第5話 ズレる歯車
[side: カイル・フォン・エリシア]
やっとだ、やっとクレマチス公爵を追い落とすことができる。クレマチス嬢と婚約することにした旨を届ける際に潜り込ませた密偵がついに降爵するに値する悪事を見つけることができた。
セリスやったよ。ついに、クレマチス公爵の悪事を暴いて見せたよ。
早くセリスを懲罰室から出してあげなくちゃ。もう、縁起でも嫌うふりをしなくて済む。そのことが何よりも嬉しい。手紙をしたため、今日の昼食後にでも会ってこれまでのことを手紙で謝ったけれど、直接謝りたい。
自室で一通の手紙を書き終えると、それを封蝋で閉じ、近衛騎士に託した。手紙の内容は簡潔だが、十分に誠実さと配慮を込めた。
––––––
セリスへ、
懲罰室での生活は不便なことも多かっただろう。
だが、ようやく君をそこから解放できる知らせを届けられる時が来た。
クレマチス公爵を落とすことができそうだ。
今まで失礼なことを言って申し訳なかった。
直接謝らしてほしい。
今日の昼食後に懲罰室に迎えを出す。
カイル・フォン・エリシア
––––––
昼食が終わる頃、カイルはクレマチス公爵を落とすための文書を作成を終えることができた。お茶と菓子の用意をして待っていた。
なぜか、クレマチス嬢も部屋になんの許可も得ずに入ってきているが、言っても無駄なのと今日でクレマチス嬢といるのも最後だと思うとどうでもいいかと放置することにした。
本当は自分自ら、騎士を伴って迎えに行きたかった。けれど、セリスは容疑者として幽閉していた手前、王族自らが迎えに行くことは不可能だった。
「ホオズキ・セリス嬢、到着いたしました。」
扉が開かれ、俯いた薄汚れた女性と騎士のレナード卿と
「おい、セリスはまだか?」
レナード卿に尋ねた。レナードは一緒に入ってきた俯いた女性の髪を掴むと顔を上げさせ、
「彼女がホオズキ・セリス嬢です。」
と淡々といった。セリス嬢の髪を掴んで無理矢理、顔を上げさせた無礼よりも今の彼女の姿が1週間少し前に見た時よりもやつれ、目の下には大きな黒いクマができ、肌が荒れていた。言われても信じられないほどの変わりっぷりに現状を理解できない。
おかしい、彼女にはメイドを一人つけていたはずなのに何故こんなにも、肌が荒れ、髪をくすんで乱れているのかが分からない。メイドは何をやっていたんだ?
食事をしっかりと届くようにしてたのになぜこんなにも痩せってしまっているんだ。ちゃんと食事をとっているって聞いてたのに。
「いい加減にしてください!」
と言い、セリスがこちらに歩いてくる。彼女の目は怒りに染まっていてその目はクレマチス嬢を映していた。
「私がどれだけ努力してきたかも知らないくせに――!」
セリスはそう悲壮感の漂った声で叫ぶと手を振り上げていた。
「セリス、やめろ」
ここでまだ公爵令嬢のクレマチス嬢を叩かれると問題になってめんどくさくなる。そう思い急いで彼女が手を振り下ろす前に止めた。その時、急いで止めたせいで力を少し入れ過ぎてしまった。
セリスは私の方を見て驚いた顔をするとすぐにその顔が絶望に染まった。この時、私は何か取り返しのつかないミスをしてしまったことに気がついた。
「セリス……」
心配で仕方がないけれど、こんな時にかけるべき言葉が見つからない。「……そうですか。」ただそれだけを納得したように言うとセリスは私たちに背を向けると部屋の外に向けて歩き出した。
「セリス、待ってくれ。まだ俺は何もセリスに伝えることができていない」
「セリス、やっと、やっとなんだ。やっと……」
もう自分でもテンパリすぎて何を言っているのか分からなくなってきた。それでも今この時を逃すとセリスが遠くに行ってしまうような気がしてとにかく言葉を続けた。
騎士が私の意を汲んで部屋から出さぬと彼女の前に立ち止めようと動いた。そして、セリスの前にレナードが立つとセリスは体を止め、流れるような動きでレナードの腰に刺さっている剣を抜き、スラリとレナードの首を斬り落とした。
――は?
目の前で起きた出来事に、頭の中が整理できない。彼女は剣を扱えなかったはずだ。少なくとも俺の前で剣を振っていることはなかった。
「……セリス。」
自分の声がかすかに震えていた。セリスが剣を握りしめ、微かに見えたなんの感情も映していない目でレナードを斬ったとき、俺は何もできなかった。ただ、彼女がその剣を振るう瞬間、胸の奥で凍るような恐怖が広がった。俺は彼女にこんなにも痛みを抱えさせていたのか?俺はどれだけセリスのことを理解していたのだろうか? セリスの心が壊れたのは俺のせいだ。
「セリス……」
そして、今ここで、彼女は自分に背を向け、冷たくただ自分が斬り捨てたレナードと今、自分が斬り殺した剣を交互に眺めている。もう一度、言葉をかけようとしたが、言葉は喉に詰まった。セリスがこれ以上傷つかないようにと、俺が取ってきた行動が、逆に彼女を追い詰め、破壊してしまった。それがわかるからこそ、どんな言葉も今さら届かないことを感じていた。
「殿下……、これで少しは分かっていただけたでしょうか。」
彼女は私たちの方へ振り返るとただそう言った。あぁ、分かったなんていえないほど彼女を追い詰めてしまったことが分かったよ。それと同時に何故、こんなにも追い詰められているのかは分からない。
「どうぞ、殿下のお好きに処罰してください。私には、もう失うものなどありません。」
セリスは剣を手放し、自嘲気味に笑った。その言葉に、カイルの胸が痛みで締めつけられる。セリスの目にはもはや、かつての彼女を知っていたカイルの姿はなく、生きる事を諦めた無機質な瞳が顔面蒼白になっている俺を映していた。
俺はついにある事実を直視しなければならなかった。自分はセリスを守るつもりで、彼女を犠牲にしてしまった。彼女がどれだけ辛い思いをしていたか、その痛みを抱えていたか、彼は手紙で十分だと思って深く考えたこともなかった。
「私はセリスのことが本当に愛おしい。それだけは今後も変わらないよ」その事を五年前言ってそれだけでもう今日まで大丈夫だと思っていた。
そして今、目の前のセリスの目はもう、希望がなかった。それは、自分が愛した彼女は自分のせいで壊れてしまったことを突きつけるように感じられた。
どんな言葉すらも、彼女には届かないだろう。セリスはゆっくり深呼吸をすると目を閉じただ立ち尽くした。もう生きる事を諦めているようであった。いや、死のうとしているのかもしれない。
自分がクレマチス公爵に伝わるのを恐れてセリスに不仲を演じようと言えなかったのが原因だった。いや、演技だとしても嫌われるのは嫌だった。そんな我儘がこんなことになってしまった。
そうかこんな嫌なことをセリスにしてしまったのかと今更、心に強い後悔と罪悪感が湧き上がった。
――殿下のお好きに処罰してください。もう、私は失うものなどありません。
セリスのその言葉が、今も胸に残っている。彼女にもはや失うものがないと言わせた自分が憎い。彼にとってそれは何よりも恐ろしいものだった。誰よりも大切な彼女を傷つけてしまったのだから。
「セリスを……懲罰室に戻しておけ、……処分は後ほど出す」
とにかく今は時間が必要だった。クレマチス公爵に追求しないといけないこともあるし、セリスのことも今後どうすれば許してくれるのかレナードを殺してしまったセリスと結婚できるのかなど考えることがあまりに多過ぎた。
この時、私はセリスにさらなる絶望を与えてしまうことに気づけないほど、自分の感情に支配され、状況を見失っていた。
◇
更新を12:03にも増やして1日2回にしようと思います。
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