10. ザッカリー・ハート
眼帯の男とその部下たちに連れられ、ジーンたちは緊張しながら歩いていた。
日は沈み、ぽつりぽつりと置かれた街燈の光だけが路地裏を照らす。
道の一本向こうから微かに聞こえる住民の歓声は、まるで遠い世界の出来事だ。
しばらく人目を避けて歩くと、一際明るい場所に出る。しかし、それはジーンが思っていたような景色ではなかった。
ジーンは呟くように言った。
「……ここは軍港だぞ」
深い海は洋墨のように黒々として、夜の港に人影はない。明るい船内に籠っているか、町に繰り出してしまったのだろう。
ジーンの言葉に、眼帯の男は振り向きもせずに訊き返す。
「だから何だ?」
「お前の船は東の港にあるんじゃないのか」
きっぱりとしたジーンの言葉にコディはぎょっとする。
あまり直接的に探るようなことを言っては、どこで相手の機嫌を損ねるか分からない。戦いになったとしてジーンまで庇って立ち回る自信はない。
しかし、男は特に気にした様子もなく、港に佇む一隻の船の前で立ち止まった。電燈の柔らかな光は彼の暗い髪や外套に呑まれ細身のシルエットを描き出す。
「ならば聞くが」
眼帯の男はようやく身を翻し、灯りの下で顔を見せた。
困り眉と吊り目がちな目元は一見優し気で、しかし微かに侮蔑の色も含んでいた。初めて強く感情を見せた彼の金色の目は、余裕と自信に溢れている。
「これが、あの浅瀬に入れると思うか?」
「……!」
彼の指し示した先を見て、ジーンとコディは息を呑む。
それは、全長五十メートルはあろうかという鉄の塊だった。
輪郭は夜闇に呑み込まれ、全体像を推し量ることはできない。大きさも、装備も、そこらの木っ端海賊が使うような船とは比べ物にならなかった。
ジーンは険しい顔で問う。
「どうやって検問を抜けた? 大佐なら軍港も警戒させてたはずだ」
「船籍を偽装するくらい方法は幾らでもある。馬鹿には想像もつかないだけでな」
何でもないといった風に眼帯の男は答えた。
そこで、それまで黙っていたコディが驚いたように声を上げる。
「ジーンさん、これセリファスの駆逐艦ですよ!」
その言葉で改めて船に目を凝らすと、ジーンは冷や汗をかいて言う。
「廃棄船だ。塗装で現役艦に見せかけてる。そうと知らなきゃ騙されるな……」
大戦中、セリファスでも多くの軍艦が追加で建造された。その中でも駆逐艦は各地の工房で同時に製造されたため、似ているようで少しずつデザインが違う。
さらに時間が経てば入れ替わりや改装、用途変更されるものも出てくる。
軍人でさえ、実際に見たり乗ったりするのはそのうちの二隻か三隻だ。余程のことがなければ、すべての詳細な違いを覚えていることはない。
退役した艦を何らかの手段で入手し、『それっぽい』改造を施せば、ほとんどの人間は違和感を抱けない。
それでも、とコディは言った。
「軍は海賊船の接近を知っていたんですよね? 見た目が軍艦と分かっていて、どうして気づけなかったんでしょう」
「……多分、哨戒が見たのはデコイだ。別の小さな船をわざと港に寄せて、その外観を印象付けたんだろう」
そう言ってから、ジーンは何故自分やマイルズが出し抜かれたかようやく分かった。
マイルズがこの艦を直接に見たなら気づいたかもしれないが、彼女は書類上での報告でしか事態を把握できていなかった。
いかにも海賊といった木造船などを先に近づけ、軍艦を見て逃げ帰った振りをすれば、警備担当はその通りの報告を上げる。
すると上層部は脅威に対し最適な人員を算出し、合理性を考えて怪しい箇所へ重点して配置する。その際、軍港は一度侵入に失敗したと考えられ優先度が下がる。
視線がほかに向けられている中、悠々と本命の船で乗り込んだという訳だ。初歩的なミスディレクションと言える。
組織の分担や連携が完成しているが故の皮肉、全員がどこかを伝聞の上で動いているが故の脆弱性だ。
冷静に考えれば実にくだらないトリックである。しかしながら実際には、ジーンたちも先入観に囚われて東の港に向かってしまった。
眼帯の男は船の扉を開けながら言った。
「お前ら軍人は高慢だ。少し誘導してやれば、敵は臆病な鼠なのだと思い込み、自分たちが警戒しているところに堂々と入ってくるはずがないと考える」
それから彼はくすりと笑った。妖しげな瞳がジーンを見据える。
「だから小さな裏口にばかり気を取られて、正面から狐に入り込まれても気づかない」
「ご意見どうも! 以後反省し再発防止に努めます!」
ジーンは船内に連れ込まれながら口を尖らせた。
***
「さて、ご足労いただき感謝する」
眼帯の男は古びたソファに腰かけながらそう言った。
二人が案内されたのは、椅子や机が固定された大きめの部屋だった。
男と向かい合うように座らされて、ジーンとコディは思わず肩を寄せ合う。
「ようこそ、俺の船に。くつろいでもらって構わない。────少々狭苦しいがな」
眼帯の男はそう言うが、狭いのは彼の部下が周りを固めている所為だ。気を抜けるはずがない。
恐る恐る周囲を見渡していたコディが、壁に掛けられた旗に気づいて目を見開いた。
「思い出した、この印……!」
縦長の長方形に、傾いたバツ印が重ねられたシンプルなサイン。
コディは男の正体に思い至り、その名を呼んだ。
「ザッカリー・ハート! 『新世代』の中でも特に評判の悪い『
『新世代』が『新世代』と呼ばれる
ジーンはやれやれと頷いた。
「とんだビッグネームだな。道理で振り回される訳だぜ」
ジーンが父の行方が分からないかと新聞を漁っていた頃、何度も彼の記事を見た。
眼帯の男────ザッカリーはソファに背を預け、人差し指を立てた。
「盛大な評価をいただき光栄だ。だが一つ訂正がある」
それから彼は言った。
「俺は海賊じゃない。商人だ」
「ですが、僕の記憶の限りでは……」
コディは彼を有名にした事件を挙げていった。
「友好国ラダリアの貿易船を襲撃し、鎮圧に派遣されたセリファスの軍艦二隻を航行不能状態に」
「……そういうこともあったな」
「寄港先で敵対中の海賊と接触した際、わざと軍に通報し、『双方の船が何隻沈むか』について違法な賭博を開催」
「ああ、あれはなかなかに愉快だった」
「酒場で諍いになった相手の首を切ってカウンターに並べたという猟奇事件の主犯格」
「尾鰭が付いてる。実際には頭が出るよう樽に詰めただけだ。人を入れた箱に剣を刺す奇術があるだろう。新年祝いの余興にあれをやりたかったんだ。……まあ途中で止められたんだが」
コディは首を傾げた。
「海賊ですよね?」
「商人だ」
ザッカリーは短く断定すると、淡々と話し始める。
「改めて、俺の名はザッカリー・ハート。武器商人であり、この『シザーリオ』号の船長でもある」
それから彼は、お宝泥棒もといバンダナの男を呼びつけ、傍らに膝をつかせた。
「まずは────俺の部下が揉め事を起こしたことを詫びよう。……希望するなら今この場でけじめをつけさせるがどうする」
「怖ェよ! 希望しねえよ! 盗んだもんだけ返してくれればいいよ!」
ザッカリーが銃の弾倉を検めながらそう言うので、ジーンは必死に止める。何故、盗品を返すのにわざわざ船まで呼びつけたのか段々分かってきた。こいつはやる気だ。
コディも黙って首を振り続けるのを見て、ようやくザッカリーは部下を許すことにした。
「そうか。箱は今持って来させているところだ。本物かどうか確認できたら帰ってもらっていい。それまで茶でも飲んで待っていろ」
それから、ザッカリーは器用な手つきで紅茶を入れ始めた。ジーンはそれを眺めながら、確かにこういうところは海賊らしくないのかもしれないと思った。
しばらくして、緊張感のある沈黙が辛くなったのか、コディがひっそり囁く。
「一時はどうなることかと思いましたが……盗まれた宝物は取り返せそうですね」
「ああ、そうだな」
ジーンは肯定しつつも、何か引っかかるような気がして慎重に辺りを見ていた。
泥棒騒動がザッカリーの意図するところになかったのは理解したが、そもそもバンダナの男は何故そのような行動に出たのかについては一切の弁明や説明がない。
妙な予感がする。ジーンは口を開いた。
「なあ、あんたは一体────何を探してる?」
「……」
「海賊にしろ商人にしろ、対価に釣り合わないリスクを踏むはずがない。こんな回りくどい手段で島に侵入する以上、ここにはそうするだけの何かがあるんだろ」
ザッカリーは少し目を細め、感心したように言った。
「……どうやら見かけほど馬鹿じゃないらしいな」
「んだとテメェーッ!」
身を乗り出すジーンを除け、立ち上がったザッカリーは、ソファの横に置かれた小机の引き出しに手をかける。それから小さな標本箱入りの石を取り出して見せた。
「お前たちはこれが何だか分かるか?」
「……?」
どこにでもありそうな灰茶色の石の欠けた面から、何層にも重なった薄荷色の結晶が覗いている。
何かの原石のようだが、ジーンは見たこともない。しかし、代わりにコディが不安げに応えた。
「海燐火薬……?」
コディの表情を窺い、ザッカリーは何かを考えてから小箱をしまい直した。
「准将ともなれば知っているようだな。……このまま帰すつもりだったが気が変わった」
「おい! まさか……」
ジーンは最悪の事態を想定し、ザッカリーからコディを遮るように立ち上がる。
しかし、ザッカリーが二人に向けたのは銃口ではなく右手だった。
「取引だ。俺と手を組め」
予想外の台詞に、ジーンが固まる。
ザッカリーは彼らをじっと見て言った。
「俺の標的は『
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