいるのは座学が好きだからだと思っていた。けれど、俺の役に立とうとするセリスの無理の産物だった。


 誕生日に渡された国花のレムリアの刺繍されたハンカチはどこか不器用な印象を与えられた。だが、それはセリスが俺の好きな花を聞いて、一生懸命に作ってくれた証だと今さら聞いて分かった。


 あのハンカチに俺はなんて言っただろうか?


「不恰好な花だな。見る目がないのか?」


 たしかそう言ったはずだ。――あぁ、最悪だ。その時、私はセリスが完璧すぎて彼女との距離を取れないことで彼女がまた襲われてしまうんじゃないかと焦りを感じていた。


 だから、彼女らしかぬミスを見て思わず言ってしまったことだった。という思いが先行して、きつい言葉になってしまったのを後悔していたので覚えていた。


 そのハンカチは今も丁寧に畳んでセリスからもらった宝物BOXに入れられている。


 心の中で後悔の声が鳴り響いている。それでもセリスの独白は続いた。


 ――私が美味しかったと言っていた異国の少し崩れたお菓子

 異国で食べた時よりも私の好みに合わさっていて美味しかった。


 ――私がスラム対策の政策に苦労していることを知ったセリスの献策。

 完成度が高く、ほとんど変更することなく実行できそうなものだった。


 他にも、他にもセリスが私のためにしてくれたものばかりだった。それに対して俺はどうしただろうか?全て何かしら文句をつけていたと思う。


 自分がどうしようも無く自分勝手で嫌な存在だと思い知らされた。後悔で胸が張り裂けそうなほど痛むこの状況から逃げたかった。


 それでも逃げるわけにはいかなかった。セリスにおこなった自分の行動から逃げることはできない。



 セリスの独白は途切れ途切れになりながらも続いている。言葉がまとまらず、感情がそのまま噴き出すような状態だった。やがて、その独白は次第に幼い口調へと変わっていった。


「……ねぇ、カイル。あのね、わたしね……もっと褒めてほしかったの……!」


 突然、セリスの声色が幼くなり、彼女はまるで子供のように訴え始めた。驚いて顔を上げると、彼女は涙をぽろぽろ流しながら、幼子のように手を差し出していた。


「どうして見てくれないの?頑張ったよ、いっぱい……!本も読んだの、難しいのに読んだの!だから、ねぇ……褒めてほしいって思ったのに……!」


 セリスは顔をくしゃくしゃにしながら、まるで子供が駄々をこねるかのように俺に訴えかけてくる。その姿が痛々しく、彼女の中に潜む孤独と無力感を突きつけられるようだった。


「ねぇ、カイル……褒めてよ……可愛いって言ってよ……!頑張ったのに、どうして何も言わないの……!」


 さっきまでの口調に戻ったセリスが泣きながら言葉を紡ぐ。胸が締め付けられるようだった。これは俺のせいだ。俺が彼女を追い詰めてしまったのだ。目の前で幼児退行したり戻ったりする姿は不安定でそんな不安定な精神状態にしたのは他らなぬ俺だった。


後悔に全身が締め付けられる思いだった。これが、俺の言葉や行動が積み重なった結果だというのか――。


「あぁ、かわいいよ。この世で一番。」


そう答えたものの、その言葉が彼女の慰めになるかどうか分からなかった。


 その後もセリスの精神状態は幼少期と今を行ったり来たりした。ただ俺はその問いに誠実に答え続けた。

 

 最後にセリスは思いのたけをぶつけるように叫んだ。


「こんなに……こんなに愛していたのに、どうして……!」


 あんなに酷いことをしていた自分を愛してくれていたセリスがいじらしく、とても可愛い。そんな彼女を傷つけて知らぬ顔をしていた自分を猛烈に殴り飛ばしたい衝動に駆られる。



「セリス……本当に、ごめん。俺が、全部……」


 全てを謝りたかった。セリスへの想いは変わらないと嘯きながら、セリスのことを見ていなかった自分に気づかされた今、自分の言葉の全てが空虚に響く。


 そもそも、これは俺が罪悪感から逃れるための謝罪ではないと言えるのだろうか?



 否定できる自信がなかった。今さっき、セリスの独白から逃げようとした自分が罪悪感から逃げようとしていないと言えなかった。


 ただこの気持ちだけは本当だと言える。セリスの痛みを少しでも和らげたい。



 彼女の涙を無駄にしないためにも、俺はただただ優しく抱きしめるしかなかった。



「ごめんな……、すまない……」


 どんな言葉もセリスのためになるとは思えなかった。それでも少しでも楽になってくれたらと繰り返し謝り続けた。セリスが眠りに落ちようとしているのを感じ、ベッドに横にした。目を瞑って少しは纏う絶望感が薄らいだことを感じ、ただ一つ手を握って約束した。


「絶対に幸せにするから……。」


 彼女は安心したように眠りについた。これからの彼女のことまだまだ考えなければならない。出る時にメイドにもう一度、セリスの世話を命じ、執務室に向かった。


 –––––傷つけた彼女がもう一度笑えるように




次話は短いので数分後にすぐ更新をします。

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